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【醍醐寺】絵因果経 発見記録は(国宝)横山大観筆…明治まで行方不明だった

絵因果経にまつわる見逃さずにはいられない要素満載のものが醍醐寺国宝展に出ていた。醍醐寺といえば一番気になっている絵因果経出ているのかな?と目録を確認したところ、絵因果経の展示は無くそれ以上に気になるものが…

国宝「絵因果経発見由来記」
小中村義象書、横山大観筆 
明治28年(1895年)醍醐寺蔵

醍醐寺 開創1150年記念 特別展
「醍醐寺 国宝展」大阪中之島美術館
2024年6月15日(土)– 8月25日(日)
 前期:6月15日(土) – 7月21日(日)  
 後期:7月24日(水) – 8月25日(日)


チラシを見たところ、なんとあの醍醐寺の絵因果経は長らく行方不明になっていて、明治に発見された時の記録が国宝として前期に展示されていた

醍醐寺 国宝展のチラシより

◼️明治まで醍醐寺の絵因果経は行方不明 
◼️発見記録は国宝
◼️横山大観筆 ←一番えっ?!
◼️本邦初公開

パワーワードばかり 興味深過ぎる…
これは、絵因果経が展示された時に横並びに展示しても良いくらいのものなのではないかと。しかし今回「絵因果経」本体の展示は無く「絵因果経発見由来記」のみ


絵因果経とは…そして醍醐寺の絵因果経とは

絵因果経(絵付きのお経)の存在を知って文化財の概念が覆った。奈良時代 今から1200年以上前に描かれているにも関わらず信じられないほど美しく残っているのだ。絵因果経を調べる中で、醍醐寺の絵因果経は一巻全長15mの完本で残り、バラバラに伝わる現在する絵因果経の中でも特に奇跡の伝来をしていた(そのあたりまとめたもの↓)


絵因果経…日本最古の絵巻

自分が知らずに生きてきただけなのもしれないが、世間をそれほどざわつかせていない気もする絵因果経
日本最古の絵巻(絵付きお経)「絵因果経」奈良時代
 ↓ この約400年後に描かれたもの
日本最古の物語絵巻源氏物語絵巻」平安時代末期

絵因果経は元は中国の絵巻を元に描かれたのでやまと絵(日本固有)ではないから、最古の絵巻の称号は源氏物語絵巻の影に隠れている(気がする)


気になり過ぎる明治時代の絵因果経発見記

醍醐寺の絵因果経は行方不明期間があったにも関わらず、あれほど美しく残っていたと分かると驚きが増す。いや、行方不明だったからこそ封印されていて綺麗に残っていたのか?俄然気になる発見記の内容。展示期間の前期はすでに終わっている。図録を買ってでも知りたい経緯…… 図録通販ある…なんだか図録デザイン素敵だし くぅ…

「発見の記録」「明治時代」国宝」横山大観筆
こういったものがあるのは興味深い。発見記録に “横山大観に絵を描いてもらおう” となった経緯気になる。横山大観自身が描いた絵は重要文化財認定までなので、国宝は無い。しかしこういった角度で国宝に認定されているものに関わっていたのか

近代美術は重要文化財68件 国宝は0件
↓画像が大きくて美しくて最高(横山大観の絵 含む)


発見記でさえ国宝になってしまうほどの国にとって大事な文化財「絵因果経」ということなのだろうか



【現代にタイムカプセルでやってきたのでは】
と思う脅威の文化財

自分の知る限りで驚いたもの2つ

◼️奈良時代 1200年以上前
(国宝)絵因果経


◼️平安時代中期1000年前
(国宝)雲紙本和漢朗詠集 伝藤原行成

↑ドラえもんにモノと話せる道具を出してもらって、「君はどこでどんなふうに保管されて、どれだけ大事にされて1000年過ごしてきたの?」と聞きたいくらい。それぐらい時が止まっている美しさ。国宝になったばかり。これを契機に教科書に載せて認知度上げて欲しい。これほどモノを美しく伝えられるのは日本の誇り


“古い文化財” “紙に書かれたもの” というイメージの基準は、順当にボロボロになりましたよねという状態で伝わった(?!)850年くらい前にあたる平安時代末期の日本最古絵巻「源氏物語絵巻」で、それと比べて考えてしまう。大事にされてきてもボロボロ。NHKのファミリーヒストリーで出てくるような江戸時代や明治時代の書物でさえボロボロなことが多い気がする。民家で普通の紙を普通に保管するとそうなる模範例

それらを思うと、絵因果経雲紙本和漢朗詠集
美しさ異次元 なぜなぜなぜが止まらない
絵因果経は何かのご加護?!

そんなわけで、醍醐寺の「絵因果経」長らく行方不明で最近(明治)発見。それでいて美しさを保っていたというさらなる驚きと、横山大観が発見記録に関わっていたという事実に興味が尽きない

醍醐寺本「絵因果経」も「絵因果経発見記」も 
絶対にいつか見たい


【予想外】醍醐寺の国宝7万点もある

醍醐寺の国宝は7万点以上だという
見間違えかと思うほどの量。絵因果経レベルのものが行方不明になってしまうのもなんだか想像できてしまった。今回の国宝展は14点展示。このペースでは一生かかっても見られそうもない 笑 各展覧会で「醍醐寺所蔵」として出てくる国宝は醍醐寺が持っている全体の国宝の中の ”ほんのごくごく一部” だったのか… 保管維持作業が莫大そう…倉庫どうなっているのだろう


2013年に7万点も国宝になっていた醍醐寺の寺宝

7万点の経緯が気になって調べたら2013年2月27日文化審議会の答申で国宝指定されていた
醍醐寺文書聖教もんじょしょうぎょう
約7万点の歴史資料が一括で国宝指定
醍醐寺に伝わる平安から明治期の歴史資料のことで
聖教しょうぎょう」とは仏教の経典やその解説書のこと。文書には歴代天皇や有力大名によるものが含まれるという

これを知るとなるほど。大事過ぎるものが大量にあってその中に絵因果経もあって、保管状態の良い場所で行方不明だったのだな

はぁ…しかし数も内容も気になる7万点
絵因果経発見記もうまいこと7万点に滑り込んだのかな


これを読むと醍醐寺展に行きたくなる
醍醐寺は真言宗。ちょうど神護寺展で真言密教知識が増えたので内容が入ってきやすいということもある

転法輪筒てんぽうりんとう=デスノート 笑


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