【推理小説】『十角館の殺人』を再読し改めて「これはミステリ好きほど騙されるわ!」と納得した理由
※『十角館の殺人』について思い切りネタバレするので未読・未見の方はご注意ください。
――あぁ、おもしろかった。やっぱりすごい。
最近何かと、というか映像化で話題沸騰中の綾辻行人『十角館の殺人 新装改訂版』(講談社文庫/税別695円)を、久しぶりに読み返してみた。
それで思ったのは、あぁこれはミステリが好きな人ほどキレイに騙されるようにできているな、ということ。
いや、私だけなのか? どうだろう。
少なくともこの本を初めて読んだ20代前半 ―25年くらい前― の私は、「ミステリの知識にある程度は覚えあり」と、鼻をふくらませていたと思う(笑)。あぁ、恥ずかしい。
そのせいなのか、いや誰でも大抵は騙されるようにできているのか、何はともあれ初読の際の自分が何を考えながら読んでいたのか、再読してすっかり思い出した。
ある意味で、この話に登場する「ミステリ好きを自認する若者達」と似たような知識と思考を持っていた当時の私が、なぜこの作品にすっかりうっかりキレイに騙されたのか、当時の感想を思い出してみたいと思う。
ーーちなみに、「すっかり騙された」というのはもちろん最高級の賛辞です。
1・ メンバーがお互いをミステリ作家の名前で呼び合っていることに、なんの違和感も抱かない
エラリイ、アガサ、ポウ・・・と呼び合うメンバー達。
もしかしたら特に「本格ミステリ好き」じゃない人がこれを読んだら、「すごいオタクな人達・・・いやまてよ、もしかしたらこれにも何か意味があるのか?」と疑う可能性だってあるかもしれない。
けれど私は彼らの気持ちをすんなり理解してしまい、
「いいなぁ私も生まれ変わったらミステリ研究会のある大学でこんな風に青春を謳歌したい!」とうっとりしてしまう。そしてこれが重要な伏線になっていることなど露ほども思わないのだった。
2・ もうエラリイ・クイーンが出てきたら探偵役に決まってるじゃない、と思う
ミステリ研究会のメンバーにはエラリイと呼ばれる人物がいて、しかも何やらリーダー格。冒頭から本格ミステリ理論まで語っている。だからこれから起こる事件に関しても、エラリイが探偵役となって「論理的に」推理・解決、またはそれに近い役割を担うに違いない、だってエラリイ・クイーンなんだから・・・と、簡単に名前のイメージにとらわれる(エラリイ・クイーンは作家名であり名探偵の名前でもある)。
3・ 『そして誰もいなくなった』みたいになってるよと思い、設定にすっかりのまれる
※『そして誰もいなくなった』のネタバレがあります
孤島で、館で、1人ひとり殺されていく・・・といういかにもな設定が嬉しすぎて、「クリスティの『そして誰もいなくなった』みたいになるのかな? 途中で殺されたと思っていた人がじつは生きているのかな?」と興奮。島の中だけで事件が展開&完結すると思い込み、自分の中途半端な知識にミスリードされてしまう(笑)。
※アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』(ハヤカワ文庫/税別940円)
4・ 本土一日目「江南」の名に歓喜、島のメンバーも本名とニックネームがシンクロしていると想像する
本土の主人公として「江南(かわみなみ)」という青年が登場し、島田潔と同様「コナンだ!」と嬉しくなってしまう。
これは当時、ミステリ好きとしてはかなり大きな喜びだった。なぜなら一般的な知識として、シャーロック・ホームズを知っていても作者コナン・ドイルの名を認識している人は今よりもっと少なかったからだ。
現在、コナンの名が広まっているのは言うまでもなく「名探偵コナン」のおかげだけど、『十角館の殺人』が刊行されたのは1987年で、名探偵コナンの連載開始は1994年、アニメの放送開始は1996年。「コナン・ドイル」と言ってピンとくる人がずっと少なかった時代である。
というわけで当時の私は「いいねぇ、江南=コナン いいねぇ、ミステリマニアの心、くすぐるねぇ」と舞い上がり、島のメンバーも少なからず本名とニックネームが何かしらリンクしているのだろう(音とか漢字の意味とか)・・・と思い込んでしまった。
「守須」に関する、大いなる勘違いの始まりである。作者の手のひらでウキウキと踊り始める私。
5・ そしてそのまま「守須」の登場に「やだぁモーリス・ルブランじゃない」と湧き立つ
本土一日目、「コナン」に続いて「守須(もりす)」が登場し、「またも作者の遊び心」と嬉しくなってしまう。そして、怪盗ルパンの生みの親であるフランスの作家モーリス・ルブランに思いを馳せる・・・本当はまったく関係ないのに。
そしてまた、こうも思う。「ルパンは有名でも作者の名前まで即座にピンとくる人はなかなかの本好き、ミステリ好きだよね! それにコナン・ドイルとモーリス・ルブランが友人ってことは、場外(島外)でルパン対ホームズの推理対決がみられたりするのかな?」 ダメすぎる予想。
