読書記録:ミリは猫の瞳のなかに住んでいる (電撃文庫) 著四季 大雅
【過去と未来と現在を行き来し、虚構を見破る眼で真実を導け】
瞳を通じ過去を追体験出来る少年が、猫の眼を通じて未来視出来る少女と出逢い、連続殺人事件が起こる運命に挑む物語。
過去と未来が予め知る事が出来たならば、定められた運命さえも、覆す事が出来るのだろうか?
窈一と美里は、互いに別の場所、別の時間にいて、サブローという猫の瞳を通じて、やり取りをする。
時期は、終わりの見えない閉塞感と、青春を灰色にされた諦念が漂うコロナ禍、まっただ中で。
窈一の大学にある演劇サークルで、不可思議な事件が勃発する。
それがエスカレートするように、警察の拳銃を窃盗した何者によって、銃殺事件が引き起こされる。
猫の瞳越しに対話出来る美里は、そんな運命を予言して、それを変えて欲しいと窈一に依頼する。
未来を予知する美里の予言で図らずも、救われた窈一は、彼女を信頼してこれから起こる殺人事件を食い止めるべく、自分なりの奔走を始める。
まずは、美里の告げる悲惨な運命を阻止する手順に從って。
演劇部のオーディションを受けて、その場で起きた放火事件を、咄嗟の閃きで解決に導いた事で。
脚本担当である志摩男に、手腕を認めてもらえた。
窈一は初心者であるにも関わらず、次の劇の主役に抜擢されて、慣れない練習に励む中で。
主演女優である千都世や、数々の仲間と出会って、そのややこしすぎる人間関係の背景を知っていく。
部員同士が、互いに対して、複雑な愛憎を抱いており、自らの思想に他人を誘導させようとしている。
部員達に話しを聞いて回っても、皆どれも見解が異なる。
嘘であるのか、真実であるのか、本当に分からない。
言っている事が皆バラバラであり、必要以上に私的なバイアスをかけて、他者を評価している。
それ故に、真実が歪んだ形に変形している。
窈一は、仲間達の認知が異なるからこそ、己だけの倫理を見定めていく。
人間関係と時系列、今の状況などを頭の中でしっかりと整理させないと混乱してしまうような複雑さがあった。
洋画で言うならば、クリストファー・ノーラン監督の作品の中にある、インセプションやインターステラーのような。
ただ漠然と物語を眺めるだけでは、複雑に人間関係と事象が入り組んだ、この事件の真相を解明出来ない。
劇中劇とは、創り手側が破綻しないように、細心の注意で物語を進めなければならないし。
受け取り側も、頭を使って読み進めなければ、理解出来ないので、根気強い精神力と忍耐力を使う題材でもある。
そして、未来が視える美里の予言の力を借りて、物事を多角的に俯瞰した先で。
バラバラだった筈の異なる点と点が、鮮やかに一本の線へと集約していく。
秘められた伏線に気が付いた窈一は、次々と大学という舞台で巻き起こる、不可解な事件を解決していく。
生物の眼に宿った過去の記憶を見る事出来る窈一。
先で起こるであろう、未来を予測出来る能力を持った美里。
その実、未来の窈一が過去の美里を見ていて、過去の美里は未来の窈一を見ている、という何とも奇妙なシチュエーション。
過去を生きる美里にとっては、窈一はようやく世界と繋がれた理解者であり。
現在を生きる窈一にとっては、美里は知らない世界を教えてくれる先導者であった。
そんな風に繋がれたのに、辿り着いた運命は、どちらか一人が必ず死ななければならない容赦のないさだめ。
それは、サークルで起こる殺人事件を防いだとしても、逃れようのない運命であった。
互いを守りたいからこそ、見栄を張って付いた小さな嘘。
本当は住んでいる場所も、時間も何もかも違うのに。
しかし、彼らにとっては、過去と未来は等しく、現在であった。
相手が居てくれる時間が、間違いなく自分のリアルだった。
過去と未来という時間の壁があったが、共に並んで、隣同士で分かち合えた、今こそが本物だったから。
しかし、そんな共有された時間も、終わりが差し迫っていた。
美里が意味深に呟く、「定められた死」というカウントダウンによって。
美里の現状は、より深い謎のベールに包まれて、窈一は、その全貌を気付く事さえも出来ない。
そして、美里は猫の瞳を通じてしか、真実を直視出来ない窈一に、哀切を込めた手紙を送る。
「そっちの時間だと、わたしは、もう――」
美里は既に未来では帰らぬ人に成り果ててしまっていた。
現在、巻き起こっている殺人事件に巻き込まれた事による物だった。
なんてシニカルな因果関係なのか?
