見出し画像

今の経済が「愛」と再会するとき♡

これから 来る新時代の特徴を元に
これからの教育を考察しています。




新地球が愛がベースになるということで
これまで愛とは何か?
愛の教育とは何か?
について考えてきました。
詳しくはこちらを読まれてみてください。


上記記事でも書いていますが
これから私たちは
新しい社会の構築の中で
新しい教育を考える必要があると
思っています。


そのためには
これまでの
「お金」に対する考え方を
変えていく必要があると思っています。


新時代に向けて知っておきたい「お金」について
マガジンにまとめています。
よければ読まれてみてください。


①お金の何が問題なのか?


さて
「お金」自体は
単なる交換手段なのですが
お金に色々な解釈が乗せられてしまっている
のが、今の世の中の大きな問題の一つだと思います。


「お金」があるかどうかで「生死」が決まる、
と考えられていたり
「お金」をたくさん持っていることが幸せ
だと考えられていたりで
そのために
教育が戦争になっています。

例えば…

たくさんお金を得る手段=大きな企業に就職=有名大学=受験戦争

お金がたくさんある=幸せ
=承認欲求
(私ってこんなに幸せであることを知ってもらいたい)
=エゴ
(お金を持っている私の方が立場が上)

のような感じですね。


少し話がずれますが
ひとりひとりの小さな競争、教育戦争が
大きな戦争につながっている

ことをこちらの記事に書きました。


冒頭にも触れましたように
これからの地球は
「意識、気持ち、思考」などが
早く現実化されていきます。
(最近時間が早く過ぎるのを感じる方も多いのではないでしょうか?)


だから競争していると、
何らかの戦争が自分の人生に影響を及ぼしてくる
とも考えられますね。


私自身も子どもの中学受験の経験があり
(それはうまくはいきませんでしたが)
子どものためと言いつつ、
親自体が競争してしまい、疲弊してしまうのは
よく分かります。

詳しくはこちら


だから
子どもたちに平和を望むのであれば
親も競争をやめて
なぜ競争をしたくなるのか自分と向き合い
競争の元になっている「お金」とは?を改めて理解して
子どもにも競争のない新しい教育を創っていく時


だと思っているんです。


前振りが長くなったのですが
今回は「競争教育」の元になってしまう「お金」や
「今の経済」について
面白いアプローチで教えてくださる
専門家のご意見をシェアしたいと思います。



②本当の経済、偽の経済


まずは上記の本の冒頭から…

無謀な試みかもしれない。
経済って要はカネが全てでしょ。
儲けろ、稼げって話でしょ。
愛なんか入り込む余地ないじゃない。
こう言われてしまいそうな気がする。

愛の讃歌としての経済


普通そう思いますよね。


私もそう思っていましたが

「円・通貨」から「縁・通貨」への考え方で経済が回る
の記事にシェアした

この本の著者、浜矩子さんの言葉

経済は 〈人間の営み〉 そのもの」だとして、
「ひととひととが、出会いを通じてお互いをしあわせにする。
そのために経済活動がある。
ひとをしあわせにできないなら、それは 〈ニセの経済活動〉 です。

https://fit-toushi.jp/topic/5136/

は、まさに愛の世界✨
と感動もので


私の言葉で言うと


本来
人と人とが出会い、その個性(持っているもの)を交換し合う
手段としてのお金の流れ、
すなわち経済は
お互いを幸せにする「愛」である
はずなのに

自分が幸せであることを見せしめる手段になったり
人を支配するための手段にするような
お金の流れは人を幸せにするものではない。だから
今の経済、お金の概念は偽物である。


ということになります。


浜矩子さんの言葉に感動したので
他に何か本はないか?と
探したところ
まさにタイトルに「愛」がついている
経済の本に出会ったのです。


さて、この本の内容に進む前に
もう少し浜矩子さんの考え方が伝わる言葉をシェアします。
この絵本からの引用です。(同じく浜矩子さん著)


一部のひとだけが豊かでしあわせで、
そのほかのひとがふしあわせな社会をつくるものは経済活動とは呼べません。


このとき、「みんながしあわせ」でなくてはなりませんが、
「みんなが同じ」でなければいけないということは、絶対にありません。

それぞれがのびのびと自分らしくハッピーになれること。
そういう特性の違うひと同士の間に、
ハッピーな分かち合いが生まれるのが、本当の〈経済〉です。

https://fit-toushi.jp/topic/5136/


本当の経済は
個性の違う人同士の間を取り持つ
「幸せ」そのものなんですね。



③アダムスミス「国富論」は愛だった


ここでこの本の内容に戻りたいと思います。



この本に書かれていることも
基本は子ども向けの本のメッセージと同じで

経済は 〈人間の営み〉 そのもの」であり
「ひととひととが、出会いを通じてお互いをしあわせにする。
そのために経済活動がある。
ひとをしあわせにできないなら、それは 〈ニセの経済活動〉 です。

