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第10話 曲線的な街

 細い道が絡まり合ってできたような街を、迷宮都市なんて呼ぶよね。わざわざ遠くからやって来て、門を破るなり城壁を登るなりして、血を流して戦ってまで侵入してくる敵がいて、彼らを追い込んで、袋叩きにすることを考えて、街づくりの時点から備えていなきゃいけないっていうことは、奪われそうな価値のあるものがあったりだとか、死守したくなるような要衝に位置したりだとか、それなりの理由があるわけで、私が気に入って長逗留することに決めたその街も、穏やかな内海の真ん中にあるいい港だった。大きいのと小さいのと、水深があるうえに波のない港が2つもあって、大量輸送の花形がガレー船や帆船だった時代には、かなりお金持ちだったっていうのも頷けた。
 栄枯盛衰ってやつなのかな。今ではすっかり大人しくなっちゃって、ちょっとした地方豪族の御令嬢くらいの印象の街だった。日傘を差した影の下に、きちんとお洗濯された白いワンピースを着て、海を見渡せる石の上に立ってる、昔はお転婆だったお嬢さん。祖父の代までは素封家だったけど、父親が事業でしくじって、今は慎ましく暮らしてる感じの。
 華やかかりし頃の建築や芸術をエサにした観光業と、豊かな海の恵みに頼るかなり素朴な漁業が、住人たちの主な収入源だっていう話だった。あとは都会から逃れてきた若い芸術家がいくらか、昔は造船業をやっていたっていう古い工房を共同で借りて、それぞれに制作生活を送ってたのも印象的だったかな。
 短くて見通しのいい大通りから、一本外れた路地にある交差点で、目を閉じて一回転すれば、あっという間に方向感覚を失って、いくらでも迷ってしまえるような、でも海辺に沿ってぐるっと巡らされた車の通る道へ出さえすれば、すぐに一周できてしまうような、ささやかな島だった。ぐにゃっと曲がって見通しの効かない小道にせり出したバルコニーで、紙袋に入るだけいっぱいくださいって量り売りで買ってきた、驚くほど甘くて安いサクランボを無心になって食べていると、なんだかこの島も紙袋に入れて持って行ってしまえるんじゃないかっていう錯覚が起きて、それが切なくなるくらい魅力的だった。

 できるかぎり滞在を引き延ばしたくて、ずるずると用事を作っているうちに、ひとりふたりと顔見知りもできてきてね。いよいよ出立が迫ったある夜に、それじゃあ一杯おごらせてもらおうって、飲みに連れて行ってもらえることになったの。街にはいろんな客層を想定した酒場がいろいろあってね、この日は奢ってくれるっていう友だち連中の年代に合わせて、だいたい40代くらいの人達が集まるお店だった。大通りから3つ4つ横道を折れたところにある、昔は倉庫だったんだろうなっていう雰囲気の半地下のお店でね、明かりが少なくて、一見するとムーディーなんだけど、それは夏になると押し寄せてくる観光客のカップルの呼び込みを意識してるからで、シーズンオフには賑やかなものだった。いつ入っても、誰かは知ってる人が飲んでて、挨拶しながらビールを頼むところから夜が始まる、気取らないお店。
 この日も友だちの友だちが何人か居てね、その人達も交えて、みんなでビールを飲んで、ちょっと気分がよくなってくると、みんな引き留めに掛かってくれた。嬉しかったな。こんないい街を出て、いったいどこへ行く気なんだなんて絡まれて、北の方にある港町の名前を告げるとね、同じテーブルどころか、店中からブーイングがあがったのには吃驚しちゃった。そんな街には行くもんじゃないって、あっちこっちから声がかかるの。

 次の目的地だって、音に聞こえた美しい場所なんだよ。冬になると、ものすごい季節風が海から山へ吹きあがるのが有名なの。でも、あの街の人達に言わせるとね、そんな強い風が吹くのは、海辺に住んでる癖に海辺の街の作り方も知らない、愚鈍な北方人の頭の出来のせいなんだって。これ、私の意見じゃないからね。あの街の人達が、こんな風に言ってたってだけで。
 俺たちは道を曲線的に作る。だから海のど真ん中にある街を造っても、ここはこんなに静かで過ごしやすい。しかも見通しが効かないから、どんな阿保でも車のスピードを落とすしかなくて、善良で平和で賢い住人たちは今でも安全に散歩を楽しめるうえに、ふと街角に現れる愛しい人の姿がとてもロマンチックに演出されるから、ここに暮らす夫婦や恋人たちの仲はいつだって円満だ。北方人はものを考えないから、通りを真っすぐに通す。それじゃあ海風も山風も街をまっすぐに駆け抜けるし、それどころか細いところに入って勢いを増す。車もそうだし、人間だって見えてるものに向かって直線的に歩くから、生活に遊びっていうものが無くなって、無味乾燥な禄でもない人生を送ることになる。あいつらには曲線と影が足りねぇんだなぁって言ってた。
 真っすぐっていうことに対して、あんな風に考えたことがなかったから、すごく勉強になりましたって言ったら、みんな大満足で、直線的で単純な人間になっちゃダメだから、用事が終わったらすぐにこっちに帰って来なさいよって乾杯してくれたっけ。そうしたいのは山々だったんだけど、けっきょく、仕事も用事もあんまりない田舎の街だし、交通の便も恐ろしく悪いものだから、あれからずっとあの街には帰れてないんだよね。これって私の直線的な部分がそうさせてるのかなって思うと、ちょっと哀しいな。

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