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【明月記】伝来図解 現存は藤原定家72歳清書版 80歳最晩年6年分日記消滅…一時おにぎり状態から救出 国宝修復に徳川家康の写本が活躍していた
現存する藤原定家 自筆の日記「明月記」は全て定家が晩年に清書した72歳当時の字で、日々定家が書いていた日記は清書後に消滅し残っていない。清書作業は定家だけでなく右筆(書写能力に長けたもの)を動員して行っているため、定家以外の筆跡も含まれているものが残る 現存する明月記原本とは… 定家が日記を書いていた期間と現存する日記の期間との関係、定家72歳の出家時に編纂された後、どういった過程を経て伝わっているのか 昭和55年の冷泉家の調査開始時から調査に携わり、冷泉家時雨亭文庫の
【藤原定家の書物】【明月記】【冷泉家の蔵(御文庫)】徳川家康・秀忠・天皇・稲盛和夫さんに守られる【ブラタモリ】現存唯一の公家邸宅として登場
鎌倉時代に書かれた小倉百人一首の撰者 藤原定家の日記「明月記」の原本が現在まで伝わってきた経緯を調べると定家の子孫である冷泉家が守り伝える中で驚きの過程を経ていた 書物を守るために尽力した意外な人物が! 徳川家康は藤原定家のファンで冷泉家に伝わる書物の価値を上げ、徳川秀忠は天皇を巻き込んで明月記を保管する冷泉家の蔵(御文庫)ごと封印して守っていた。現代ではたとえ貴族の子孫の家であっても継承は容易ではなく、個人レベルでの家の維持は不可能になり売却・取り壊しの危機に。あの京セラ
【原本現存なし】「古今和歌集 土佐日記 更級日記 源氏物語」藤原定家【平安書物へのリスペクトと橋渡し】最古の写本 国宝級多数
教科書に載る平安時代の歴史的書物。古今和歌集、源氏物語、土佐日記、更級日記の原本は残っていなかった。知っているものは残っていると思い込んでいた。平安時代に書かれた古代文学の原本が伝わるのはごく稀で、残っていないのが当たり前、平安時代に作られた写本ですら伝わるのは困難だった… そんな中、平安末期から鎌倉時代前期を生きた藤原定家は平安時代の書物の写本を多数作り、後世で現存最古となる写本を残していた。その藤原定家の「書物を残した人」としての功績を調べてみた 【平安中期の有名文学