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戦略の組み立て方②
「言うは易く行うは難し」。何かをする(やれ、しろ)と言葉で言われても、それを実際に行うのは非常に困難なことが多いこと。だったでしょうか。経営者ともなると全責任を負っているので他人事では無いでしょう。毎日が真剣勝負ですし、常に背に腹は代えられぬ不安にめいた心理状態かも知れません。経営者だけが簡単に辞めることはできません。大企業であれば信任決議や株主比率などがあるでしょうが、中小企業というのは、言わばオーナー企業です。会社の規模に関係無くオーナー企業というのは、オーナーの権限と責任は大きいのですが、その分、周りの幹部や社員を信じて、チーム一体となって分散することも可能です。何から何までオーナー自らが、決済することには限界があるし、立ち上げた事業が停滞することがあれば返って不信感を得る場合もあります。

ここで生まれたのが「ミッション経営」です。ミッション経営を実現させるのも並大抵の努力と辛抱が必要です。全てが「ミッション」に従っているということ、全ての行動指針が責任者やリーダーが率先してミッションに従っているということ、そして何よりも社員の総意が必要だということ。

ある時期と言えばデジタル社会になりインターネットで「検索」できる時代でしょうか。これからの時代は、老若男女問わず子供も含めて「コンピューター」を携帯できる時代が来る。そうなると企業が持つノウハウやストーリーなどは、全て検索される時代になり、また似たり寄ったりの情報が氾濫することになるというものだ。そうなると、ノウハウなどは抱え込む必要は無く逆に売買することで特許は難しいまでも収益をもたらすことになる。つまり宝の持ち腐れ状態だ。そうなると早い段階で値段の価値が高い時期に手放した方が賢明である。日本の企業の多くは社内はともかく外部への接触を嫌ったり、直接意見を聞くなどの交流が少ないと思われる。とてももったいない事のように思えます。社外秘の事柄が多いから、外部との交流は断じるというものだ。恐らく、それは多くの場合、考えすぎや思い過ごしのようであるし、そこまで優れたノウハウでもないのである。私の場合はそういう立場に立っていたこともあって、外部との交流は多くあったのですが、やはりこちらもある程度の情報を出さなければ、先方の情報も得られないものであると確信しています。それがご縁となって信頼感を得るようになり、企業交流等も生まれ利害が一致する範囲、または業界の一助になればと共栄する道を切り開いてきた。もちろん馬が合わない企業や人との交流はできなかったが、知らない内に、すぐそばまで進出して競合になっているケースもある。

前職時代にはこういう渉外的な仕事も多くあり、また業界で初めてとなるマーケティング部を創設し、様々なマーケティング理論を勉強する機会が多くあり実践して来た。4P4Cによって事業セグメントの優越を選定したり、マイケルポーター氏のファイブフォース分析など、そして生まれたのがCRM事業部であったりカスタマーサービス(のちにコアコンピタンスの最大化になる)、全て受け入りではなく、自社独自の開発事業である。他にも数々の事業部立ち上げの支援はして来たが、前を走っている企業がいないので模範とするものがなく、毎日が手探り状態であった。

前回から基本スタイルを大事にしようと言っているが、物事を「シンプル」にしておくことが重要だ。時に社会や経済は変化しているので、柔軟にフレームワークも変化できるようにしておくことだ。ノウハウ的なことを詰め込み過ぎたり、情報収集も過度を超えたりすると、複雑化された完成形が仕上がったり、何もできないこともあるようだ。書籍類に関しても、殆どがなんちゃってコンサルタントが、同じことを横文字や見やすくしたり、表現方法が変わるだけを書いているだけで、この同じことという「基本的・原則的」なことをしっかりと見極めるということに徹した方が良いだろう。

最近の書籍や情報等で「ニューノーマル」的なキーワードや「コロナ禍の後」又は共存?など、未来の取り組みが多いが、言い換えれば誰もこの未来で仕事含め生きていないのであるから、あくまでも空想論にしか過ぎない。そうなるであろう、そうであるべき、いわゆるべき論である。我々の生きてきた社会には「原点回帰」という言葉がある。

この原点回帰とは原理原則のことである。人類は言葉を書くことと喋ることで進化を遂げてきた。この進化となる発展の原則は「コミュニケーション」である。一番の身近では家族となる親族であったり、近隣であったり、学校などの集合体であったり、そこで他人ではあるけれど友人や先輩後輩、結婚するにしても種の保存の原則はあるものの、異性との関わり、企業では上司や同僚も含め、全て「コミュニケーション」である。今やコロナ禍になって、オンライン等で仕事ができる環境といえども、一旦、落ち着きや終息を迎えようとする中で、やはり多くの企業が、出社する機会が増えてコロナ禍前の状態に戻っていることもあるようだ。理由は簡単である「コミュニケーション」だ。この肌で接することができる息遣いやアナログの言動等によって「イノベーション」が生まれたり、人と接する機会によって安心感や信頼感を得ることで、心がやすらぐというか仲間意識の絆、会社との一体感など肌で感じる部分が多くあるのである。もちろん、逆のケースもあるだろうか、大概の退社理由の1つには人との関わりが最も多いことも事実のようだ。

もちろんこれからの企業体というものは、官民、企業の規模に関わらず、オフィスの在り方やシフト制、女性社員の登用含めワークライフバランス等への取組みは必須事項だと思われるが、人が働くいじょう、デジタルとアナログと隔てることなく、コミュニケーションの在り方を真剣に考えることが重要である。

そういう意味では、私も知り過ぎないようにと頭打ちの知識の呪縛に捕らわれないように気を付けている。例えば書籍購入の大半は文庫本の小説に切り替えた。この分野ではシロウトなので、著名な作家など知らずに読んでいるのだが、警察モノの事件というか犯罪心理?ミステリー?を扱ったものが多いのですね。殆どの人は、このトリックを見破れる?ことの影響が大きいかも知れませんが、私の場合は只々関心することばかりで全てが作者らしい表現で面白いのである。ただどちらかというと古い世代でもあるので刑事コロンボではないが、最初から犯人や手口がわかっている倒叙ものが大好きである。その中の人物は周りの空気感というか心理状態が面白いのである。小説の良いところは、ストーリーで主張したいことが、必ずテーマに沿って帰結するということ。ビジネスでも活かせることのようで、いわゆる起承転結のストーリーを読んでいるのであると同時に、柔軟性を持って色々な分野で学ぶことができるというものだ。テレビなど映像化、映画化されたりすることも多くあるようだが、これはテレビを作成する側が進化していないのか、脚本家の創作が低下しているのかも知れないけど、小説というのは大半が想像、創作の世界の中で人々を感動させることができるのである。ストーリーによっては、主人公が存在してシリーズ化されているものもあって、次の発売日や展開と結末が楽しみで仕方がない。しかも私の場合ブックオフの100円書籍ばかりである。(初心者だから古いモノからで十分なのである、しかも安くて良い。)

実は「落語」も大好きなのであった。。。また別の機会で。。。