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汚れた血 (5)


          *

 騙された。
 気がついたときには、ジャック船長の乗る小型シャトルは貨物船を離れていた。
 取り残された。
 私ひとりが。
 シャトルルームの扉の横にある通話ボタンを押して呼びかけてみるものの応答はない。
 憤慨して呼び続けていると、照明が不規則な点滅をはじめた。
 壊れかけている? もしやノーマンが操舵室で銃を乱射したせいで、船の機能が停止しかかっているのでは?
 そう考えたら、いてもたってもいられなくなった。船長が乗った機のほかに脱出用シャトルはない。船内に留まるという選択もなしだ。まだその姿を目にしてはいないけれども、バケモノと呼ばれた正体不明のなにかが、船内を歩き回っているのは確実なのだから。
「……どうすればいい?」
 ひとりつぶやき、首からさげたネックレスを握りしめる。早く決断しなければならない。照明の点滅は時間の経過とともに回数が増えている気がする。安全なところはどこだろう。絶対に安全な場所は? 周囲に目を配ると、シャトルルーム前の通路の壁にも、黒く湿ったコールタールのような物質が確認できた。ここもだめだ。おそらく船内のいたるところが汚染されてしまっている。船外に避難するのが最善の選択であるとしか思えない。
 思いたったらすぐに実行だ。私はシャトルルームと隣接した部屋へ入り、宇宙服と記されたボックスを開いた。着ていた服を脱ぎ、インナースーツ姿になる。急げ。急いで。大急ぎで宇宙服を着用して、ヘルメットを装着し、ヘッドアップディスプレイをオンにする。装着し終えたと同時に、室内の照明が瞬いた。時間がない。もうすぐ船が死ぬ。宇宙服のサイズが身体にあっていなくて歩きづらかったが、我慢するしかない。セルフレスキュー用の推進装置を身体に装着して、船外ハッチの前に立つ。減圧操作。照明の点滅速度がさらに早くなった。急げ。急げ。急げ急げ。お願いだから早く。早く船外に――

 そして私は見た。

 宇宙空間に浮かんでいるハイニュート社の船を。
 取引相手は目と鼻の先にまできていたのだ。ハイニュート社の船体はギャラクシー級で、貨物船〈キャロ〉とは比較にならない大きさだった。私は開いたハッチから船外にでて、通信を試みた。しかしヘッドアップディスプレイに表示されたのは、エラーの文字だった。通信は諦めるほかないが、ハイニュート社とどうにかして交信しなければならない。貨物船内の状況はシャトルで脱出した船長がすでに伝えているはずだが――そう思ったとき、視界の隅に、浮遊している奇妙な物体を捉えた。
 シャトルだ。
 船長が乗っていった小型シャトルが、なぜかパワーを停止した状態で、宇宙空間を漂っていた。
 どういうことだろう。どうしてパワーを停止して、あんな場所にとどまっているのだろう。行って状態を確認することは可能だろうか。往復するだけの燃料が推進装置に入っているだろうか。船外のハンドレールに捕まってシャトルの様子を窺った。少しずつ離れている気がしないでもない。ハイニュート社の船に目を向ける。そうだ。ひとりじゃない。きっと大丈夫。なにかあったとしても、ハイニュート社の人たちが助けてくれるはずだ。
 船内での出来事から貨物船〈キャロ〉に対して抱いてしまった嫌悪感も相まって、私はさほど思考せずにハンドレールから手を離した。推進装置の噴射ボタンを押す。みる間にシャトルが近づいてくる。減速。上手くいった。ほぼ直線移動なので難易度はそれほど高くなさそうだ。シャトルはゆっくり回転していて、私から見ると耐熱タイルで覆われた底面の側がこちらへ向いていた。さらに減速する。シャトルがゆっくり近づく。回転するシャトルの側面に描かれた文字が見える。
「……あ!」
 なにかがぶつかった。推進装置に。バランスが崩れる。身体が回転する。シャトルが近づいてきて、側面の文字が大きく――眼前に。手を伸ばして、シャトル側面につけられたハンドレールを掴む。上手くいかない。再度手を伸ばす。どうにか掴むことに成功したけれども、またなにかが推進装置にぶつかって、船体に左半身を打ちつける。無意識に首からさげたネックレスを掴もうとしている自分自身に気がつく。なにを。なにをやっているんだ、私は。
 ハンドレールをしっかり掴み、目を閉じて、呼吸を整え、再び開いてヘッドアップディスプレイに表示されている文字を確認する。大丈夫。エラー表示はでていない。体勢を整えながらシャトルへ目を向けようとしたところで、周囲に小さな金属片がたくさん浮かんでいることに気がついた。
「……え? これって?」
 シャトル本体に目を向けた。向けるなり、疑問は氷解した。浮遊している金属片はシャトル本体から剥がれた破片だった。シャトルのフライトデッキ部分に、まるで巨大生物に齧られたかのような大穴が開いていて、たくさんの機器やコードの類がむきだしになっていた。穴の中――フライトデッキの操縦席には、宇宙服未着用の船長が、ベルトに縛られた状態で座っていた。
 振り返り、ハイニュート社の船を見る。船からは誘導光線と思しき光が、貨物船〈キャロ〉へ向けて放射されていた。


