「音楽をやりたい」と必死に考え続けていたら、あることが見えてきた

以前から考えてきた「音楽ができる人」と「できない人」の違いについて、最近気づきがありました。

【1】これまでの経緯

これまで考えてきたことについて整理してみます。
それはさまざまな理由がありましたが、「音楽ができる人」である講師の教育に違和感を覚えたことがそのひとつでした。
彼らが「やっていればできるようになる」ということが実際はいくら練習してもできないのです。

その理由について体験とそこからの考察で、「無意識的な脳の機能」や「リズムの根源」にありそう、というところまではわかったのですが、これまでは、プロですら言語化できないという状況を確認するまででした。

「強い4分」や「拍」と呼ばれるものであることは間違いなさそうな気がするのですが、
●言語化できない。
●「音楽ができる人」にとっては当たり前すぎる、そして「練習していればできるようになる」と考えている。
●体得しづらい。
●練習法がない。

という特徴があると考えています。

【2】その理由について

なぜそうなるのか?についてずっと考えてきて最近、閃きました。

●「音楽ができる」とは「拍」(=強い4分?)を持っているかどうか、なのではないか。
「拍」を使う時、その人の脳はあるモード(ゾーン)に入るのではないか。
●それは子供(成長中の脳)にしか習得できないのではないか。

こう考えると、
「音楽ができる人にとって当たり前すぎること」も、
「言語化できないこと」も、
「教えられないこと」も、
全てが合点がいくのです。
付け加えるなら、トップの人ほどスピリチュアル系のような説明になっていくことも、です。

【3】「楽しんでいればうまくなる」の誤解

この考えで、さらに合点がいったのが、「音楽は楽しまなければいけない」という世に蔓延る脅迫概念です。強い違和感を感じる考えでした。
しかし、「音楽を楽しめ」というのは雑すぎる概念で、正確には「その脳モードに入れ」ということなのだと考えると、納得できるのです。
この「脳モード」は、「夢中」「ゾーン」と言い換えることができるかと思います。

【4】音楽教育に欠けているのはメンタルトレーニング的なもの?

このゾーンに入ることを、仮に「拍=強い4分」というスキルと呼ぶとして、「拍」を使うためのゾーンに入ることは習得できるのか?が問題です。
正直、わかりません。
脳内第一言語並みの深いところへのインストール、いやフォーマッティングに近いかもしれません。
大人の脳にそんなことが可能であるのか?
確かなのは、これまでの通常の「練習」では手に入らないということです。

音楽の練習とはたぶん、運動の自動化だけでなく、ゾーンへの入り方も同時、もしくは並行して行うべきなのかもしれない、と考えています。
しかし、そんな概念すらないですし、講師が考えられるわけがありません。
現状では脳生理学による裏付けも厳しいと思います。なのでオカルトやスピリチュアルの域を出ません。
でもスポーツの分野ではメンタルトレーニングとして取り組まれています。

なので私はこの辺りを考えていく必要があると思います。
以上が、現状の気づきと考えです。

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