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【自由を求める事は幸せの証】

こんにちは。

Takashiさんです。

今日は

『自由を求める事は幸せの証』

について考察していきます。


個人的には「自由」
という言葉が好きで
お氣に入りのパワー単語です。

かつて私は

「経済的、時間的な自由を手に入れる為に
 多くの犠牲を払ってでも目標達成したい」

「個人個人の意見が自由に発信出来るよう
 安心して落ち着ける場所を作りたい」

「自分の自由な空間を奪われたくないので
 一定ラインの線引きをしておく」

etc

自由を求める事を
ひたすら連呼していました。


自由という1つの大義名分を掲げ
明確な目標設定をして
ゴールに向かって進んで行く事が
決して悪い訳ではありません。

目的も無く時間を無駄にして
ダラダラと過ごすよりかは
遥かにマシです。


ただ心の中で何か違和感というか
引っ掛かる事を感じていました。

表向きにはコミットメントして
一所懸命に取り組んでいるのに
内心ではモヤモヤした状態で
スッキリしていません。


そこで私は

「この不一致はどこから来ているのだろうか」

「そもそも自由とは一体何なのだろうか」

「自分は本当に自由を求めているのだろうか」

etc

自問自答してみました。


色々試行錯誤しているうちに
ある事に氣が付きました。

それは

「今自由である事を認識していない」

「自由に対して感謝を表していない」

「異常なくらい自由に執着している」

です。


自分で勝手に自由でないと思い込み
ピントが外れた事にフォーカスして
空回りしている状態です。

自分の現状を
マズローの5段階欲求に
照らして振り返ると

「朝昼晩と食事が出来ている」

「ゆっくり眠れる家がある」

「家族とコミュニケーションが取れる」

「自分を理解してくれる人が居る」

「自分をより一層高める為に追い込む」

上手く当てはまっています。


自由に行動出来る環境で無ければ
欲求は満たされません。

にもかかわらず
執拗に自由を求めています。

もちろん
更に進化向上する為に
自由の容量を増やしていく
目的はあります。

しかし
誠実性が一致しない状態で
自由を追いかけても
何も得られません。


もし

「絶望の淵に立たされている」

「どん底で四方八方に追い込まれる」

「死の瀬戸際を彷徨っている」

etc

状況であれば
「自由になりたい」
と思える希望すら
出て来きません。

今すぐに目の前のピンチから
脱却したいと思うものです。


自由という言葉を
口に出来ている事自体
羨ましく思えます。

「自由になりたい」と
言える時点で希望があり
幸せである証です。


快楽や短期的欲求を満たす為に
自由を求めようとする事は
真の自由を手に入れる事も
恩恵を受ける事も出来ません。

まさに
私が執拗に自由を求めていた要因が
瞬間的に楽を得ようとしていた事です。

上っ面では耳障りの良い事を
言っておきながら
実際は自分のエゴだけを
満たそうとする傲慢野郎です。

これでは自由は手に入るどころか
愛想を尽かして逃げていきます。


『追いかけるより持って来る』参照。

本当の自由とは
不自由を数多く体験する事で
自然と手に入るようになります。

『摩擦と矛盾を楽しむと飛躍する』参照。


自由を会得する為に
3つのアプローチを取ります

1.自由に心から敬意を払って感謝する

2.不自由な事を全て受け入れる

3.居心地の悪い環境に身を置き
  限界突破するまでやり遂げる


自由を求める事ばかりでなく

「他者や周囲に感謝と尊敬の念を表す」

「制約がある状況の中で自己責任で挑む」

「フロー状態に入って集中して取り組む」

自分以外に貢献出来る事を考えて
不自由な状況を楽しむ事が
本当の自由に近づいていきます。


自由の有難さを受け止めて
邁進していきましょう。

最後までお読み頂き
ありがとうございます。


追伸
あなたが考える自由とは何か
ぜひお聞かせください。

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