          *

「貨物船〈キャロ〉の船長は、ハイニュート社に騙されて、利用された挙句、最後は口封じのために殺害されたのでしょう」タケウチは一瞬だけ眉尻をさげて声のトーンを落としたが、すぐにこれまでと同じ口調へ戻した。「最終的に、貨物船〈キャロ〉は、ハイニュート社の船に回収されたようですね。どうりで該当エリアをスキャンしても見つからないはずですよ。ただし、船体回収は簡単に行えることではありませんので、ハイニュート社は早くから、一連の流れを計画し、実行に移してきたものと思われます」
「え……それって」眉根を寄せたナミ中佐が首を傾げて、タケウチに尋ねた。「ハイニュート社の真の目的は、貨物船を奪うことだったというのですか」
「ある意味、そうですね」
「ある意味?」
「船体入手だけが目的なら、わざわざ輸送を依頼して、三〇ケ月もの間、到着を待つ必要はありません。それなのになぜ、手間と時間のかかる方法を選択したのか。この点に注目してみると、おのずと答えはみえてくるでしょう?」
 タケウチは私へ顔を向けて、ほんの少し口角をあげてみせた。考えろ、ということだろうか。
 長距離輸送を依頼した理由。三〇ケ月も待ち続けた理由。欲した船がレアな貨物船〈キャロ〉だった理由――いったいどのような理由が考えられる?
「ちゃんとした理由があったというんですか」
「当然、手間と時間をかけることに重要な意味が含まれていたんですよ」タケウチはおもむろに立ちあがり、咳払いをひとつして、ナミ中佐の手から端末機器を受け取った。「三〇ケ月という時間の経過を必要としていたからこそ、ハイニュート社は長距離輸送を依頼したんです」
「……え? どういう……」
 問うた私の眼前に、端末のディスプレイが掲げられた。
培養です」画面には成分分析の結果が表示されていた。私の外耳道から採取したという、なにかしらの物質の分析結果が、細やかな文字で。「欲していたものを培養して、充分な量にまで増やすには三〇ケ月もの時間が必要だったんですよ。貨物船〈キャロ〉に積まれていた荷物というのは、船内の壁に付着していた黒色の物質だったんです」
「黒色……の? 壁を覆っていたあの物質が?」
「勝手に漏れだしたとは思えませんので、航行中に外へ噴出する仕掛けが施されていたのでしょう。貨物室からは、冷却用ダクトなどを通して船内に広がっていったのだと思います。この物質は、シグマタールと呼ばれる真菌の一種で、惑星キュラソに生息する、とある植物の成分と触れあったときに増殖レベルが最大になるそうです。アガサさん、もうお気づきですよね? 貨物船〈キャロ〉の壁面に使用されていた〈K303〉という素材のベースになっているのが、その植物ですよ。この〈K303〉の生産が中止になった時期の出来事を調べてみると、新種の幻覚剤氾濫が社会問題になっていたことがわかりました。データベースでは、名前が伏せられていましたが、幻覚剤名はシグマタールで間違いないでしょう。えぇ……そういうことです。〈K303〉が使用されている貨物船〈キャロ〉に目をつけたハイニュート社は、培養増殖を目的とした長距離輸送を依頼し、充分な量のシグマタール回収が見込める三〇ケ月後の今日、この日に接触して、船体ごと回収したんです。私的には、船を買い取って自社で培養を行った方が効率良いように思うのですが、ハイニュート社はコスト面を考えて、敢えて貨物船〈キャロ〉を航行させたのかもしれませんね。シグマタールのもたらす効果に関していえば、成分分析の結果からみるに……触れるなどして皮膚から体内に吸収した場合、量次第では悪夢と呼ぶにふさわしい幻覚に襲われて、精神に異常をきたすおそれがあります」
「あぁあ。だから……」
 タケウチの話を聞いて、私が一番に思い浮かべたのは貨物船内で銃を乱射したノーマンだった。ノーマンはバケモノと出会ったのではなく、シグマタールに触れたことによって幻覚を見たのだ。異形の生物に襲われる幻覚を。だから、誤って、乗員のカラスを撃ったのだろう。エスターも同様に。私が撃たれずにすんだのは、銃口を向けた直後に、ノーマンが嘔吐で苦しんだからだった――生死をわけたのはそれだけの差だったと思うと全身に震えが走った。
「はは……ははは。なるほど。なるほどねぇ」ジュノが発した嘲笑する声に驚いて、顔を向ける。すると、これまでで最も邪悪な目で見つめ返された。「だからあんたひとりだけ無事だったんだ? おれらとは違うから。人じゃないからさぁ」
 目つきだけではなく、ジュノの口調も攻撃的なものに変わっていた。隣を見ると、副長のリンカーン中佐がいなくなっている。いつ退席したのだろう。まったく気がつかなかったが、タケウチの言葉に従って惑星連邦本部へ連絡しに行ったようだ。ジュノは同室から上官がいなくなったことで、本性を露にしたのだろうか。姿勢を崩し、表情を歪めて、露骨な悪意を私に向けていた。
「安定剤と同じで、あんたには効かなかったわけだろ? シグマタールっていう幻覚剤がさぁ。だから触れても、どうもなかったってわけだ。はは。はははは。やっぱりな。やっぱりそうなんだ? やっぱりあんたらシタゾイド人は――」
「ジュノ保安員ッ!」ナミ中佐が怒鳴って言葉を遮る。
 しかし私の耳には届いていた――
 汚れた血。
 汚れた血という、言葉が。
 何度も、何度も何度も何度も何度もそう呼ばれてきた。愚弄されてきた。繰り返し何度も言われて、その都度耐え忍んで、いつしか私は謝罪するようになり、謝罪すればことが荒立たずにすむと知り、心を殺し、自分自身を殺して謝罪を――ただ謝罪を繰り返して、
 胸に手をあてる。ない。掴めない。母のネックレスを掴めない。
 息が。息が苦しくて胸が、心臓が――
「ナミさんッ、安定剤を! ニライカナイをッ!」タケウチが叫ぶ。
 ナミ中佐が忙しなく動き回る。
 扉の前に立つジュノひとりだけがあわてることなく、同じ姿勢と表情を保ち続けている。


