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とあるALS の方の尊厳死を知って欲しい

こんにちは、保健サポーターのellieです。

今回は、いつもの保健についてではなく、昨今、ALSを患った方の自殺ほう助/嘱託殺人の事件をきっかけに、持ち上がった、安楽死と尊厳死について、私の友人のお父様に起こった実際のエピソードを元に、ご紹介できれば、と思い、久しぶりにログインしました。

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5年ほど前、長く知る友人と、食事をしたときに、たまたま退職後の両親の話になった。

ちょうど、私自身の父が退職年齢を迎え、第二の人生をどうしていくかについて、他のご家庭の話をちょくちょく聞いている時であった。既に、大学の先輩の研究にて、”退職により社会との接点を無くした男性は、特に孤立しやすく、著しくまた急スピードで健康(特に認知機能)を損ないやすい”ことが明らかにされたことを知っていた私は、自分の父がそのような状態に陥ることを懸念して、他のご家庭の事情を手当たり次第、聞いて回っていた。専ら、趣味に興じてる、旅行している等、今までの仕事とは全く異なった第二の人生を謳歌している父親の姿を語る友人たちの反して、その友人はちょっと、ためらい気味に口火を切った。

「うちのオヤジさ、退職してから、まるっきり引きこもっちゃって。。。引きこもった所為で、足が弱くなったのか、最近は杖まで突くようになっちゃってさ。引きこもってばっかりじゃなんだから、週末はなるべく車で帰って、外出とか旅行とか、いろいろ提案してるんだけど、杖をついてる自分の姿を見られるのが嫌なのか、結局外出するは母ばかりで、、、。頑固なのもそうだし、プライドが高いのもそうだし、でもそれじゃ、いけないと思ってるこっちの思いも汲み取ってもらえなくて正直どうしたらいいのか、わかんない。ま、母の気分転換になれるならいいんだけど。このままいくと私の結婚式さえ来てくれるのか、不安だよ。」

ムムムっ!

正に私が懸念していた、退職男性の認知機能の低下か!?と思ったものの、多忙な仕事に就く友人は、既に自分のできる限りことを、プライベートの時間を最大限にご両親に注いでいる様子が伺えたこともあり、「心配だね」以上の言葉をかけてあげられなかった。

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数年後、友人のお父様が介護施設に入所したことを知った。

その間、度々会うことはあったものの、特段、両親の話題に触れることなく、お互いの恋バナや、仕事の話、将来の目標などの話ばかりしていた。

しばらく、連絡の途絶えた友人に連絡してみると、

「この半年、オヤジが介護施設に入所しちゃってちょっとバタバタしてたから、連絡できなかった」と、言われた。

介護施設?

やっぱり、懸念していた、若年性の認知症を発症して、介護を要するまで急激に悪化してしまったのか?

と、心配した私は、杞憂に終わればいいと思いつつ、率直に聞いた。

「介護施設になると大ごとだったね、どうしたの?若年性のアルツハイマーとか?」

それに対して、思ってもいなかった答えが返ってきた。

「いやいや、オヤジ、ALSでさ、そのせいで歩けなかったらしい。家で生活するのが大変になったから介護施設に入所したんだ。今は車いすだけど、意識もしっかりしているし、日中は自分でパソコンで作業もしてるし、食事もスプーンとかになっちゃったけど、自分で食べてるよ。」

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看護学生時代に何度もALS患者様のお宅に訪問看護実習に行ったにも関わらず、私の中では、稀有な難病であるという印象があった”ALS”という病気に、身近な友人の家族が罹ったことに、驚き、戸惑った。(正直、自分が20代で希少がんを罹患したこと以上に驚いた)

調べてみると、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の好発年齢は60~70歳代の男性が最も多いことが分かった(難病情報センター

自分の父親も含めてまさに、好発年齢に、ドンピシャである。

決して、他人事にできないこの疾患の怖さを改めて知るとともに、友人にかける言葉を考えた。。。看護師として、患者に対してかける言葉ではなく、難病の父を介護する友人にかけるべき言葉ってなんだろう?

