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ずっちの愛情

「『ずっちのこと』のそれから」の中で、ずっちが毎晩曲がり角でわたしの帰りを待っていてくれたと書きました。わたしがまだ『ハーレクイン・ロマンス』の仕事をしていた頃です。

毎晩迎えに来てくれただけではありません。ずっちは狩りを能くし、病気で臥せっているわたしの布団の枕元に、「新鮮な死んだスズメ」を運んできてくれたこともありました。
ずっちがそんな親愛の情を示さなくなったのはいつからでしょうか。

鳥籠のようなベランダを出て外に行けるようになってしばらくは迎えに来てくれていましたから、96年の後半でしょうか。『ハーレクイン』の仕事は合わないと思いはじめた頃かと思います。

ずっちと暮らす部屋にドイツ語が訪ねて来るようになりました。ドイツ語は『ハーレクイン』の前に『大事典』を作っていたときに知り合った人で、大学の語学の講師をしていました。

ドイツ語には、ずっちに挨拶してもらわなくてはならないので、来る時は「シマアジの刺身」を持ってくるように言いました。
ドイツ語がしぶしぶ「シマアジの刺身」を携えてきたので、ずっちにシマアジを食べさせました。シマアジがなくて「ヒラメ」のこともありました。

闇の中でドイツ語に組み敷かれて、わたしが苦しげな呻き声を上げはじめた時でした。
「ダーーン」と床が震動するのと、「うぉあ」と言ってドイツ語が四つん這いのまま真横に飛んだのが同時でした。電気を点けると、目をつり上げたずっちが四肢を突っ張っていました。
ずっちは階段家具のてっぺん(の段ボールベッド)から、ドイツ語の脇腹すれすれに飛び降りたのでした。
ドイツ語は世にも恐ろしい目に遭ったという顔で縮み上がっていました。わたしはそんなドイツ語を横目に、「ずっちよくやった」と思ったものです。
襲われていると思って、助けに入ってくれたのですね。

真夜中の段ボールベッドの中でずっちがどんな気持ちでいたか、よくよく考えて、すぐにドイツ語と縁を切ってしまえばよかったのですが、なぜそうしなかったのでしょうね。

しばらくしてずっちが戻らなくなりました。



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