それは、見たくも知りたくもなかった真実。
未知は恐ろしい物であったが、全てを知ってしまう事も、また恐怖であった。
未来を教えてくれていた美里との接続も切れてしまった。
もう、彼女の力を借りる事は出来ない。
そんな中で、彼女の死の発端を引き起こす殺人事件が息を吹き返す。
窈一は、本来の自分とは不釣り合いの名探偵という仮面を演じて。
事件の裏側に潜む、それぞれの思惑と打算が絡み合った末に起こった、どうしよもない悲劇を目の当たりにした。
彼らの出会いはあくまでも、特殊な能力によってもたらされた物に過ぎない。
たまたま、偶然と条件が奇跡的に、神の気まぐれのように重なった事で生まれた不思議な縁。
本来なら、絶対に出会う事が出来なかった二人の関係。
猫の瞳を通じてしか、お互いの事を知る事が出来ない状況は。
皮肉にもコロナ禍で主流となった、モニターごしに会話する、現代のリモート面談なような物であった。
不確かな関係の中で、過去の歴史を知る事や、新しい未来を予測する事。
自分と他人の境界線を曖昧にして、過去や未来を覗き込む事は、もはや生き様を演じる事に等しい。
その感情と思考を理解する為には、自らのスキームを放棄しなければならない時がある。
人生経験とは、自分を演じる事でしか積み重ねられないから。
それを、まざまざと分からされた窈一は、美里が最後に残した、優しくも鮮やかな嘘にまんまと騙される。
彼女の嘘はキスをする為に、ヒールを履いて、相手に合わせるかのような健気な物であった。
そして、この一期一会に感じさせられた、演劇や舞台とは一つの呪いでもあるという事を。
その役柄を憑依させなければならないという強迫観念の中で。
役者は、そこにいかに自分らしさを忍ばせて、力を引き出せるのか、思い悩む。
なぜなら、そうしなければ、視聴者の心を騙せないし、感動させる事も出来ないからである。
その道は傍から見れば、呪いのような過酷な茨道。
美里は、そんな呪いの中でも、窈一には演劇を続けて欲しいと願った。
自分達が授かった特殊能力も、役者として舞台で昇華して欲しいから。
それこそが、この哀しき呪いに意味を持たせる事であり、そこから解放される手段であったから。
舞台は、幕を開けると同時に向かう死であり、終演は、次に産まれ変わる為の転生であったのだ。
だから、窈一は二人の別れを嘆く必要はない。
舞台が終われば、自分達はいつでも、どこでだって、また会えるのだから。
演劇を続けてさえいれば、窈一は何度でも、美里に出会い直す事が出来る。
たとえ、生きる時間が違ったとしても、同じ場所で、同じ事を繰り返す事が、擬似的に時間を共有出来ている証なのだから。
そして、美里がもう居なくなった世界で、 窈一は猫の瞳ではなく、しっかりと自分の眼で、役者になるという未来を見据えていく。
覗き込んだ瞳の中には、深遠な宇宙が広がっていた。
しかし、眼に映る物が全てではない事を知った。
それを教えにして、居なくなった美里の想いを背負って。
窈一は自らの呪いを解く為に、未来へと歩き出していく。
その道の行く着く先は、光か闇かも判然としないが、美里から受け継いだ瞳が必ず役立つ筈だろう。
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