映画 『トゥルーマン・ショー』 (1998年) 感想
この映画のテーマは、「人間の実存の制御」だと思う。元ネタはフィリップ・K・ディックの小説らしいので、僕の好きな世界観だろうとは以前から思っていた。
リアリティショーのあり方をアイロニカルに描いている作品でもあるので、今日の社会に通ずる部分も色々あると感じた。視聴者の描き方に、痛烈な皮肉が込められている点も見どころの1つだ。
あらすじは以下。
人生のすべてをテレビのリアリティショーで生中継されていた男を描いたコメディ映画。離島の町シーヘブンで生まれ育った男トゥルーマン。保険会社で働きながら、しっかり者の妻メリルと平穏な毎日を送る彼には、本人だけが知らない驚きの事実があった。実はトゥルーマンは生まれた時から毎日24時間すべてをテレビ番組「トゥルーマン・ショー」で生中継されており、彼が暮らす町は巨大なセット、住人も妻や親友に至るまで全員が俳優なのだ。自分が生きる世界に違和感を抱き始めた彼は、真実を突き止めようと奔走するが……。主人公トゥルーマンをジム・キャリー、番組プロデューサーをエド・ハリスが演じ、第56回ゴールデングローブ賞で主演男優賞と助演男優賞をそれぞれ受賞。「刑事ジョン・ブック 目撃者」のピーター・ウィアーが監督を務め、「ガタカ」のアンドリュー・ニコルが脚本を手がけた。
ジム・キャリーといえばコメディ映画の帝王と言われている。この映画もコメディに分類されるらしいけど、内容は結構シリアスだし、あまり笑えない話ではある(随所にユーモラスな場面はあるけれど)。
彼のまわりの人々は皆、役者である。父も母も、親友も結婚相手も。自分のまわりの環境を、全てコントロールされて生きてきたのである。それを知った時の衝撃と絶望は想像し難いものだと感じた。
しかし現実世界のおいても同様に考えることは可能だ。なぜなら「他人が意志を持つ存在であること」を証明できないからである。それに基づくならば、「僕が見ている(認識している)世界」こそが「世界」なのであり、自らの死をもって「世界」は終わるのだ、という「セカイ系」的な概念にも接続する。
主人公のトゥルーマンは全てが虚構の社会で生きてきた。けれど、それはそれで幸せな世界だったのは間違いない。番組監督のクリストフが言っていたように彼は、まさに理想郷のような社会で生きていたと言える。
クリストフは現実社会に絶望していたことが窺える。クリストフなりにトゥルーマンを愛していた事も伝わってきた。生まれてから見続けたわけだから、実際に愛情は大きくなっていったようだ。
トゥルーマンが生きる日常において、クリストフは神の役割を果たしていて、それはジョージ・オーウェルのディストピア的世界観に通ずるものもある。『1984』における機関「ビッグ・ブラザー」のように、全てを監視しコントロールしようとする存在である。この点も現実に起こり得る話であると思う。国民をスコアで格付けして管理しようとする、中国の「社会信用システム」などを思い浮かべれば実感できるだろう。
こうして考えてみると、非現実的なコメディだとは言い切れない部分が多々あって、やはりゾッとする話でもあると感じる。
色々な結末があり得るだろうと、最後どう転ぶのか気にしながら見ていたが、あのエンディングは良かったのではないかと個人的に思う。後味は結構良かった。
割りと古い映画だけど素晴らしかった。SF好きな人が見ても面白いと思う。
読んでくださり、ありがとうございました。 今後より充実したものを目指していきます。