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源実朝の美しい和歌がもたらした「美しい言葉達」


鎌倉殿の13人を見るまでの実朝の知識と言えば、鶴岡八幡宮で若くして暗殺された悲劇の将軍。武よりも文化的な素養のある人だったという漠然としたイメージ。そして、実朝が暗殺された際に公暁が隠れていたと言われる
樹齢1000年の大銀杏が2010年に強風で倒れてしまったというニュース。

実朝=鶴岡八幡宮 実朝=あの大銀杏倒れてしまった そんな浅すぎる印象だった。

鎌倉殿の13人がたくさんの派生の学びをもたらしてくれて楽しい。33回と34回で実朝が和歌に触れるシーンが出てきた。実朝の和歌はどういったものだったのだろうかという興味から検索したところ、須藤徹さんのブログが出てきた。

このブログに書かれている内容がとにかく美しい。
実朝の和歌がまず美しい。ブログの作者である須藤さんの愛ある文章が素敵。そして紹介されている小林秀雄氏と吉本隆明氏による解説文が美しい。実朝はこんなに美しい感性の人だったのだと、素敵な解説も合わせて知ることができた。感動!!


以下須藤さんのブログから一部抜粋


源実朝の和歌


箱根路をわが越えくれば
伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ
  

箱根の山路を私がこえてくると、(大きく展望が開けて)伊豆の海が見渡され、沖の小島には白波のうち寄せているのが見える。

おほ海の磯もとゞろによする波
われてくだけてさけて散るかも
  

海岸の磯にとどろくばかりに打ち寄せる波、その荒波が(岩にぶつかって)くだけて、裂けて、(細かなしぶきとなって)散っていることよ。

玉くしげ箱根の海はけゝれあれや
二山にかけて何かたゆたふ

箱根の海は、心があるのだろうか・・・相模と駿河の二つの国にまたがってその間でたゆたうように水を湛えている。  
※「玉くしげ」は「箱根」の枕詞で、
「海」は「芦ノ湖」 「けゝれ」は「心」の東国方言


源実朝の和歌に対する解説

小林秀雄

「彼の歌は、彼の天稟の開放に他ならず、言葉は、殆ど後からそれに追い縋る様に見える。その叫びは悲しいが、訴えるのでもなく求めるのでもない。感傷もなく、邪念も交えず透き通っている。決して世間というものに馴れ合おうとしない天稟が、同じ形で現れ、又消える。彼のような歌人の仕事に発展も過程も考え難い。彼は常に何かを待ち望み、突然これを得ては、又突然これを失う様である。」(新潮文庫版小林秀雄『モオツァルト・無常という事』の「実朝」から)

吉本隆明

「いずれも実朝の最高の作品といってよい。また真淵のように表面的に『万葉』調といっても嘘ではないかもしれない。しかし、わたくしには途方もないニヒリズムの歌とうけとれる。悲しみも哀れも<心>を叙する心もない。ただ眼前の風景を<事実>としてうけとり、そこにそういう光景があり、また、由緒があり、感懐があるから、それを<事実>として詠むだけだというような無感情の貌がみえるようにおもわれる。」(筑摩書房版吉本隆明『源実朝』から)



須藤徹さん

引用元のブログの作者、須藤さんは2012年8月にこのブログを書かれ、実朝が和歌に詠んだ箱根の地を楽しまれたことを最後に綴っている。今、須藤さんご自身はどうされているか調べてみると、2013年6月に亡くなられていた。ブログを書かれてから1年も経たないうちに…  



さいごに

実朝の和歌を読むと、幾度となく見てきた箱根や芦ノ湖や海を、実朝も800年ほど前に「美しい!!」と感じ、和歌にしたためた日があったのだなと感慨深い。はるか遠い存在だったのに近くに感じる。

色々な思惑が渦巻き、落ち着かなかったであろう生活の中で、こんな透明感のある和歌を詠んでいた。信じられない。

中学生の頃にすでにこの和歌を味わえる感性を持っていた須藤さんも尊い。和歌に対して美しい名文を残した昭和の有名な作家お二人も尊い。全員尊い


皆様すでにこの世にはいらっしゃらない。
でも、残されたこの美しい言葉達に時を超え2022年に出会った幸せ。「鎌倉殿の13人」がここに連れてきてくれたことに感謝!!




和歌といえば武士出身西行も知っておきたい

芭蕉が中世の歌人と言えば誰かと問われて、
「西行」と「鎌倉右大臣(実朝)」と応えたということで、和歌の名人西行について、
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」と「平清盛」の成分多めで分かりやすく整理  実朝の情報も含めています


実朝の和歌の師匠 藤原定家の書が面白い


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