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映画「すずめの戸締り」を見て〜犠牲の要石から個性の要石へ…

このお正月に

すずめの戸締まり」を見にいったのですが

ご覧になられましたか?


最近では映画を見ることがほとんどないのですが
今私が学んでいる古神道の叡智の世界から



この映画の考察をしているこちらの記事を読んで
興味を持ち


見に行ってきました。

ストーリーなどは公式サイトに出ていますし
いろいろな考察の記事がネットではたくさん出ていますが


今回は私が感じたことを書きたいと思います。


それは

要石(かなめいし)は個性か犠牲か?



ということです。


ここからネタバレを含みます。

この映画での要石とは
世の中の裏(死者の世界)には
地震などの大災害エネルギーが溜まっていて

それが表(生きている人の世界)に
出てこないようにするために
エネルギー封じにするために
裏の世界に刺しておく石

のような感じです。

その要石の役割を
「ダイジン」と呼ばれる
白いネコが
石となって
長い間背負ってくれたのですが


画像は公式サイトよりお借りしました。


主人公の女子高生(すずめ)が
その要石を抜いてしまったために

それまで閉じ込めてあった
大災害エネルギーが表に出ることになり
それを閉じ込めていくために
新しい要石が必要になります。

最終的には
要石に再び
「ダイジン」と呼ばれる
白いネコが
その役割を背負ってくれるのですが…

これを見て

①要石はダイジンの「個性」なのか「犠牲」なのか?
②これからの時代は要石はどんどん外れていくのでは?


と思ったので
こちらについてお話ししようと思います。


まずひとつ目の


①要石はダイジンの個性なのか?犠牲なのか?


についてです。


スピリチュアルでは

愛とは感謝である


とよく言われます。


ちなみに私は

愛=個性である
と考えているので


愛とは全ての個性に感謝
なのだと考えています。



私たちは自分の個性を選んで生まれてくるそうですが


詳しくはこちらの記事を読まれてみてください。




もしダイジン(ネコ)が
「要石」になるという個性を選んでいたとしたら


このような大役を選んでくれて
本当に感謝が生まれます。


実際、映画を見ている時も
最後にダイジン(ネコ)が要石に戻ってくれて
ホッとしました。


映画の中でさえ、

「ダイジン、ありがとう😭」

と言いたくなりましたから…


人の個性はそれぞれで
重なる事なく
設定してきているので(唯一無二)


私にできないことを
誰かがやってくれると
心からありがたい、つまり
感謝するのだと思います。


それは人間だけでなく
モノも同じだと思います。
元々は人もモノも同じ素粒子からできていて


その素粒子が
振動数によって
それぞれのものが出来上がっているからです。
だから振動数は個性なのでは?と思っています。



詳しくはこちらの記事を読まれてみてください。



だから

トイレも私も同じ素粒子からできています。
トイレになってくれてありがとう!という
気持ちが生まれませんか?
(モノにも感謝)



さらに世間ではいろいろな闇が暴かれてきて
悪者と感じるニュースも多くなってきましたが


その人たちが
悪役を人生の計画に入れてきてくれたので
私たちも気づくことができた。
(どんな出来事にも感謝)


とも言えますね。
だからやはりどんな個性(愛)に感謝

なのだと思います。

さて


前述のように
映画では
ダイジンがその個性、役割を担ってくれたことで
大勢の人たちの命が救われたことになります。

ですから

ダイジン(の個性)に感謝ですよね。


ですが
もしダイジンの個性や人生計画が
要石から普通のネコに戻ることだとしたら…


ダイジンは自分の個性よりも
他の人のために
犠牲になったのではないか?


と思いました。


そこで

ふたつ目の
②これからの時代は要石はどんどん外れていくのでは?


についてです。


要石はある意味、犠牲を暗示しているとも思いました。


なぜかというと
もう一人の主人公である青年(そうた)が
要石になってしまうシーンでは
「もっと生きたかった」という切なさや悔やみが
表現されていたからです。


ダイジン(ネコ)が要石に戻って
ハッピーにも見えますが
もしかしたら
ダイジン(ネコ)の犠牲の上に
みんなの幸せが戻った映画なのかもしれない…
(もちろん他のたくさんのことを示唆してくれる映画です)


とも思いました。


さて今地球は変化しています。


詳しくはこちらの記事を読まれてみてください。


これまでは犠牲があることで
バランスが保てたことがたくさんあったと思いますが
これからは
勝手に犠牲の要石が外れてくるのでは?と思います。



私たちが押さえてきた気持ちに
蓋することはできないようになってくると思います。


例えば
女の人の家事についてどう思いますか?

なぜ女の人だけがやらなければいけないのだろう…
と思ったことはありませんか?


もちろん家事が好きで得意な個性の方も
いらっしゃいますが


みんなやってきていることだし
我慢しながら
家事と育児、そして仕事も両立させている…

でも…
これまでは我慢できたことも
最近、爆発しやすくなってきた人も
少なくないんじゃないでしょうか?


実は私がそうです^^;


だからスピリチュアルでは
ネガティブなことを手放して
と盛んに言われているのですね。


だからどんな個性も対応できるような

私の個性はこんな形
凸凹のまま5次元を楽しみたい」の記事より。



新しい社会の枠組みが必要だと思います。


もちろん


個人レベルのことだけではなく
社会のあり方の方も
闇を隠す犠牲の要石が外れていくと思います。

学校の先生の見えない犠牲の要石も
問題になっていますよね。

だから

「犠牲」の要石から

あなたに感謝という
「個性」の要石


にみんなで変化していく時なのだろうと思いました。


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作ろうとされている方のお話をシェアしています。
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