https://fit-toushi.jp/topic/5136/

その 〈ニセの経済活動〉から
本来の愛の経済と再会させるために

本物の愛の経済について

偽物の経済について

教えてくれているのが
この本の大まかな流れです。


愛を失った時、人間は人間でなくなる。
人間の営みに愛がないわけがない。
愛なき営みは人間の営みにあらず。

その意味でこの世には人間ではない人間が結構いそうな気がする。
経済活動(人間の営み)ではない経済活動も
かなり幅広く営まれている恐れが多い。

偽人間が、偽経済活動を繰り広げている。
だから愛と経済の関係が見失われている。

偽物たちによる偽物の経済活動が
愛と経済の間に割り込んで、その中を割いている。
この偽物偽物コンビを排除して
愛と経済の再会に向かって道を切り開く

これが本書に託された使命かもしれない。

愛の讃歌としての経済


さて本の中では
新約聖書には以下の三つの愛が登場するとして

エロス→欲求
フィリア→友の愛(友だけではなく誰にでもてを差し伸ばす)
アガペー→一方的に与える愛(無償の愛・神の愛)


これらの愛を
今の経済と関連づけています。

経済活動はエロスに決まっていると思う人も多いだろう。

経済競争の中にあってはフィリア、
すなわち友愛などが育まれるわけがない
ましては無償の愛であるアガペーに至っては、
経済活動とは最も遠いところにあること間違いなしだ
そのように言われそうである。

愛の讃歌としての経済

しかし


「経済学の父」と呼ばれるアダムスミスの
「国富論」と「道徳感情論」に通底する共感性
は、一方的に与える愛に根ざしている。

愛の讃歌としての経済


つまり
アガペーの愛である

と言われています。


アダムスミスの2大著書の「国富論」と「道徳感情論」については
こちらの記事が参考になりました。


さて共感性とは何かというと

共感には2つの側面がある。
共歓共痛だ。
共歓と共痛も愛なきところには生まれない。

愛あればこそ、他者の運命に関心を抱く。
愛なきものは他者の運命に無関心だ。
他者がどうなろうとどうでもいい。
それが愛なきものの感性だ。

人間には愛に裏打ちされた共感性がある
人間は他者の運命に関心を寄せ、他者に対して共歓と共痛を覚える。

「道徳感情論」において提示された
「道徳的感情の本質は愛だ。」という
この認識が「国富論」にも受け継がれている。

愛の讃歌としての経済


国富論といえば「見えざる手」が有名だそうですが
(私はこれまでほとんどこのことは無知でした。)


一般的に「見えざる手」に対する誤解があるそうで
その誤解とは

全ては市場に任せておけばいい。
市場で決まる価格が最適価格

などの考えが「国富論」である、という誤解。

弱いものいじめの新自由主義のルーツは「国富論」にある。
と多くの人が思い込んでいるが、
そこには市場原理は全くテーマになっていない。

愛の讃歌としての経済

というものだそうです。


では「見えざる手」の本当の解釈はというと、


愛を感じる人間であるものたちには共感性がある。

だから彼らは自分の利益を追求しているときにも
他者の運命に関心を持つ。

他者の状況をおもんばかり、
自分たちの行動が他者に与える影響に留意する。

本来の意味での忖度を働かせる。
自ずと社会全体の利益が損なわれず
全体最適が実現される状況を造りだす。
これが「見えざる手」の一節で語られていることなのである

愛の讃歌としての経済

なのだそうです。

見えざる手を語りながら本当に伝えたかったのは
人々が「見えざる手」に導かれている以上、
何らかの「見える手」が
そこに介在して人々の行動を制約したり誘導したりする必要なはい。

必要ないどころか害悪を及ぼす。

国家や権力の「見える手」がしゃしゃり出て方向づけようとする社会よりも
はるかにまともな社会になる。
だから「見える手」は出てくるな。余計なことはするな
ここそ先生が最もおっしゃりたかったことだった。

愛の讃歌としての経済

そして「見えざる手」とは
道徳感情であり
根底にある愛に根ざした感情

なのだそうです。

④経済活動三原則


ここまでのところを私の言葉でまとめると

人と人との間には
喜びも悲しみも分かち合う共感の感情があり
これは一方的に与える愛に根ざしたものである。
それがある限り、
人と人との間の営みとしての経済は
自然にうまくいくものである。

ということになると思います。


さて浜矩子さんが考える経済活動三原則
が書かれていて
これは上記にシェアした子ども向けのメッセージと同じになると思います。


1.経済活動は人間を幸せにできなければならない

2.経済活動は人間を不幸にしてはならない

3.経済活動は人権を侵害してはならず、
人権の礎(いしずえ)でなければならない

愛の讃歌としての経済

次章で述べる偽物の経済が
いかにこの三原則から離れたもの
かについて
述べられています。


⑤偽の経済

上記「国家や権力の「見える手」が余計なことをしたことによる
偽の経済について
本の中ではたくさん書かれていますが
ここでは3つのことについてシェアします。


☆貿易


WTO(世界貿易機構)(前身はGATT)は
世界の通称秩序の番人役を担っていて
基本理念は「自由・無差別・互恵」なので
通商版の経済活動三原則に見立てることができる

