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血を流しながら走り抜けた2022年を振り返る

今年は比喩抜きでお尻から血を出しながら働いた1年だった。

解像度を高める

年次が上がっていよいよ中核を担うようなプロジェクトを任され、部下や後輩育成も複数人受け持つようになった。

自分の仕事理解がいかに「分かったつもり」だったかを思い知らされたし、人に仕事を任せてしっかりと進捗させることは自分でやるよりずっと難しいことだと知った。

アウトプット、自問自答、他者との壁打ちを繰り返してゆかないと思考は深まらない。自分が深い理解に至っていないと、指導すべき相手にも「作業ベース」の指示しか出すことができなくなってしまう。

これでは部下や後輩が自身で思考をするようにならず、指示を出せる範囲内でしか仕事を任せられない。

また、プロジェクトが構造的に理解できていないと、最短経路での指示出しができないので手戻りを発生させてしまう。当然、指示を出された側からも不満の声が上がる。

いつまで経っても自分の仕事が楽にならず、理解を深める時間がますますとれなくなるという悪循環である。

コーチングの引き出し

一つ印象に残った場面がある。普段から他人の不足点をビシビシ指摘して周りから恐れられている人が「自分で考えなさい」とピシャリと言うと、言われた人は必死になって考えて自分なりの答えを提出していた。

しかし、普段から知識をカジュアルに教えている私が「君はこれについてどう考えるの?」と問いかけても、しばらく沈黙した後で「分かりません」と返してきた。

自分が良かれと思ってやっていた普段の振る舞いが、もしかすると人材をスポイルしているのかもしれないと思わず考え込んでしまった。

私のやっているシステム企画の仕事は専門用語が多く、必要となる前提知識も膨大だ。3年やってやっと少し輪郭が見えてくるぐらいの壮大な世界で、日本語同士で喋っていても門外漢の人間は全く話が理解できないなんてこともザラである。

そんな環境にいて毎日辛そうな顔で仕事をしている様子を見ていると、ついつい可哀想になって教えてしまう。心を鬼にしてそれでも自分で考えなさいと一度突き放すと潰れてしまうのでは、という恐怖心があった。

とはいえ、考えさせない状態でプロジェクトが進んでも、結局疎外感を抱くことになって辛い思いをさせることになるだろう。

育成とプロジェクト進捗の狭間で労働時間が伸び続ける中、倒れ込むように年末に突入したというのが実感である。

考えさせるにもグラデーションがあって、「自分で考えろ」「お前が決めろ」の一言で済ます場合もあれば、「Aはどうだと思う?」「ということはBだよね。じゃあCはどうなると思う?」とステップを踏んで導く方法もある。

職場の先輩たちの様子を見ていて、強い言葉を使わなくても「このままじゃダメだ。もっと成長しなきゃ」と相手に思わせることは可能だと分かった。

コーチングの引き出しを自分の中で増やすことが来年の私のテーマになりそうだ。

お陰様でNoteの読者が増えつつあります

プロジェクトの中であれこれ考えを巡らせたことがnoteの執筆にはプラスに働いたようで、フォロワーの数は1ヶ月半で10倍近くに増えた。

特に、生命保険の役割を社会保障と一体化して捉える思考を持てたのが個人的には大きな変化だった。

Noteを使えば使うほど、深く考えるにはまとまった量の文章を書くことが重要だと感じる。Twitterでも連投すればまとまった分量の文章は書けるが、途中のツイートを最初に目にする人もいて伝達内容にバラツキが出てくるし、自身の思考もブツ切りになってしまう。

UIがSNSのアイデンティティをいかに強く規定するか実感した。SNS企業は定期的にUI改修を行なっているが、変更することが自己目的化して"らしさ"が崩れてしまう例も少なくない。

システム開発をしていると現実との壁にぶち当たることが何度もあるが、その中で譲れない一線を守り続けることはいうほど簡単ではない。Noteの開発者の方々には是非とも哲学を守り続けていただきたい。(効果の薄いUI改修をするぐらいなら人材をコンバートしてほしい)

最後に、読者の皆様今年1年ありがとうございました。よいお年をお過ごしください。

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