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(15)5歳頃からの積読本が「本読む子」への最短ルートでした~10年前に出会ったママさんへ~


  お手紙、つづきです。 

「家にある本で、デジタル漬けになる前に『読む』習慣を」

 ・・・というお話をしています。

 低学年までは動画やゲームがなくても十分楽しく過ごせます。
 「みんな見てる」「そういう時代」は少し横においといて・・・
 〝読む楽しみ〟にすんなり出会える時期を大切にしたいなと思います。
 
               
・お手紙(14)はこちらからどうぞ。
(14)5歳頃からの積読本が「本読む子」への最短ルートでした~10年前に出会ったママさんへ~|涼原永美 (note.com)
 
 
 今日は、

「二度と戻らない子ども時代に物語を『読む』ということ 

                        その3」
 
・・・というお話です。
 
 
 さて、シオリさん。
 子ども時代に長めの物語を読んでほしい理由は、まだあります。
 
 
  ――それは、長編を読むことはロジカルシンキング(論理的思考)に役立つからなんです。
 
 論理的思考ってよく聞く言葉ですが、それは、理系のものの考え方だけではないんですね。
 

 長めの物語・・・例えば200~300ページくらいの物語・小説だとして、最後のページに行きつくまでにそれだけの文章量・ページ数を使ってエピソードを積み重ねているわけですから、当然、最後の締めも作者なりに頭を絞って書き上げているはずです。
 
 ーーそうでないと、書いていても、読んでいても納得しませんからね!
 
 そうなると読み手は、「いろんな出来事や感情がひとつのラストに向かって収束していく」・・・という経験を頭の中に積んでいくことができます。
  

 こういう経験は、なかなか日常生活ではできません。

 あったとしても、じっくり振り返ったりしません(子どもは)。


 そうして読み重ねるごとに、
「こうだから、こうなった」「これが、あれに繋がった・・・」という
(あくまで物語上ではありますが)論理的な思考や解釈を理解するようになります。
 
 
 論理的思考って、ロジカルシンキングとも言われて、プログラミング的思考と組み合わせて語られることが最近では多いですが、たくさんの優れた物語・小説を読むことでも鍛えることができます
 (ちなみに私は名探偵ポワロの推理法で学びました・・・笑)
 

 なぜなら、

よくできた物語は登場人物の思考や感情、出来事が「ひとつのラスト、ひとつの解答」に向かって整理されていく過程をきちんと書いているから

 ・・・なんです。
 
 どんなラスト、どんな解答が提示されるかは作家や物語によりますが、
そこには

ひとつの文章で構築されたロジック

があります。
 
 
 文学ですから、すっきり終わる結末じゃないこともありますが、それも含めて自分なりに検討することがいいんですね。

 
 ーーそれはとっても、頭を使うことです。
 ーー子どもにとっても、すごく良いことです。
 
 
 数学やプログラミングと違って、「確かな解答」や「効率性」は重視されれないけれど、それも含めて「文章で綴られるひとつの思考」を学ぶことができます。
 
 
 その、「文章で綴られるひとつの思考」に対して、共感したり感動したりする人がとりわけ多い作品がベストセラーになったり、名作や話題作と呼ばれたりするわけですね。
 
 
 そういったものを繰り返し読むことで、子どもは人間関係や出来事を客観的に見る冷静さだったり、起こった出来事を自分なりに整理する思考力だったり・・・を、身に付けていくのではないかと思います。
 

 
  ――そしてまた、

優れた物語・小説には「本質的な解決」が描かれることが多い

と思うんです。
 
 
 ーーどういうことかと言うと、具体的にはたとえば
「主人公が敵を倒した後、本当の意味で心の平穏を手に入れたかどうか」
 が書かれる・・・ということです。
 
 
 ストーリーとしては、主人公VS敵のような構図がずっと書かれていたとしても、敵を倒してすべて解決、バンザイ!・・・では終わらないぞ、というのはおとなからすると当然のこと。

 
 そこに至るまでの道のりで、たとえば大切な人を失ったりすれば、
その心の傷とどう向き合うか、未来にどんな希望を持って生きるか・・・
そういうことが生きることの本質
となるわけですよね。
 
 
 例えとして取り上げやすいのでまたハリー・ポッターの話になりますが・・・(未見の方、ネタバレがあるのでご注意を)、
  


 たとえばハリーが最終巻でヴォルデモートを倒しましたが、
 そこで話は終わりません


 最終章ではその19年後、ハリー達がどんな様子で生きているか・・・が書かれていて、そこまで読んで初めて、読者は「ああよかった!」と安心することができますよね。

 
 そしてまた、舞台用に書かれた続編でもある「ハリー・ポッターと呪いの子」(作/J.K.ローリング、ジョン・ティファニー、ジャック・ソーン/訳・松岡佑子/静山社)では、ハリーの父親としての苦悩が書かれていたりもします(舞台は見ていませんが、本を読んだので・・・)。
 

 これ、ストーリーの横軸は、ハリーの息子アルバスとドラコ・マルフォイの息子スコーピウスという少年2人の冒険ではありますが、縦軸としてハリーとアルバスの悩み深い親子関係が綴られています。

 
 そうしてラストにはひとつの解答が得られるわけですが、それは作者J.K.ローリング氏からの
「人はどうしたら日々幸せに過ごすことができるのかを一生考えていく生き物かもしれない」・・・というメッセージと私には受け取れるのでした。
 
 
(余談ですが・・・この『ハリー・ポッターと呪いの子』、マルフォイの息子スコーピウスを主人公のひとりにしているところが・・・かなりグッときました。呪いの子、というタイトルにも二重三重の意味があり、興味深かったです!)
 
 
 そんなふうにして、

優れた物語ほどつねに本質的な問いを投げかけてくれる

 ・・・ものだと私は思っています。
 
 
 私は、

子どもにも本質的な問いは必要

 だと考えています。
 
 
 それは、親が子に投げかけるものとしてはたぶんクドイものでしょう・・・。
 
 日常的に「君はどう生きるのか!」と問う親には、もちろん私だってなりたくありません・・・。
 
 
 けれども物語には水面下にいつもその問いがあり、しかもワクワクする物語の中にさりげなく教訓をしのばせているので、子どもは自然とそれを受け取ることができます。
 
 
 どんな風に生きたいのか、誰みたいになりたいのか、どんなものが本当の優しさなのか・・・そういう憧れやイメージは、子どもにも必要です。

 ーーいえ、子どもにこそ必要なものかもしれませんね。

 
 漠然としていてもいいんです。


 それでもこの混沌とした現代には、よりいっそう必要なものじゃないか・・・と思います。

 
 本質的で大切なことを親が子に伝えきるのが難しいと思ったら、
本に頼ってみるのもいいかもしれませんね

 
 けれどもそれは、決して学習マンガや偉人伝「だけ」を本棚に並べることではなく・・・たくさんある(その子にとって)おもしろい本のなかに、たまたまそういうものもある・・・程度がいいかな、と思います。

 

 子どもが本の中の登場人物を好きになり、その幸せを願いながらページをめくっていくようなシチュエーションがあれば・・・素敵かもしれませんね。


 お手紙、続きます。


〈泣きながら「幸せになる?」と本いだく
      「知りたい?」と母 「・・・読んでみる」と君〉


・お手紙(16)はこちらからどうぞ。
(16)5歳頃からの積読本が「本読む子」への最短ルートでした~10年前に出会ったママさんへ~|涼原永美 (note.com)


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