・・・たぶん、こういう知識がない人のほうが、余計なことを考えず、「この新たな登場人物(守須)は果たしてシロなのか?」と少しは疑ったりするのかもしれない。
余談だけどこの本の刊行時、前述したように名探偵コナンはまだ存在していないので(私が読んだ時にはもうテレビ放送されていたけど、今ほど有名じゃなかった)、毛利蘭の名前の由来として「モーリス・ルブラン」を知っている人も多くなかった。ので、即座にぜんぶわかっちゃう私ってすごい! と当時の自分は思ってしまったのである。若気の至り。
6・ 「安楽椅子探偵」と言った時点で、〝守須の小説内の立ち位置〟をすっかり理解(誤解)する
p117で守須が「とりあえず僕は、安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)を気取らせてもらうことにするよ」と言った時点で、「安楽椅子探偵まで出てきちゃったよ!」と大興奮。ミステリ好きはみんな「安楽椅子探偵」が大好きなのだ(たぶん)。なにしろ格好いいから。
ここで一般的な読者なら「ふ~ん、そういう探偵もいるのか」と思う程度かもしれないが、生粋のミステリ好きはそうもいかない。「安楽椅子探偵が、集められた客観的な情報だけで謎を解く」さまを期待してしまうのだ。
そしてこうも思った。「ははぁ、本土部隊の主人公である江南はどこまで推理力があるか未知数だし、島田潔はミステリマニアの観点からいろいろ意見を出したり行動は起こすけど、集まった情報から客観的に事態を分析する立ち位置の人が必要だ。だから守須が出てきたのだ!」・・・と(しょうもない)。
それに加えて、もしかしたら最後はエラリイ・クイーン、コナン・ドイル、モーリス・ルブランがそれぞれの推理を披露するのかもしれない。案の定、エラリイはなかなか殺されないし・・・とかそんなことも思っていた。
7・ そして島田警部が「あの質問」をするその瞬間まで、信じて疑わない
話がラストに近づいても、「誰も守須が『モーリス・ルブラン』だって言及しないんだな・・・別にいいけど。しょせん小ネタだろうし」と思っていたら、やっと警部が「調子に乗って」尋ねてくれる。
この「調子に乗った」警部の心情は私とまったく同じで、「俺わかっちゃった」と嬉しくなったささやかな優越感だろう。「きっと君はサークルに入った時、速攻で『お前モーリス・ルブランね!』って決まったんだろうな、とか思っている。・・・あと3行で世界がひっくり返るのに。
そして、
ーーヴァン・ダインです。
ーーヴァン・ダインです
ーーヴァン・ダインです
の衝撃。
え~と。
・・・これなに?
私はこの時、ろくに寝ないで一気読みしていたから、目がかすれたのかと思った。
本当にその一行を読む瞬間まで、まったく疑っていなかったのである。
――いや、だってね・・・・。
エラリイ・クイーンとか、アガサ・クリスティとか、ガストン・ルルウとか、エドガー・アラン・ポウとかに比べたら、なんかヴァン・ダインって、地味じゃないですか?(巨匠すみません)
いやもちろん、読んだ。グリーン家殺人事件とか、僧正殺人事件とか。でも、ヴァン・ダインが犯人って思わないよね。作品はともかく、作家としてのキャラはあまり知られてないし・・・(この時、パニックのため意味不明なロジックに陥る)。
そう、私は恥ずかしながら、なまじ「少し」ミステリの知識があっただけに、勝手なイメージを抱き、勝手に騙されたのだった。
思えば、島田荘司『占星術殺人事件』の解決編を読んだときは、「えええっ!」と叫んで本当に椅子から転がり落ちそうになったけど(逆に何も予想できていなかった)、十角館の「その一行」を読んだときは、自分の抱いていた世界とまったく違ったため、理解が追い付かず、真顔で一回本を閉じた覚えがある。
※島田荘司『改訂完全版 占星術殺人事件』(講談社文庫/税別838円)
そして本を床に置き、しばらく空(くう)をみつめていた。
その後、ゆっくり本を手に取り、感情を失った状態で残りの文字を追い、読了後、少し寝た記憶がある。
起きて、気分が落ち着いたあと、私は笑った。
すっかりすっきり騙された自分がおかしくて笑ったし、掛け値なしにすごい本を読んだという充実感に満たされていたし、とてつもなく、すがすがしい気持ちだったと思う。
だからミステリはやめられないと感動した。
ドラマもいいけど、この衝撃はやっぱり、最初は本で、文章でたくさんの人に味わってもらえたらな・・・と願ってしまう。
――これは余談なのだけど、もし叶うなら、島田潔がどうして守須を怪しいと感じたのか、その推理の過程をつづった番外編があったら読んでみたいと思う。
おそらく「それができたのは誰か」という観点からその推理にいきついたのだとは思うけど、「最初に怪しいと思ったのはいつか」みたいな話が聞けたら興味深い。
は~。
おもしろいな・・・ミステリ。
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