愛の讃歌としての経済

そうですが

FTA(Free Trade Agreement:自由貿易協定)
EPA(Economic Partnership Agreement:経済連携協定)

最近では12カ国で結ぶTPP(環太平洋パートナーシップ)

RCEP(東アジア地域包括的経済連携)などは

WTOの枠外で結ばれる通商協定であり

WTO原則に背を向けて
ご都合主義的なパートナー選びに基づく
差別的通商協定の締結

が繰り返し続けられていて
貿易取引における
愛の経済も脅かされ続けているそうです。


詳しくは本を読まれてみてください。

☆下心政治


経済政策とは
経済活動三原則に適合し、
愛の経済状態にあることを保証するために
外付け装置としての機能されるべきもの
であるが

その政策責任者が偽物であるために
経済政策も偽物になってしまったケース

それが残念ながら
今の日本の政治と言えるようです。


歴代、現職総理の名前から

アホノミクス
スカノミクス
アホダノミクス

と称して
書かれています。

いずれも
自分の野望を達成するための手段として
経済政策を濫用しているとして
具体的に書かれています。


詳しくは本を読まれてみてください。


☆グレーゾーン経済


愛ある真の経済と愛なき偽りの経済の間に横たわる
グレーゾーン問題
一見したところではホワイトな真の経済活動に根ざしているように
思われるが
実は人を幸せにできないかもしれない。


その身に深入りすればするほどグレーが深まり
ついには完全にブラックな領域に沈み込んでしまう恐れがある
危険地帯には
頭文字の組み合わせで出来上がっている用語のものが多い

愛の讃歌としての経済


そうです。

グレーゾーン的頭文字用語の世界には
CG(corporate governance )
CSR
ESG
SGDs
D&I


などがあるとして

その中の一つSDGsについて

筆者が気になる懸念ポイントはまずは3つある。

熱狂行き過ぎ懸念
外注丸投げ懸念
アリバイ工作懸念

熱狂は感染症だ。
発生すると誰もがその熱に浮かされる。
みんなやってるから、我らもやらねば。

SDGs教育の広がりぶりにも
いささか熱に浮かされているようなものを感じる。
小学校から大学まで実にさまざまなSDGs教育の試みが行われている。

その様子がネット上で華々しく紹介される。
「うちも紹介されるようにならなくっちゃ」
この心理がにわかづくりで熟慮に欠けた
SDGs教育体制の急ごしらえにつながらないか。

愛の讃歌としての経済


詳しくは本を読まれてみてください。


⑥まとめ


長くなりましたが
今回のまとめになります。

次世代に平和を望むなら
個人個人レベルでの競争意識をやめていく必要があり

競争の元になってしまっている「お金」について
理解を深めることが大切であるということ。


そして
お金の流れである経済についても
今の経済はニセの経済であることに気づき
本来のあり方を知ることが必要
だと思います。

浜矩子さんのメッセージを簡単にすると

経済は 〈人間の営み〉 そのもの
幸せな「ひととひととの出会い」


個性の違う人同士の間を取り持つ「幸せ」そのもの


のびのびと自分らしくハッピーでいて
かつ
そういう特性の違うひと同士の間の
ハッピーな分かち合い

だから
偽物の経済に気をつけて。

ということになると思います。



本来の経済とは
人と人とが出会い、
その個性(持っているもの)を交換し合うための
手段としてのお金の流れ、
すなわち経済は
お互いを幸せにするもの、
つまり
愛であるのですね。

すでに本来の経済のあり方
生活共同体を営まれている方達を
こちらの記事でシェアしました。


そして
人と人が出会って幸せになる様は
調和の概念だと思いました。

本来の経済に戻していくためには
人と調和するってどういうことか?をまず知ることが大切なのでは?
と思いました。


人と人とが個性で繋がっていくイメージは
こちらの記事で書いた「愛」の世界にもつながるように思います。


のびのびと自分らしくハッピーになれる
そういう特性の違うひと同士の間に、
ハッピーな分かち合いが生まれるのが、本当の〈経済〉


ならば
まずはのびのびと自分らしくいられるように
個性教育をしていかないといけないですよね。

そうしないと本来の経済の流れもできてこない
と思います。


こちらの記事では
個性を大切にしなければ
愛のエネルギーの循環が起こらない
ことを書きました。


そのためには
今の個性を無くすような教育から抜け出して


みんなで新しい教育を創っていくことが
浜矩子さんの言う

偽物偽物コンビを排除して
愛と経済の再会に向かって道を切り開く

愛の讃歌としての経済

ことになるのだろうと思います。



この記事が参加している募集

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?