 安定剤が投与されて、私は再び落ち着きを取り戻す。
 胸に手を。ネックレスを。黄色いボックスにしまわれたネックレスを、どうか――。
 箱の横に立つジュノは、懲りずに右手を擦り続けている。ばい菌と同等でも、いい。そんな風に思われたって構わない。だけどどうかネックレスを。ネックレスを私の手に。首に。
「ドクター、本当にありがとうございました」ナミ中佐の声が聞こえた。
 顔を向けると、医務室の奥に設置されたテーブルを挟んで、ナミ中佐とタケウチが柔らかな表情で話をしていた。
「あとは私ひとりで大丈夫です。本当にありがとうございました」
 慈愛に満ちた声だった。
 なぜか母を思いだす。顔を思い浮かべる。母の声など憶えてはいないのに。
 私は目を閉じて、枕に頭を埋めた。
 これからどうなるのだろう。
 これからの私は。
 体調が回復したら、宇宙艦ファインダーから降ろされるのだろか。
 世の中は非情だった。非情な世界しか私は知らなかった。だけれども今日、知ることができた。ナミ中佐やタケウチのように、わたしのようなものにでも手を差し伸べてくれる人たちがいるということを。
 目を開ける。
 声にだして口から息を吐く。
 新たに知ることのできた事実が、私の身体を起こしてくれる。
「……?」
 あんなに重かった腕が、肩が、上半身が、なぜだか自ら動きたがっているように感じられて、この不思議な感覚に戸惑いを覚えてしまう。
「騙し……騙したんだな? お前か……本当は、お前が殺したのか」
 不快な声の聞こえた方へ顔を向けると、真っ青な顔をしたジュノが私を指差して、口の端からよだれを垂らしていた。
「お前がバケモノだったんだな? 貨物船の乗員を殺し、今度はこの船の乗員を殺して回るつもりなんだろ?」
 指差した右手が震えていた。少し前まで絶えず太ももあたりで擦っていた指が。私が首からさげていたネックレスを掴んだ右手が。貨物船内で私が頻繁に触っていたネックレスを掴んだジュノの右手が震えていた
「やっぱり、やっぱりだ。やっぱりそうか。なんだ、その顔は? その身体は? バケモノ、バケモノめ。ようやく正体を現しやがったな!」
 違う。私ではない。私の問題ではない。正対したジュノへと、皮肉な真実を突きつけなければならない状況へと私は追い詰められる。追い詰められていく。
 異変に気づいたナミ中佐とタケウチが駆け寄ってくる。
 なにかが床の上に落ちて、大きな音とともに砕け散る。
 私はベッドの上。
 ジュノの震える右手はもう目の前に。
「――バケモノめ!」
 違う、
 そうじゃない。

「汚れたんだ」――血が。
 



——了


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引用・参考資料 敬称略

 『エイリアン』リドリー・スコット 監督
 『プロメテウス』リドリー・スコット 監督
 『汚れた血』レオス・カラックス 監督

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