モンゴル滞在記 (7)ゲルと恐怖と砂漠と
東京の冷たさと。
東京に生まれた。東京で育った。東京に住んでいる。
ここは、効率よく暮らすには最適な場所だ。地下鉄も電車もバスも、様々な路線が無数に張り巡らされ、それらの時間は予定と大きくずれることがない。たてたスケジュールがそのせいで打ち砕かれることもめったにない。飲食店も無数にあるし、それらは海外の都市に比べると安価だ。どこでもキレイな水洗のトイレがある。便座が割れていることなんてめったにない。けっして当たり前ではないはずの「おもてなし」は当たり前のこととされ、頼んだ食事は比較的早くでてくる。わずかなことでも謝られる。どの駅も似てきていると言えば寂しくなるものの、けれど似ているが故にどこの駅でもある程度困ることはない。似たようなカフェがあり、似たようなドラッグストアがあり、似たようなアパレルショップがある。一度慣れれば深く思考することもなく、どこでも同じような生活スタイルを享受することができる。ここにいると「お客様」でいられる。私はこの都市が好きだ。この都市で効率よく暮らしていて、そして自分の能力を最大限に生かすことに集中している。それ以外のことを深く考えずとも生きていける。
そんな私たちは、便利さが当たり前だと感じている。「お客様」で「自分が当たり前と思っていること」に関するわがままは、当然のように受け入れられると思っている。
そして、たとえ「お客様」に精一杯奉仕している仕事についていたとしても、働いている場所を一歩でると、誰もが今度は自らが「お客様」になる。
だからだろうか。総体としてこの場所は冷たい。一人一人と話せば優しい人も多いのに、しかしこの都市は冷たいのだ。
それは、きっと自分が冷たくしたところで相手は別になんてことなく生きていけると思っているからじゃないだろうか。
これが砂漠や高原だったらそうはいかない。容赦無く照りつける太陽は、体力も水分も奪い去る。日光を遮る場所もなく、目印がない場所では、あっという間に道に迷い、力尽きてしまうだろう。
テントのような「ゲル」は、2~3時間で建てられる移動式の家だ。見た目よりもしっかりしているこのゲルは、南に向かって建っている。それは、道に迷った誰かが、ゲルを見かけただけで方角がわかるようにするためだ。なかには鍵がかかっていないゲルもあるという。喉が乾いて死にそうな誰かが助けを求めにきたとき、勝手に入って水分を飲めるようにするために。たしかに、生きるか死ぬかの時に、誰もいない、鍵のかかっているゲルにたどり着いてしまったら絶望しかない。家主が帰ってきた時にはすでに事切れている可能性もある。
ここでは根っこのところで誰もが優しい。それはきっと見知らぬ者に対する優しさがないと、相手が死ぬとわかっているからだろう。お互いが思い合わないと、死が突然隣にやってきてしまう。
砂漠に伝わっているという実話怖い話を聞いた。
「映画の撮影が終わった一行が、ぽつんと一軒だけ建っているゲルの前を通りがかった。中からおばあさんがでてきて、お茶でも飲んで行きなさいと招いてくれた。せっかくだからとみんながお茶をご馳走になった。ただ一人、運転手だけが変に思った。入れてくれたばかりのお茶が温かくないのだ。嫌な予感がして、彼だけはお茶を飲まなかった。その後、お茶を飲んだ人たちはみんな死んでしまった。」
この話を聞いた時、日本の怖い話とまるで違うことに驚いた。私たち日本人には、これはさして怖い話には感じない。でも、ここは死と隣合わせなのだ。だから「死」が怖い話として登場するのかもしれない。
日本ではこうはならない。怖い話には「死」ではなく、お化けや妖怪など、異形のものが登場する。「死」は結末として登場するものの、異形なものの世界に引き込まれる恐怖という方に馴染みがある。私たちには、「死」という恐怖よりも、「理解できないもの」の方が恐怖なのだ。
夜、ゲルの扉を開けて外にでた。どこまでも続く砂漠。吹き抜ける乾いた風。大地の下、化石となった生き物を想像する。ずっと前に「死」をむかえたものたち。
同じように、日本の山野で周りを見回した夜を思い出した。そこには無数の「生命」を感じた。山に野に住む動物。私たちに見えるか見えないか、それすらわからない異形のもの。それから山そのものの気配。すぐそこに、自分たちの理(ことわり)と違う理で生きている存在を感じた。
そう、それを感じるとき、私たちはすさまじい恐怖を感じるのだ。
「死」という恐怖。
「異形の生命」という恐怖。
砂漠の優しさ。
東京の冷たさ。
人間の感情の質。
吹き付ける砂を感じながら、そんなことを考えていた。
英語の記事はこちらから
https://ekotumi.medium.com/travel-to-mongolia-7-the-ger-the-desert-and-the-horror-9b88de1f1ed
モンゴル滞在記 次回は...
(8)ゴビ砂漠への旅
https://note.com/ekotumi/n/n7319796de9e0
(9)我夢に胡蝶となるか 胡蝶夢に我となるか
https://note.com/ekotumi/n/ne552689ffb0b
(10)赤い土地バヤンザグ
https://note.com/ekotumi/n/n6157eefc4a99
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