結局、あまり上手な言葉は思い浮かばず、自分の人生経験の浅さと、語彙力の少なさを恨みつつ、何度も書きは消して、ようやく打ったラインが、「無理はしないで、力になれることがあったら言ってね」だった。

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数か月後、友人から、お父様の訃報の知らせを受け取った。

既にご家族で、ご葬儀は済まされていて、私が友人としてできることは、本当に何もなかったけど、「気にかけてもらってたから」と、わざわざ知らせてくれた友人に、何もできなかったことに申し訳なさをかんじつつ、感謝した。

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『ALSの患者様』として、一般的にイメージされることは、四肢の動きが制限され、呼吸器を装着し、胃瘻から栄養を取り、動きが比較的後半まで制限されにくい目や口を使いながら、瞬きや舌の動きで、文字盤等を使いながら、意思疎通を行う患者様の姿だろう。参議院議員になった、船後議員の姿は障がい者の政治への参画といった大きな扉を開けた。

私自身、看護学生として、そして看護師として出会ったALSの患者様の大半が呼吸器を装着していたし、装着していない患者様も胃瘻を造設していた。寝たきりであっても、最終的に心臓の筋肉が萎縮し、動かなくなるまで、胃瘻による栄養補給と、人工呼吸器による肺機能の補助がずっと続くものだと思っていたし、それが正しいALSの看護だと思っていた。。

しかし、友人家族は、というより、友人のお父様はそれを選択しなかった。よく、「食べられなくなったら、生きていく意味がないから、そのまま死なせてくれ」という事を発するオヤジや妙齢のおねぇ様は、私がよく飲みに行っていた、立石やゴールデン街にもたくさんいた。そんなところで、飲んでいなくたって、同様のことを思っている人はたくさんいるだろうし、折に触れては口にしているだろう。しかしながら、実際に自分の身にその選択権が与えられたときに、果たして自分自身で、強い意志もって、『生きる』ための選択を退けることができるだろうか。また、家族として、そのような選択をしようとしている家族の選択を尊重できるだろうか

”口から食べ物を食べられなくなれば、それ以上の医療介入はいらない”

と、いう事は、端的に言えば餓死を意味する。

例え、点滴で多少の水分が補充されたとしても、それは、ポカリスエットにも満たない、わずかな栄養で、それをもって、生きながらえることができるのは、数週間が限度だ。

徐々に、でも確実に、やせ細り、夫として、父として、家族を支え、仕事をバリバリこなし、自分を守ってきた。夫(父)の威厳もイメージも少しずつ、失っていく姿を見守り続けることは、友人のお母様としても、友人自身もとても辛かったはずである。

でも、友人は最後に言っていた。

「父の望む、尊厳死という形をとれてよかったと思っている」

と。

それが言えるようになったから、もしくは、私に言うことで自分自身を納得させるために私に連絡をしてきたのかもしれないが、私は少なくとも、友人のお父様は喜んでいらっしゃると思っている。

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私は決して、胃瘻や、呼吸器をつけながら、ご自身らしく生活されている、ALSの方の生き方を非難するつもりは全くない。

また、今回の医師が行ったことは、たとえ、本人からお金が支払われ、意思があったといっても、自殺ほう助/嘱託殺人になると思っており、決して許されるものではない。

一方で、亡くなった女性のお父様の発言が、事件発覚当時は「娘の選んだことだから辛いけれども受け入れたいと思う」と言っていたところから、報道の過熱と共に「娘の命は奪われていいものではなかった。」と変化していく姿に、一度は受容した娘の死を、世論の正義や正論に必死に応えなければいけなくなっている状況に、違和感を感じずにはいられない。

亡くなった女性のことは、存じ上げないが、自分の意思と反して看護師や介護士に仕事として、栄養が体内に注がれ、いらないと訴えても取り合ってもらえず、今後何年と同じ景色をみつめる状態が続くのか。。。に思いを巡らせたときに、「死にたい」と思ったことは、想像に難しくない。

意思があるうちは、脳がしっかりしているうちは、果たして「生きる」ことを選択し続けなければいけないのでしょうか。

ALSという疾患の診断がついた時に、これからご自身の身体の機能がどのように制限されていくか、それを補う医療介入はどのようの方法があるのか、何を、どのように、いつまでに、選択するのか、決める決定権は患者様にある、積極的な医療介入を望まなかったとしても、それは決して命を粗末にしているわけでは無い。

自分らしさとは、何か、を患者様が選択し、ご家族が納得し、それをサポートすることが医療者としての本来の在り方である。

そして、両親や子供の”命の選択”を100%受けいられる覚悟を決められることが、家族として、その人を敬える最後のプレゼントである。

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