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残されたパズルのピースが教えてくれたこと

やっと始めた心が通った会話


一つ前の父についての文章を書いたことで、いくばかりか私の心は整理ができた。自分の心を整理するときは文章にすることが私は一番いいのかもしれない。

あれから母は、喪に服しながら父の遺影の前で毎日朝晩お経を唱えている。「ここ最近ね、お父さん、お経を唱えていたから、、私もと思って、、」そう言ってお経を唱え出して早3週間。母のお経はなんだか腑抜けのような声で下手くそで妙に気になる。最初はそんなこと言わないほうがとも思ったけど、あまりにも下手くそなので母に言ってみた。

「ねーお母さん。お父さんが、「まゆ、お母さん お経下手だなぁ」って笑ってるよ」

私がそう言うと

「そんなことないよねぇ すぐ上手になるもんねぇ」

と遺影の中の父と笑いながら会話をしている。こんな風に笑いながら父と母が会話しているのを初めて見たかもしれないと私はこの時思った。初めてではないかもしれないが思い出せない。少なくとも、私の記憶にはないのだ。

やっと父と母は会話を始めたのだ。ちょっと遅すぎたけど、これから会話を始めていくんだと思った。

もう一つの遺書のこと

前回、父の遺書のことを少し書いたけれど、実は父の遺書には不思議な点があった。それは、日付が2019年だったこと。遺書はプリントアウトされていてファイルに閉じられていた。そしてもう一つ「先立つ不幸をお許しください」とだけ手書きで書かれたノートが添えられていた。

訃報を聞いて、真っ直ぐ家に帰って父の遺書を見た時、ファイルに閉じられた遺書のこの日付を見て「変だな」って思った。なんで2019年なんだろう。

2019年は、父が骨髄腫?の診断をされた年だ。確かに父はその診断を受けて自分は死ぬのだと思い込み身辺整理をしていた。私にもそう言っていた。だからきっとその時に書いた遺書のはず。でも今回私が実家に戻ったときはプリンターは壊れていた。つまり、この遺書は少なくとも最近書いたものではないはず。2年前プリントアウトされたもの?そしてもう一つのノートには1ページ目にたった一行。「先立つ不幸をお許しください」

なんで最近のことを書いた文章がないんだろう?2019年も確かに死のうとしたのかもしれない。違う。骨髄腫と診断されたからいつ死んでもおかしくないという気持ちで遺書を書いたのだろう。だとすれば、最近の気持ちが書かれた文章がないのはおかしいんじゃないか?そう思った。

なんか変だ。やっぱり気になる。どうして最近の気持ちがないんだろう。不思議で仕方ない。最近のことを書く時間だってたくさんあったはずなのに。どうして?そんな気持ちでノートをまた開いてみる。すると、見開きのところが何枚も何枚も破られている跡がある。これはもしかして。


父の訃報を聞いて東京から実家に帰ってきて、あれよあれよという間に時間は流れた。葬儀屋さんが決めなきゃいけないあれこれを矢継ぎ早に聞いてくる。父のお姉さん達が家に来て父に話しかけている。お坊さんがまくらぎょうをあげてくださって、すぐその後に、お葬式のお金の話をする。なんだかなといろんな気持ちになる。母は傷心しきった様子でベットに行った。私はこのノートのことがどうしても気になって母が眠りについたのを確認して、父の部屋に行ってみた。薬の袋が山積みになっている。どんだけ薬飲むねんって突っ込んだ。片付けられているようないないような微妙な部屋。

お父さんは毎日この部屋で何を想っていたんだろう。考えると胸が苦しくなった。昨日まで生きていた父はもう2度とこの部屋に足を踏み入れることはないんだと思うとまた涙が溢れてきた。ティッシュで涙を拭いてゴミ箱に入れようとした瞬間、ゴミ箱の中に何枚も何枚も破ったノートのピースが捨てられているのが見えた。

びっくりした。多分10枚は超えているだろうノートのページが破られて捨てられている。慌ててゴミ箱をひっくり返して全てのノートのピースを拾った。それからそれらを一つずつ拾い上げて細かく破られていたそのノートのピースをパズルのように一つ一つ合わせてみた。何時間かかっただろう。うまく合わない。細かすぎる。それでもどうしてもここに書かれている言葉を読みたいと思った。ここに書かれている父の気持ちを。

2時間くらいパズルと格闘していたら令和3年5月25日って文字が見えてきた。これだ。これが最近お父さんが書いた遺書だ。全部のピースを合わせられた訳じゃないから読みにくいのだけど、それでも読めた。

○○○(母の名前へ)へ。

〇〇〇(母の名前)には42年間あまりお世話を掛けありがとう。感謝している。このことが〇〇〇(母の名前)をはじめ、〇〇〇(姉の名前)真友美、皆さんにどれだけ迷惑をかけることになるか想像もできません。

しかしながら身体が限界がきました。病気が発見され次から次へと襲いかかる病魔と闘ってきましたが、もう限界、限度、終着駅が見えてきました。現在は骨と皮となり、歩くのも困難になってきました。

うつの投薬の副作用にも犯され、味覚、臭いもわからなくなり治癒不可能となってしまいました。重ねてかかるこの迷惑をどうかお許しください。

許してください。許してください。許してください。許してください。馬鹿が自殺したと思ってもらえれば他に何もありません。


ピースを合わせてなんとか読むことができた父の言葉はとてもネガティブで苦しい言葉で溢れていた。そして思った。これで終わるのは嫌だと思ったんだなって。だめだ。涙が溢れて止まらない。苦しかったね。お父さん。苦しかったね。

何枚も何枚も同じような言葉を書いては破って捨てた。こんなネガティブな言葉で終わるなら、どうせならいい言葉で終わりたいってそう思ったんだよね。

「許してください」で終わる最期より「愛している」で終わる最期がいいと思ったんだよね。

このノートの遺書を書いていた時の父の気持ちを思うと、居た堪れない気持ちになるけど私はこの父の葛藤、最期の葛藤に触れることができて良かったと思う。

多分、天国で「まさか、まゆがその遺書を見つけるとはお父さん、思っても見なかったよ。まゆは、やっぱりすごいね」って言っているような気がする。次の日、母はその破れたピースのカケラでできたもう一つの遺書を読んで震えながら泣いていた。

「許してください」で終わる最期より「愛している」で終わる最期がいい

改めてそう思う。父が残したもう一つの遺書から得たメッセージを胸に、愛するよ。この人生を。

そういえば、お父さんの命日の日付と「愛せよ」という文字を入れた遺骨ネックレスがもうすぐ届くよ。届いたらまた報告するからね!



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