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"音楽ができる人"との「断絶」に気づいた話

先日、「音楽ができる人とできない人がお互いを認識ができないことを「断絶」と呼んでいます。」と書きました。

その「断絶」に気づいた経緯を思い返し、整理してみました。

【1】「できる人」の"見えるもの・聞いているもの"が私には見えなかった。

絶対音感のある人とバンドをした時、その人たちの話していることがわかりませんでした。

【2】先生の話が納得できなかった。

最初、プレイヤーとして活躍している先生につきました。
その時は、「すごいプレイヤーならきっと教えるのも上手だろう」という思いでした。
しかし、何年も授業を受けても先生の意識と自分の感覚が合わない印象がありました。
先生が「誰でもできると考えているレベル」が自分にははるか遠くに感じました。
それを先生に訴えても、先生は「自分の指導通りにやっているうちに習得できる」と仰いました。
私はそうには思えませんでした。
そこで違う先生につきました。しかし、その先生も「自分の指導通りにやっているうちに習得できる」という回答でした。

そのあたりから、だんだん気づいてきました。
この人たちは、自分の子供時代の経験で話しているのではないか?

子供の指導だったらそれで正解なのだと思います。
でも大人ではダメだと思うのです。
この人たちは実績のあるプレイヤーではあるのですが、教育のプロではないと気づきました。
「できる人」は「なぜできないのか」がわかりません。大人になってから音楽の基礎能力が習得できない事実を認識していません。
ほとんどの人が、ただの練習不足だと思っています。そのことで苦悩した経験がないからです。

【3】ライブハウスで「できる人」と「できない人」の違いが大きいと感じた

ライブハウスのオープンマイクを何回か見て、「音楽ができる人」と「できない人」がはっきり別れると感じました。
ベテランであっても、練習してないわけではなさそうでも、ダメな人はダメです。リズムが一定でなかったりピッチが怪しかったりです。
一方、できる人は若くても音程とリズムがしっかりしていて、音楽として聞くことができます。
結果、それは経験年数ではないと思いました。練習で埋めることができない差があるのではないかと感じました。

【4】いくら練習しても「できる人」の演奏に届く気がしない

自分は始めたのが遅いのですが、いくら練習しても、「できる人」に届く気がしません。
「あの壁を超えれば何か見える」と思って、いくつもの壁を苦労して超えても、自分の演奏の録音を聞くと、「できる人」に届いている感じが一切しないのです。
おそらく、「楽器や歌の練習」ではない何かが足りないのだと気づきました。

【5】真実を言ってくれる先生と出会えた

最近、出会った先生(B先生とします)に、音感、リズム感をチェックしてもらいました。何年もトレーニングしていたし、その前から習っている先生(A先生とします)にも褒められていたので、少し自信がありました。
しかし、結果は「全く合ってない」「実用域には程遠い」と言われました。

そのことを、それまで教わっていたA先生に正直に打ちあけました。
A先生曰く、
「前よりうまくなっているのは間違いない」
「自分は楽しいレッスンを心がけていて、生徒の心を折るような指導はしたくない」
「芸術という域まで高めるのは難しいし、しんどい。やめておいたほうがいい」
と言われました。

ちなみにB先生は音楽を始めたのが13歳からで、比較的遅く、それで「できない人がなぜできないか」を理解されていて、指導についてもとても役立ちました。

【6】心理学、催眠療法等の応用ができた

催眠療法というものは、学術的に認められているものではないのですが、そこの「無意識」という考え方にヒントがありました。
「無意識とは、パソコンでいうところのOSのようなものである。」
という考え方です。
基本動作や考え方が自動化される、それが完成されるのが、12〜13歳頃(第二次性徴と関連していると思われます)ということです。そして完成したらそれを変えることは難しいのです。
余談ですがこれは自己肯定感の後付けが難しい話にも繋がっています。
それを踏まえて、無意識が完成する前までにトレーニングをしないと、音楽のスキルを身につけることは難しいのだろうという考えに至りました。

また、アスリート界でいうところの「ゾーン」の考え方にも注目しました。
ゾーンとは無意識に入った「自動化」で動作している状態である、ということです。
つまり練習で積み重ねた動作をフルに引き出した状態と言えます。
これは特別な状態ではなく、普段の生活にもあります。鼻歌を歌いながら家事をしている時、他のことを考えながら通勤路を歩いている時、などです。
おそらく音楽を本当にするには、無意識に入っている要素が無意識の深いところにある必要があるのだろうと思います。
アスリートは勝負というプレッシャーに置かれた状況なので、ゾーンの概念が発達したのですが、芸術界隈では、「ゾーンに入る」のが当たり前で、それが意識されていないのだと考えています。

まとめ

・音楽ができるようになるには子供時代にトレーニングをする必要がある。
・できる人は、子供時代において自然に基礎スキルを獲得したため「誰でもできる」と思っている。
・できない人は、できる人には天才でない限り永遠に追いつけない。
・音楽の基礎スキルは言語と似ている。ネイティヴ並になるには相当な訓練が必要
・できない人は、追いつけないことにも気づかない。
・このお互いが認識できない状況を私は「断絶」と呼んでいる。
・少しでも差を縮めるには、楽器や歌の練習だけでは達成できない。

以上、夢も希望もありませんが、この断絶をいかに乗り越えて行くか、について今後書いていきたいと思います。

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