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【共同親権】子どもだって「愛したい」んじゃないかな…と思った話

 
 共同親権について、基本的には賛成です。
 私は、子どもに対して何も悪いことをしていないのに子どもと引き離され、会えないまま亡くなった親(私の姉)を知っているので、この先そういう思いをする人がいなくなるようにと願っています。

 けれど共同親権に関して不安を抱える人がいるのも、親権問題は一筋縄ではいかないことも、理解しているつもりです。

 姉が見舞われたのは親権以前の問題でした。大人同士の感情のぶつかり合いに子どもを巻き込んだことが、最もやってはいけないことだったと個人的には思います。

(↓もし読んで頂けるのなら詳しくはこちら↓)
〈手記1〉余命ゼロの姉、スローな調停で子に会えず、無念死[前編]|涼原永美 (note.com)
 
 
 いちばんの当事者は間に立った子どもです。けれど当の本人は、「そのとき本当に何が起こっているのか(いたのか)」をよく知らず、ずいぶん成長してから「子どものときに聞かされていた話と違う・・・」と戸惑うことも多いようです。

 子どもは心の底では、両親の不和や、片方の親と離れることについて、どんなふうに感じているのでしょうか

 いまから書くのは私が友人から聞いた話――友人の友人(真理さん)の体験です。ひとつのケースとして、書き留めておきたいと思います(本当にあった話を、少し変えています)。


■母親・真理さんと娘・遥香さんの別れ

 今から17年ほど前、真理さんは離婚を経験。夫との間には当時5歳の1人娘・遥香さんがいました。夫婦の間は、浮気のような決定的なものではないものの、性格や価値観の不一致、積もり積もった日常の不満等があり、真理さんが家を出ていくことに。夫は遥香さんをとても可愛がっていて、「離婚して君が出ていくのは勝手だが、娘はおいていけ」と強く主張したそうです。

 真理さんにとって娘と離れるのは断腸の思いでしたが、そのときはどうしても離婚したい気持ちが強く、泣く泣く遥香さんを手放しました。「あんなに後悔するものと思わなかった。若かった」と真理さんは振り返ります。

 出ていく以上、「娘には二度と会わない、いっさい関わらない」というのが夫との約束だったそうです。離婚を望んだのは自分なのだから、これも仕方ない・・・と真理さんは自分に言い聞かせました。

 数年が経ち、真理さんは風の便りで、遥香さんが小さな頃から習っていたピアノのコンクールで入賞を果たすほどの腕前に成長したことを知ります。
 それから、インターネットなどで調べると、たびたびコンクールや発表会でピアノを弾いているであろう娘の名前を目にするようになりました。元気にしている・・・真理さんは嬉しかったそうです。夫婦仲は良くありませんでしたが、夫が娘を大切に育ててくれているであろうことに、深く感謝したと言います。

 たまに遥香さんの話をする時は、真理さんは決まって友人に「私は子どもを捨てたひどい母親。絶対に会ってはいけないから・・・」と言っていたそうです。それでも、「いつか遥香に渡したい」と働いたお金をコツコツ貯めていました。会いに行きたいという、どうしようもない衝動に駆られることもありましたが、夫や娘にとって迷惑でしかないと思い、成長した姿を想像するにとどめていたと言います。


■新しい出会い・・・再婚と息子の誕生

 
 離婚して10年ほど経った頃、真理さんには新しい出会いがあり、再婚することに。再婚相手の男性は、真理さんの過去や、手放した娘がいることもすべて受け入れてくれたそうです。そうして2人の間には、男の子がひとり産まれました。この男の子を、勇人くんと呼びます。
 そして、勇人くんが小学生になった頃のことです。

 真理さんはある日、ひとりで地元小学生のピアノ発表会に出向きました。勇人くんはピアノを習っていませんし、特に知り合いも出演しないのですが、じつは真理さんは、誰も知り合いのいないピアノ発表会を鑑賞することが、すっかり趣味になっていたのです。

 もともと音楽が好きだったこともありますが、子どもが一生懸命にピアノを弾いている様子を見ると、遥香さんの姿を思い浮かべ、心が癒されたことが大きかったそうです。発表会の情報を見かけて、誰でも鑑賞できる会と知ると、よく出かけていたのでした。

 ――すると驚くことが起きます。休憩時間のロビーで、「・・・お母さん?」と声をかけられたのです。
 

■思いがけない再会

 
 思わず振り向くと、若い女性がひとり、目を見開いて真理さんを真正面から見つめています。
 真理さんは、考える間もなく「遥香?」と口にしてしまったそうです。17年ぶりで、その間いちども遥香さんの写真すら見たことがなかったのに、一瞬で確信したと言います。ダメだ・・・と思っても、次の瞬間には2人とも号泣していました。

 どうにもならなくなり、2人で会場を出て少し話をしたところ、遥香さんは知り合いの演奏を聴くために観客として会場を訪れていたと話してくれました。なぜ、ちらりと見かけただけで真理さんのことがわかったのか、この時は聞く余裕もありませんでした。

 真理さんが母親だと確信すると、遥香さんは驚くほど必死に「お母さんに会いたい、これからも会いたい、連絡先を交換したい」と訴えたそうです。

 このときはお互いに時間もなく、動揺もしていたため、後日改めて話そうということになり、連絡先を交換したうえでいったん別れました。

 遥香さんはこのとき、22歳になっていました。


■「写真を見てた。ずっと会いたかった」

 
 数日後、真理さんと遥香さんはファミリーレストランで再会。
 それまで真理さんは悩んでいました。夫に相談したところ「いいじゃないか。俺と勇人に遠慮せず、これからは遥香さんとも普通に親子として交流すればいい。勇人にはいずれちゃんと話そう」との返事。
 その言葉に背中を押され、真理さんは遥香さんと向き合うことを決意します。

