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モンゴル滞在記(9)我夢に胡蝶となるか 胡蝶夢に我となるか

我夢に胡蝶となるか 胡蝶夢に我となるか

「荘子」より。

ゴビ砂漠に到着した。
空、太陽、風、そして砂。
遠くに山が見えるときもある。なにも見えないときもある。
なにもないというべきなのだろうか、無数にあるというべきなのだろうか。

その「なにもない」ところへむかって一人で歩きだすと、不思議な感覚に襲われた。効率よく生きていたはずの東京の自分が、カフェでPCやスマホに向きあってカタカタと仕事をしている自分が、どんどん薄れてゆき、ゆらいでいったのだ。まるで夢の中のように。
目覚めたあとに、あれは果たしてリアルな夢だったのか、もしかしてもうひとつ世界があって私はそこで違う人生を生きているのではないか、そう感じることはないだろうか。今目覚めている現実が、足元からパラパラと砂のようにこぼれ落ちてゆきそうになる感覚。
夢ではないはずだ。
あと数日したら私は東京に帰るわけだし、きちんと時系列に沿って並べていけば、そもそもその東京から来ているはずなのである。何度も頭の中で繰り返す。それでも、すべてがおぼろげなものになってゆく。
果たして、どちらが本当の私なのだろう。
PCという小さな箱を通じて世界とつながる自分。
肌で、すべての感覚で世界をダイレクトに感じている自分。
見渡す限り日陰がない場所で、太陽の光がまっすぐに私に降り注ぐ。目眩をおこすほどの大きさで、目の前にこの世界が存在している。

何十人もカフェにいて誰もがPCをみている静けさと、ほかに誰もいない、自然の大きさに口を開くのをためらわれる静けさと、自分は一体どちらに属しているのだろう。

太陽がチリチリと首筋にふれてゆく。
私は、もしかしたらずっとこの場所にいたのではないか。
これから先もずっとこの場所にいるのではないか。

我夢に胡蝶となるか 胡蝶夢に我となるか

足元の砂が崩れ落ちてゆきそうで、手の先が砂になって壊れてゆきそうで、私は急に立ち止まった。美しいこの場所は、おそろしい。


ヨリーン・アム渓谷(Yolyn Am)

ヒゲワシの谷。標高2800m。夏なのに寒い。
次々に現れる岩山をみるたび、脳裏にたくさんの物語が浮かぶ。
深遠な物語が。


モルツォグ砂丘。(Moltsog els)


風に吹かれて砂が流れるという砂丘。
撮影中にも足元がリアルにどんどん崩れてゆく。
呼吸をするたびに砂が喉に入り込む。
耳に風が吹き付けるたび、それは砂も運んでくる。
踊るたび、腕の動きひとつ、顔の動きひとつ、身体が砂に変わってゆく。
飛んできた砂と混ざり合い、パラパラと吹かれてゆく。
輪郭が消える。
表皮が砂になる。飛んでゆく。
厚く近い雲と果てを知らない砂の中で、わたしは分解される。

英語の記事はこちらから

https://ekotumi.medium.com/travel-to-mongolia-9-chuang-tzus-the-dream-of-a-butterfly-bffaee1917f8

モンゴル滞在記 次回は最終回...
(10)赤い土地バヤンザグ
https://note.com/ekotumi/n/n6157eefc4a99

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