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情熱(パッション)を魅せよう!
TVでたまたま見掛けた神の手を持つ医師の言葉に感動した。医師は神に近い存在かも知れない。医療技術の習得又は知見次第では、患者、又は関係者の依頼主をダメにしてしまう。そして、失敗をしようものなら自分の人生に係わる一生を台無しにしてしまう極限の選択や判断に迫られるのである。私たちはどうなんだろうか。医療関係者でなくても、仕事への責任とお客様への信頼と共に、仕事に誇りを感じているだろうか。医療と言え病院にも経営というビジネスが付きまとう。どんなに優れた医療行為を提供しようとも、どんなに最先端な機器を導入しようとも、赤字になったら破綻してしまって病院は閉鎖である。末端に限らずトップを見て仕事をしたり、部下や同僚を意識しすぎる余り、出世や階級を意識する余り、また、逆に組織の意に反してお客様の御用聞きになってしまったりと、一体誰と向き合って仕事をしているのだろうか。患者でありお客様と向き合うのは至極当然のことではあるのだが。。。

しかしながら、病院含めて企業というビジネスの社会では、患者というお客様をたくさん囲い込んで、売上を上げ、利益を出し続けなければならない。競合に勝って選ばなければならないのである。病院であれば神の手を持つドクターや施設などがブランドになる場合があるように、全ての企業が目指すブランディングにも通じるように、様座なマーケティング手法が存在する。仮に選ばれなかった場合には「なぜ?」という理由を問いただすことは無いが、私は過去に、これを次の糧に活かせるように、商談における効果的な手法の確認でしょうか、実際に断られたお客様へ「なぜ」選ばれなかったのか、断れたのかを期限の限定的であったものの、会社の代表として問いただしたことがあった。

その理由である要因の大半は「人」であった。つまり「担当者」である。他にも理由が様座にあったが、殆どの上位はやはり「人」に係わることで集約されていた。

ある程度、営業手法を確立できているのに上手く行かないのはなぜか。お客様に聞いて見る価値は重要でしょう。なぜ断られたのか、他社(競合)とは、どんな比較を感じたのか。
競合に決めた要因は何だったのか、言い換えれば何が足りなかったのか?なにか決めた要因は?根掘り葉掘り感情的になっては、返っては迷惑ですから、できるだけ淡々にツールを辿る感じで、簡易的なロジックを組み立てて置けばよいでしょう。

つまり、科学的理論や書籍よりも、実証データに基づいた根拠の事実が重要だということです。

住宅の仕事は万が一の災害などで、そこに住まう人が死に至る場合もある。そして日々の暮らしの中で健康を損ねることもある。こういうリスクを背負いながら、数十年又はリフォームも兼ねて百年単位で快適な暮らしを提供し続けなければならない。家庭内事故の原因は、本当に住まう人だけの責任だろうか、設計や施工に携わった人は販売した建築業者に責任は無いのか。。。

住宅に係わるトラブルが年々増加している。殆どが契約に関する事や施工に関することが大半である「事実」がデータ上にもあるが、対象となる事業者は優良な事業者ばかりであることが「真実」である。これは悪徳悪質業者の行為は犯罪である自覚があるために、リスクを負った言動があり領域を害するような行為は控えている。つまり、目的が犯罪行為であり、優良な建物を建てるという行為とは異なるのであり、そこに情熱(パッション)を注ぐのである。

ではなぜ、優良な事業者がトラブルを起こしているかというと、単に知識不足であり技術(スキル)不足である。要するに過去の延長線上や学ぶことを怠っているからであり、応用が全く利かないのである。お客様の要望に関しても、耳を傾けず傾聴に値しない上から目線である。何十年前なら通じていた様子でも、現代やしかも未来を意識した提案などは皆無である。その指導をそのまま後輩や新しい社員へ育成していたのであれば、誰も付いて行けないどころか、古いスタッフの固まりだけで事業は自ずと衰退して行くであろう。

