「やりたいこと」 について

何かに熱中する事ほどよい生き方はない。前にも書いたが、「意味の連続」は人間存在の本質であり、それが濃いほど個人に確固たる物語を与えるからである。ではどうすれば何かに熱中できるだろうか。

「やりたいこと問題」というのがある。「やりたいこと」が無い、もしくは続けていくうちに飽きてしまうという問題だ。確かに、それさえしていれば幸せを感じる、というものを持っている人は稀だと思う。

やっていて楽しい事、自らすすんでやってしまう事はある。しかしそれも続けていくと問題が起こる。飽きたり、幸せを感じなくなったりしたらそれは「やりたいこと」ではなくなる。


僕はモノづくりがしたくてエンジニアになろうと思った。少しプログラミングを独学していたというのもある。大学で情報系に進み、ITエンジニアになるための教育を受けているが、問題は起きるわけだ。膨大な課題や難解すぎる講義にモチベーションが下がり、飽きも来る。単位を取れさえすればいい、みたいな思考になったりもする。現状、学校の勉強が「やりたいこと」だとは言えないと感じる。

「やりたいこと」に到達することはできるのだろうか。

そもそも人間の意識は一方向のベクトルで成り立っていないから、不可能ではないかとも思う。現代では膨大な無料コンテンツが溢れ、魅力あるサブスクリプションも急速に普及しているから、即時的な快楽を得るのは容易だ。それらによって「意味の消費」は飽和状態なのである。


もっとライトに捉えた方が良いと思った。それさえしていれば幸せ、とまでは行かなくとも苦にならずに続けられるもの。「苦にならない」というのは大事だし、それは才能でもある。それを見つけられるといい。

SHOWROOM代表の前田裕二氏は、徹底した自己分析と多様な体験によって見つけることができると、著書で述べていた。確かに、自分がどういう時に楽しいのか、悲しいのかなどと掘り下げていくことで自分を知ることができる。また、出会ったことのない物事を体験することで新たな自分を見つけたりもするだろう。

最近は、長い目で自分がどこに指向するかを意識しつつ気の向くままに色々とやっていきたいと思っている。でもあまり先の事を考えるのは良くないかもしれない。常にフットワークは軽くいたいものだ。


意味のない経験なんてほとんどないだろうと思ったりする。意識していなくても何かしらのインプットは自分の中に生まれているんだろう。そして意識しないままに自分を変えていくのかもしれない。


読んでくださり、ありがとうございました。 今後より充実したものを目指していきます。