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子どもの人生を紡ぐ児童精神科医という生業

児童精神科医という生業

大学を卒業して、数年間は医局に属して精神科医をしてました。その後児童精神科医になってはや20年。働いてみて感じたことをまとめておきたいです。このような仕事を生業にできたことを本当に感謝していますし、さまざまな職種の人たちに助けられて今があるのだと思います。

児童精神科医としてはたらくってなんだろう

 児童精神科になるとは医学生の頃、精神科医の頃は全く考えていませんでした。確かに大学の医局時代に苦労した高校生の症例に出会いました。そして、仲の良い先輩が児童精神科の道に進み、誘われたことも大きいです。当時に医局には児童精神医学は全く影も形もありませんでした。ですが、教授は理解を示してくれて、研修先を進めてくれました。人生は意外なことから進んでいきます。

児童精神科医としてはたらくってなんだろう。この20年間で自分は何を学んだのだろうか。テクノロジーは進歩し、携帯やインターネットが普及し、世の中は大きく変わりました。最近の子どもは・・・なんてよく言われます。

この20年の間に苦しむ子どもたちと毎日話していると、子どもの本質は変わらないと痛感します。今も昔も変わらない。それは子どもから大人に変わる瞬間に自分を見失ったり、人の評価を気にしたり、親との意見の相違が出たりと、ずっと昔から続いてきた子どもたちの課題は変わらないと思います。そして、私たち児童精神科医は働くことで、悩み、苦しみ、絶望しつつある子どもたちにどうやってその苦しい道を歩いていくべきか、それを示していくのが児童精神科医の仕事ではないのかと思っています。


それでは、児童精神科医として働いて、よかったこと、辛かったことをまとめてみます。

よかったこと

 よかったことよりも辛いことの方がはるかに多いのですが、なんといっても、私たちの仕事の醍醐味は以下のようなことではないでしょうか。

子どもの可塑性を肌で感じられる

子どもは虐待やいじめなど壮絶な半生を送ってきています。しかしながら、人はこれまでの辛かったことをゼロにすることはできません。辛かったことを辛かったと受け入れ、その可塑性あふれる年代をうまく乗り切り、再び社会にでていけることに立ち会えることができます。辛い経験や病状から絶望的になった思春期の子どもたちの可能性とその復活劇を目の当たりにすることが許されているのが、唯一児童精神科医ではないかと感じています。

子どもが大きくなって突然現れる!

これは難しい。教師の場合には、大きくなって現れるのは良い話が多いでしょう。しかしながら、われわれ病院というのは基本的には困った時に訪れる場所です。ですので、子どもが大きくなって突然現れた時には注意が必要です。病状の悪化や生活上の問題などを抱えている可能性があります。
しかしながら、まれに子どもたちが挨拶に来てくれることがあります。何とか生き延びて、こうやって暮らしていますと話に来てくれることもあります。そんな時は目頭が熱くなりますね。
辛かったこと

自分より若い子どもたちとの別れ

さまざまな病気の子どもが相談に来ます。また、とても複雑な家庭環境の子供たちもいます。どうしても自分に価値を見出すことができずに、子どもたちが亡くなってしまうことがあります。どう治療したらよかったのか、自分の何が悪かったのか、本当に考え、反省し、苦しくなります。
 自分の診療がよくなかったのではない、もっとやれることがなかったのか、Survivors Guild といわれる生き残った人たちが感じる罪悪感に押し潰されそうになります。もちろん、わが子を失った親御さんたちの気持ちを考えると苦しくて仕方がありません。
 それでも、日々の臨床に向き合い、次に出会う子どもたちの治療に向き合っていく必要があります。彼ら、彼女らが残していったものを胸に大切にしまいながら、目の前の子どもと一緒に歩んでいくしかないのです。患者さんをよくすること、すなわちメンタルヘルスの専門家ではありますが、自分のメンタルに注視して、自分のこころとうまく付き合えるようになることこそ、精神科医の生業なのかもしれません。

転職が難しい。

おまけですが、児童精神科医として働きたくでも、児童だけ診ることを生業にすることは難しい。別のNoteでも書きましたが、児童精神科を専門とする病院は日本では少ないです。一般の民間病院では成人も診てくれと言われることが多いし、児童は週1日のみと言われてしまったりする現実です。

医師の働き方改革の対象外?

厚労省の働き方改革はみなさんご存知でしょう。それの医師版があることはしられていません。とくにその中に児童精神科医について書かれているところがあります。驚愕の内容です。

医師の働き方改革

この報告書の中には、医師の働き方改革にも改革しすぎると大変なことになる診療科として、移植医とともに児童精神科医も書かれており、大事だと言われながらも増えないことがその原因でしょう。(児童、で検索すると該当箇所がヒットします)

子どもが良くなる前に私たちが潰れてしまったら、医者の負担を子どもが罪悪的に感じるかもしれませんし、なによりやっとのことで専門医に繋がった子どもたちの治療が続きません。
私たちが健康であることが、この生業の大事なミッションかもしれません。
先の件も踏まえて、すこしだけ楽天的な要素が求められる職業かもしれないですね。

まとめ

児童精神科医として働くということは、悩む子どもたちとその親たちの道標としての役割だと思います。子育ては人生で初めてのことでしょうし、不登校やいじめ問題を抱えた子どもの育てることは誰でも初めてでしょう。児童精神科医はそれまでの経験や医学的知識から、ちょっとだけ先を見通せることがあります。そのちょっとの知識と経験で、親と子と一緒に歩んでいく仕事なのかもしれません。まさに徒然草のごとく、「少しのことにも先達はあらまほしきことなり」と痛感する次第です。


#はたらくってなんだろう #私の仕事


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