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ずっちのこと

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伴侶であった雄猫のずっちのことを、写真と文章でここに残します。 共に過ごした時間の後半に入ったあたりまで書いてあります。 もう少ししたら続きを。
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MEMORIA ずっちモノクローム

白黒フィルムで撮った古い写真をスライドショーにしました。#猫#記憶

「ずっちのこと」のずっち

「ずっちのこと」のずっち

猫のずっちと出会ったのは1995年の10月でした。わたしが校正者になるずっと前、『集英社 世界文学大事典』の編集を手伝っていた頃でした。ずっちとはそれから、一匹と一人、十六年半を共にしました。

先日、ずっちの白黒写真をスライドショーにしました。渋谷区の一軒家の二階を借りて、半年ほどずっちを閉じ込めていた頃の写真です。

それまで、わたしは足立区のアパートの一階に住んでいました。辺りにはまだ広い畑

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「ずっちのこと」のそれから

「ずっちのこと」のそれから

1996年春、ベランダの金網の端を開けて、ずっちの出入りを自由にしました。

『世界文学大事典』の編集の仕事が終わり、『ハーレクイン・ロマンス』の編プロに移った頃でした。訳文を読んで、少しぎこちない箇所を原書に当たって手直ししたり、邦題を考えたりする仕事でした。

毎晩八時半には帰宅していたと思います。最後から二つめの角を曲がり、少し坂を下ると、最後の曲がり角にずっちが胸を張って座っていました。

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「ずっちのこと」と大家さんの猫たちのこと

「ずっちのこと」と大家さんの猫たちのこと

台所の隅に、鯖虎の、毛もまばらな猫の赤子が置かれていた。母猫が咥えて運んできたのだろう、唾液のようなもので全身がべったり濡れていた。階下の大家さんの、まだ一歳くらいの子のお腹が膨らんできたのは知っていた。よく一匹でベランダの金網の中まで避難してきて、心細いような目でわたしを見たことがあった。赤子を助けてほしくて運んで来たにちがいない。赤子は死んでいた。

わたしはその赤ちゃんをどうしたのだったろう

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ずっち原っぱ / Rock' N' Roll Suicide 97-99

「ずっちのこと」に出てくる野原のずっち。いつもここにいました。
この空き地は10年のあいだありました。(デヴィッド・ボウイ・ヴァージョン)

ずっち原っぱ:Walk On the Wild Side 97-99

「ずっち原っぱ」ルー・リード・ヴァージョンです。写真を少し追加しました。

「ずっちのこと」の野原のこと

「ずっちのこと」の野原のこと

斜向かいに、ブロック塀に囲まれた原っぱがあった。小さな住宅がひしめいている一角に、そこだけぽっかりと、草花が咲き乱れる空間が保たれていた。原っぱに隣接する巨大な要塞のような家の土地で、そこの方が、草花の種子を蒔いて、あえてほったらかしにしている「野原」だった。木戸が開け放たれていることが多く、中に入ってみたくなる。ずっちは木戸が閉まっているときでも、下をくぐって自由に出入りしていた。暑くなると外に

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「ずっちのこと」とnoteのこと

「ずっちのこと」とnoteのこと

このnoteは「ずっちのこと」という総タイトルのもとに、画像(コメントつき写真)、動画(スライドショー)、テクストと、そのつど形式を選んで投稿しています。三つの形式が相互に乗り入れ、影響し合い、響き合うようにできたら面白いなと思っています。

画像にコメントをつける投稿は、グループにできる写真が少なく、数枚の時に使っています。

スライドショーはたくさんの同種の写真をつなげて、「動いているかのよう

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ずっちの愛情

ずっちの愛情

「『ずっちのこと』のそれから」の中で、ずっちが毎晩曲がり角でわたしの帰りを待っていてくれたと書きました。わたしがまだ『ハーレクイン・ロマンス』の仕事をしていた頃です。

毎晩迎えに来てくれただけではありません。ずっちは狩りを能くし、病気で臥せっているわたしの布団の枕元に、「新鮮な死んだスズメ」を運んできてくれたこともありました。
ずっちがそんな親愛の情を示さなくなったのはいつからでしょうか。

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ずっちのトレイのトイレ

ずっちのトレイのトイレ

以前「『ずっちのこと』のずっち」をお読みになった方は覚えていらっしゃるかもしれませんが、ずっちは自動ドアのあるマンションに勝手に出入りしたり、人が玄関を開けると同時にするりと上がりこんだりする、なかなか大胆なところがある猫です。

ずっちは人と暮らしていたのでしょうか。それとも、野良として生まれ、人と関わるうちに行動の仕方を学んだのでしょうか。ずっちがいつどこで生まれ、どうやって大きくなったのか、

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