死ねる図書館のこと
イタリア旅行記〜ミラノ編〜
ひとりで死ぬならここにしよう、そう決めた場所がある。
1607年に作られたアンブロジアーナ図書館。
私はスイスからイタリアに移動したばかりで、
初めてのミラノで初めての「最後の晩餐」をみるために朝から予約チケットを購入していた。
苦手なエスプレッソを立ち飲みしながら、地味そうだけど近いから行ってみようかと思い立ったのがアンブロジアーナ絵画館で、アンブロジアーナ図書館は同じ敷地内にある。
フィレンツェともローマとも違うなぁと思いながら、ミラノの街を20分ほど闊歩してたどりついたその入り口はやっぱり地味で、月曜だったか火曜だったか、週の頭だから人気もまばらだった。
いや、開館直後だったからかもしれない。
もちろん、まだコロナが流行る前のこと。
チケットを買って中に入る。
目に入るのは10人もいない。
そうして、奥にいけばいくほど、人の姿はどんどん失われていった。
昼まではあと2時間ほどあるし、そもそもおなかも空いていない。
(エスプレッソと一緒にスーパー甘いピスタチオコロネを食べた。)
思いっきり時間をかけて、好きな作品の前に立ち止まって会話した。
ヒトリというシアワセ。
写真を撮ったところで、決してこの作品は伝わらない。
そう思いながらも何度もシャッターを押した。
自己満足に浸りながら階段を上り、また作品と向き合い、廊下を進み、作品を謳歌し、
そうして、なんてことのない扉のなんてことのない黒い幕に出会った。
小さな上映開場の出入り口に設置されているような、
光を通さないための、あの真っ黒くて手触りのいい幕。
それがほんの少し斜めになって、幕と幕の間からわずかに向こう側が見えた。
幕を手で押しのければいい、そのはずだけど。
思わず小さな穴からのぞきこむ。
ちがう世界がそこにあった。
空気の質感がちがう。
色味がちがう。
凝縮された世界。
思わず一歩離れ、今いる場所に変化がないか見回した。
ひとつ呼吸をして、もう一度のぞきこむ。
それから唾をのみこんでそっと幕を押しやった。
それが、私とアンブロジアーナ図書館との出会い。
天井までぎっしりと詰め込まれた本は、
けっして飾りではない。
陳列された昔の本ではなかった。
その証拠に、上の本棚にまできちんとナンバリングがなされており、
壁にかかっているはしごは頻繁に使われているのが見てとれた。
生きている図書館。
図書館が生きている。
3~400年前に書かれた本たちは、
資格をもった研究者や大学生によって今日も手に取り読まれている。
書いた著者たちはこの部屋にとどまって、まだ対話をし続けている。
知る幸福、思考する幸福。
あぁ、宿っているものが多すぎる。
資格がない私は本を手に取ることもできないけれど、
それらを夢想し、勝手に泣いた。
この部屋につまっているたくさんのかけら、無数の想い。
ひとりじゃない。ここにいればひとりじゃない。
だからもし、この世界が人がいなくなって、
たった一人で死ななくてはいけないなら、
私はここで死を待つと決めた。
それはきっと、孤独ではない時間になる。
こちらが幕をくぐって最初にみた光景。
アンブロジアーナ美術館(写真を横に並べたい・・・)
徒歩20分の光景
ここからだと見えないのですが、パンにはピスタチオクリームがつまっていてめちゃくちゃ甘い。エスプレッソの苦さに合う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?