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続きはあっても終わりはない

ええと、いきなりステーキではないが、人生の尺度なんて人それぞれだ。
昔から太く長く、細く短くなんて言葉が存在する。
どちらが正しいかなんて誰も判らない。
なぜならば、誰も終わりを経験していないからだ。

で、このようなことを深く考えさせられる内容の作品を紹介したい。

原題は「Edie」だが、邦題は「イーディ、83歳 はじめての山登り」とちと長い。
個人的には原題の方がシンプルで良いと感じた。

タイトル通り、イーディにまつわる物語である。
主人公のイーディは約三十年間、自身を犠牲にし夫の介護に専念した。
ところが、夫はあるとき突然息を引き取る。
独り残されたイーディを心配した娘は良かれと介護施設を紹介する。

娘の思いとは裏腹にイーディには解消できない蟠りを抱えていた。
それは冒険好きの亡き父との交友の証である絵葉書が発端だ。

亡き父は、いつか変な形の山を見つけたから、いつか一緒に登ろうと残している。
突如、イーディは考えることよりも行動へと移す。

そしてイーディは衝動的に娘に数日留守をすると伝言を残し、かつて父が抱いていた夢へと出発する。

都会を離れたイーディは、スコットランドのスイルベン山を目指し寝台特急に乗り込む。

到着したイーディは事前に予約したホテルに向かおうとバスの停留所を目指す。
停留所に着き時刻表を確認すると、しばらくバスが来ないことを知らずに黙ってバスを待つのだ。

しばらくして一台の車が停留所で止まる。
運転座席から若い男性がイーディに声を掛ける。
「バスを待っているのなら3時間は来ないよ…」と。
都会育ちのイーディからすると理不尽に聴こえただろうが、地元の人間からすると日常的な一コマでしかない。

「指定先まで送るよ…」と若い男性がイーディに声を掛ける。
最初は躊躇していたイーディだが、若い男性の申し出に甘え車に乗り込む。

だが、どちらが間違ったのかは定かではないが、繁忙期の中、予約していたはずの日時が間違っていた。
ホテル側の言い分だと翌日の予約となっている。
ところがイーディからすると本日となっている。
結局イーディは若い男性を引き連れてホテル探しをくり返いしたのだが、空きのあるホテルがなく若い男性はイーディに同情した挙句、自身の住処を貸すことにした。

若い男性の名はジョニーだ。
ジョニーは山の案内人として経験豊富であり、アウトドア製品を売る商いもしていた。

イーディが揃えていたアウトドア用品といえば、父が残した今でいう骨董品でしかなかった。
そこでジョニーと友人がイーディに対し条件付きで吹っ掛けるのだ。

先ず、山に向かうにはナビゲーターが必要であると。
次に最新の製品を所持して山に向かうべきだと。
そして次にいった内容が山に登るまでの数日間は練習を兼ねてジョニーと共に体力づくりをするべきだと。

その後、ジョニーはイーディと共にあらゆる技術を教える。
当初はジョニーからすれば、イーディは年老いた口うるさい金蔓(かねづる)としか思っていなかった。
だが時間を共有するうちに、いつしか友情として少なからずジョニーは感じていた。

本来であれば、ジョニーと共に目指す山へ向かうはずだったのだが、実年齢には敵わないと実感したイーディは夢を諦め家へ帰るといいだす。
この対応にジョニーは反発する。
全ては整ったのだから、あとは目指す山へ向かうべきだと。

結局、イーディは目標に向かう覚悟ができていた。
その代わりジョニーの助けを必要とせずに独りで目標に向かうと考えていた。

この申し出にジョニーは真っ向から反対した。
山はおろか、自然は最大の友人でありつつも、ときに最大の敵となると。
更に付け加えると、山登りの初心者であるイーディが単独での登頂は自殺行為であると確信していたからだ。

そこでイーディは本音を語る。
ここで私ひとりで登らなければ無に等しい…といった内容をジョニーに伝える。

恐らくジョニーには伝われないだろうが、イーディからするとなき父への想いから出た答えなのだ。

そして、イーディの旅が続く。

この作品を通して実直に感じた点が、山を人生と例え苦難を乗り越えるといったイーディに課せられた使命なのかと。

続きは本作を鑑賞して頂きたい♪

劇中でイーディと行きつけの飲食店の店主との短い会話である、「何も遅すぎることなんてないさ…」という台詞がこの物語の確信を突いている♪

わーお!

誰もが終わりなど知らない。
知っているとすれば、今か続きでしかない。
そんな事を学ぶ作品でもある。

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