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8月に劇場で観た映画 CINTERTOTTING NOTES : 8/31/2020

「なぜ君は総理大臣になれないのか」
 劇場じゃなくオンライン上映会だったけれど、気になっていた新作。衆議院議員、小川淳也を17年間追ったドキュメンタリー。見応えがとてもあった。全面的に支えながらも、家族から「彼は政治家に向いてない」と漏れる本音が結論のように響いて、怖かった。なんとなくわかってはいたけど、政界は本当に異世界だ。

「アルプススタンドのはしの方」

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開催中止となってしまった夏の全国大会に代わって開催された交流試合が終わったころに観に行った。つまり私の胸には、異例の夏となってしまった高校野球の余韻でいっぱいだった。
 この映画の設定が「夏の甲子園球場、1回戦」であると言うことが全く腹落ちせず、その納得のいかなさが最後まで続いてしまった…。あまりにも実際のものとかけ離れすぎているし、何よりもかけ離れていることをどうにかしようという気持ちが伝わってこなかった。なので、物語の中で起きていることが信じられなくなってしまった。
 原作は母校がセンバツに21世紀枠で出場したときにアルプスで応援し、とても感動した一人の教師が書いた戯曲であること、映画化にあたり残念ながら甲子園球場での撮影許可が出なかったこと…全部わかっているけれど、あれが夏の甲子園だと言えるほど、どうしてそんなに拘らないで済んだのか、疑問の気持ちの方が大きかった。皮肉にも「しょうがない」というメッセージの方を強く感じてしまう。リアリティを感じれたのは黒豆茶が一番安かった、という点だったと思う。とても均一的な応援、個性的に映らない応援席の面々、売り子さんが一人も駆け上がらない階段、静まりかえる客席裏の通路…一体どうしてあれで良しとできたのだろう?
 その他の飲み込みづらい設定も気になった。例えば、激戦区である埼玉県の代表校でベンチ入りしているにもかかわらず、「万年補欠、めちゃ下手」と元チームメイトに表現されていたこの映画の重要人物である矢野。彼はある場面で代打で指名されて、指示通りのことを決める。その采配からは、監督に信頼されていて、技巧派である選手だということがうかがえる。(この采配が無茶だという意見も目にした)つまり元チームメイトがした彼の表現には到底合わない選手だということがわかる。途中で野球を投げ出した元チームメイトは、嫉妬から並べた言葉たちだったのだろう。
 でもあの映画は、観ている人に対し、「矢野は野球部員の中でほんの一握りに入る超絶野球がうまい人物」ときちんと認識させれていただろうか。「人数がたりないからベンチには入れてるけど実力はナシ、しかし練習頑張ってるし奇跡を起こせるかもしれない人物」というイメージを抱かせるようなミスリードをしていなかっただろうか?少なくとも、後のドラマティックな展開を最大限に引き出すため、私には矢野がそういう役割を与えられているかのように感じてしまった。私の勝手な印象の押し付けだったら申し訳ないけれど、終盤、応援席がとても盛り上がる演出だったのはそういうイメージの前置きがあったからではないだろうか。
 甲子園球場での撮影が不可能で、『エース4番のスターはいるが選手層は薄い危ういチーム』という設定の方を生かしたいのなら地方大会の初戦にした方がよかったのではないだろうか、という意見を多く見た。私もそう思う。そうすることによって、より強く「それでも野球をする意味」というメッセージの説得力も増す。そうであれば私にとってこの映画は全然違った印象になったと思う。
 これは私の勝手な予想でしか無いけれど、甲子園球場にしかない「アルプススタンド」という名詞を使い続けたかったのかもしれない。そして、原作者の原体験である春のセンバツという設定ではなく、夏の大会に変更しているという点からも「夏の甲子園球場」という非常にマジカルな舞台にすることでドラマ性に重みを持たせたかったのかなと予想できる。多くの矛盾を抱えることになったのだけれど、それよりも感動のためのカードを揃えることの方が大事だったのかもしれない。
 不運だった演劇部の部員たち、周りと馴染めない優等生、必死にもがいている「中間」にいる者、迷いのある熱血教師、野球を諦めてしまった生徒…そういったひとりひとりに寄り添う優しさは感じられても、『高校野球』に寄り添えてない気がしてならなかった。例えば、この映画が語った高校演劇に対するリアリティに、グっと心が掴まれるものがあるのであれば、それは野球という側面に対してもそうである誠実さも感じたい。野球だけ『逆』特別扱いになってしまっていて、感動という要素だけが仲間にいれてもらっているように見えてしまい、高校野球ファンとしてはその図式が悲しくなった。

「ブックスマート」
 オリヴィア・ワイルド初監督作品。前評判通りとても面白くて、たくさんの工夫と丁寧な愛情がかけられた作品でスカっとした気持ちになった。前半、やや継ぎ接ぎ感があり、あくまで前振りなんだろうな〜と感じられて早く核心に進んでほしいという気持ちがあった。(トレイラーを見すぎたのかも…)なので後半の若者たちの心のこもった交流の様子は、ずっと観ていられるくらい楽しくて切なくて瑞々しかった。それにしてもイケてる子達ばかりだったな。すごい高校だ。未来はあかるいね。

「ハニーボーイ」
 幼い頃からコメディアンとして活躍しているシャイア・ラブーフがPTSDを診断され、セラピーの一環として自伝的脚本を書き、映画化となったこの作品。彼に子ども時代を与えなかった自身の父親役を自ら演じている。なんという試みだと思う。
 この父の描写が本当にすごい。言うこと全て、スクリーンに映った一言目から、ものすごくイヤな気分になる。周囲はもちろん息子へのマウンティングがみっともなさすぎる。それでも息子は、お父さんからの愛情がただ欲しいだけ。そしてそれは父自身も同じだった。観ているのがすごく辛かった。
 幼いころのシャイアをノア・ジュプ、そして大人になってセラピーを受ける彼はルーカス・ヘッジズがそれぞれ演じきる。最初は、え、似てないけどなと思ったけどちゃんと二人の間に時の繋がりを感じられる演出と佇まいのエコーだった。そんな中FKA Twigsの唯一無二の存在感も光った。

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