組織というのは業務を円滑に遂行する義務がある。そして個人には経験値に伴うプライドもあるだろう。しかし我々にはお客様を守る、約束を果たすという崇高な責任があるということを忘れてはいけない。その責任の重さを知るということ、その重圧さに向かって一生懸命に立っている。これが立派な仕事をしている姿であり、そこに向かう情熱(パッション)を魅せて欲しい。敢えて「魅せる」という漢字を使用しているのは、その意味を知ってもらいたいからである。どんなことにも必ず「意味」があるということ、言い換えれば意味の無い行為は無いのである。「見せる」事と「魅せる」ことは異なるのである。

熊本地震被害で医療行為をされていた救急医療の先生をTVで見ました。救えなかった命の尊さ、重たさを感じていらっしゃった。さて、その災害被害に合った建物は誰が設計したのか、誰が施工したのか、災害等の医療技術に依存することなく、そもそも論、災害等へ耐えうる、又はきちんと考慮した建物の技術が存在するのに、我々は命の尊さや重さをどう感じているのか。。。もちろん、医療行為と言ってもビジネスの社会の枠組みにいる事は確かである。神の手を持つ医者もいる。一方で施設規模の大きさはもちろんのこと、医療技術にもランクがある。我々も同様であり、最終的にはお客様自身が予算に応じて決めることではあるが、所詮、お金の魔力には逆らえないものだろうか。。。
ハッキリしておこう。生き方や仕事に楽はない。崇高な生き方や仕事ほど、頂きに近づくほど責任の重さがある。プライドは失っても「誇り」は大事にして欲しい。家づくりも何でもかんでも良いというわけではない。昨今の社会事情や経済事情として高額のものは売りづらい。購買意欲が低下してしまうのは、しょうがない事である。だからこそ、ホンモノに期待をし価値に期待をしている。だからこそ慎重になると言わざるを得ない。今まで築いて来た仕様をダウングレードしてみたり、価格を下げたりしては、せっかく築いて来た信用や「価値」を失ってしまうことだろう。 個人にも会社にも信用があり、プライドがある。お客様の信用やプライドを失うよりは、売り場をコンパクトにする方が正しい選択かも知れない。規模の縮小は恥ずかしい事ではない。またチャンスがあれば、拡大路線を目指せば良いと思う。誇りを失ってまで売上を追求することは、未来のお客様や社員の信頼を得ないであろう。ガマンしてまでも「誇り」を大事にすることは、とても難しいことである。今、この時にこそ、魅せるのは「情熱」(パッション)である。そして、その情熱こそが「魅力」となり、お客様に感動を与えるのである。ぜひ、「感動」を魅せて欲しい。

事実は真実の敵なり。
ついこの間お客様からyou tube動画に「〇〇〇〇」などと書いてあったと現場で言われた。全くもってこの動画の「事実」は嘘というか勉強不足というか「真実」ではないものであったが、その人物を否定することはしなかった。切り返しとして「真実」を伝えておいた事と、正しいことなのか評論なのかと見極める1つの方策として「実績」や「経験値」を直接聞いて見るか、調べた方が良いでしょうと付け加えておいた。車の免許証を持っているが、殆ど運転しない人を「ペーパードライバー」と呼ぶように、これから命の次に大切な買い物をするのに、数十年の住宅ローンを組むのに、ペーパードライバーへ依頼しますか?〇〇建築士など五万といますが、実際に家を建てている人達を見ると誰もそんな人はいませんよ。家を建てることが大好きで、お客様の夢を背負って一生懸命に仕事をすることが大好きで、何よりも「ありがとう」の一言で「感動」することが大好きな人達ばかり、何よりもアカウントの「イイね」や「フォロー数」で稼いでいる人はいません。仕事に誇りを持っている人達ばかりです。一流の学校を卒業した人の動画や、SNSで喋ることが得意な人と売名行為ばかりな人、喋るのは苦手かも知れないが経験豊富でイイ仕事をする人、一期一会の出会いかも知れませんが、最終的な判断するのはお客様です。。。。

少し前になるが業界で有名?らしいSNSなどyoutubeでも人気の高いある人と、偶然にも現場で一緒になる機会があった。名刺交換の際に私の顔と名前に驚いた様子だった。そして少し会話をしただけで、後は目をそらすばかりか、すれ違うばかりで現場の撮影をしてそそくさと現場を去って行ったが。。。to be continued…