 遥香さんと改めて会ったとき、真理さんは自分の気持ちやいまの状況を正直に伝えました。

 ――育ててあげられず申し訳なかったこと、会えて嬉しいということ。
 ――自分は再婚し、夫と息子がいること。
 ――遥香さんをこんなに立派に育てたのはお父さん(元夫)だから、感謝している。だからもしお父さんに反対されたら、やはり会いづらいということ。

 すると遥香さんは言いました。

 ――お父さんとは話をした。もう大人だから、自分の意思でお母さんに会ってもいいと言ってくれた
 ――お母さんに新しい家族がいても構わない。迷惑でなければ弟(勇人くん)にも会って、仲良くしたい。
 ――中学生になったときにお父さんに頼んで、お母さんの写真を見せてもらった。それからずっと会いたかったが、お父さんが悲しむと思って言えなかった
 ――お父さんは、子どもの自分にお母さんのことを一度も悪く言わなかった。自分もあまりちゃんと事情を聞けなかった。
 ――いまは保育士を目指して、アルバイトをしながら勉強している。

 
 こうして話をするうちに、お互いのいまの家族が辛い思いをしないようなら、これからは普通に会いましょう・・・ということになったそうです。

 真理さんと遥香さんは、17年間の空白を取り戻すかのように、月に1回ほど一緒に食事をしたり、買い物を楽しんだりするようになりました。

 真理さんにとっては夢のような時間です。けれどどうしても、ある疑問と、罪悪感が消えないと言います。


■私を憎んでないの? なぜって思わないの?

 
 ――自分は、憎まれていないのだろうか。

 じつは遥香さんは、真理さんが驚くほど「お母さん、お母さん」と甘えてくるそうです。腕を組んだり、抱き着いてきたりというスキンシップは嬉しいのですが、22歳という年齢にしては過剰じゃないか・・・と思うほど。今日こんなことがあったよ・・・というラインも、親友のように頻繁に送られてきます。

 そしてそれ以上に気になるのが、「お母さんは何が食べたい?私がごちそうしてあげる」「何か欲しいものない?買ってあげる」と言ってくれること。「自分でアルバイトしたお金は自分のために使いなさい。お金は私が払うから」と遠慮すると、「私がお母さんに何かしてあげたいの!」と言います。


 真理さんは、意外でした。
 この17年間、自分はてっきり憎まれていると思っていたのです。


 自分はこの17年間、何もしてあげていない。母親として慕われる資格はないし、それにいまから急に娘と愛情の交換をするのは、こんなに立派に育ててくれた元夫に申し訳ない。

 いちど真理さんは思い切って、遥香さんに尋ねてみました。
 「私はあなたをおいて家を出ていったんだよ。怒ってないの?」
 すると遥香さんは、
 「そんなこと言わないで・・・」と泣いてしまったそうです。


 いま、真理さんはとても複雑な思いを抱えながら遥香さんと交流を続けているそうです。もちろん遥香さんのことは愛している。でも自分のしたこと、しなかったことは、許されるのだろうか・・・。


■子どもだって愛したいんじゃないかな

 
 この話を聞いてどんな感想を抱くかは、人によって違うでしょう。
 答えはありません。
 「こういう方面の参考にしてほしい」という特別な意図も私にはありません。

 ただ、それぞれに何を感じるか、ということだと思います。

 私が最初に感じたのは、「子どもだって愛したいんじゃないかな」ということでした。

 子どもには周囲の大人が愛情を与えることが必要です。でもそれと同時に、子どもだって自分にとって大切な人を愛したいのではないでしょうか。

 周囲から愛情を受け取って育った子どもは、教えなくてもやがて人に優しく接しはじめます。「ママ肩痛いの? もんであげようか」とか「パパ大好き」とくっついたりする子どもがいますが、あれは立派な愛情表現。自分より小さな子に一生懸命親切にしようとする子どももいます。ひとつの人格として、不器用で不完全ながらも愛というものを表現しているのではないでしょうか。

 親の不和の影響を受ける子どもは、もしかしたら、愛情を受ける機会を奪われる(減らされる)だけでなく、愛する機会を奪われている(減らされている)のかもしれない・・・と思うことがあります。
 本当はパパを愛したかった、本当はママを愛したかった・・・そんな本音は、レアケースなのでしょうか


 離婚や別居、親の不和がダメだと言っているのではありません・・・。誰にだって、そういうことは起こり得ます。夫婦が円満じゃないとき、頑張りが足りないと言われたって、ダメになるときはなるんです。

 ただ、親権問題にしても、子ども本人は何を感じているのか、何にいちばん寂しさを感じながら成長するのかーーこのことは本質的な問題として考えていかなければならないと思います。

 個人的にいちばん良くないのは、「愛する機会を減らす」ことより「憎しみを教える」ことだと思いますけどね・・・。これは辛いです。

(もちろん、虐待、DV等を行う親の問題はまったく別です)


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 ――遥香さんはいま、必死でお母さんを愛することを取り戻そうとしているように、私には思えます。

 どうか真理さんと遥香さんと家族のみなさんが、これから平穏で温かい日々を過ごせますようにと願っています。


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