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「ずっちのこと」と大家さんの猫たちのこと

台所の隅に、鯖虎の、毛もまばらな猫の赤子が置かれていた。母猫が咥えて運んできたのだろう、唾液のようなもので全身がべったり濡れていた。階下の大家さんの、まだ一歳くらいの子のお腹が膨らんできたのは知っていた。よく一匹でベランダの金網の中まで避難してきて、心細いような目でわたしを見たことがあった。赤子を助けてほしくて運んで来たにちがいない。赤子は死んでいた。

わたしはその赤ちゃんをどうしたのだったろう。母猫が取り乱したように部屋の中に入ってきて赤子を探し、わたしの顔を見て鳴いた。

階下の大家さんのところは、多頭崩壊していた。物件の下見に行った時、大家さんの玄関先はひっそりしていて、猫の子一匹いなかった。引っ越しが決まり挨拶に伺った日、初めて玄関を開けてもらった。強い獣臭とアンモニア臭の淀みに、目がチカチカした。奥の壁の棚にはいろんな物に紛れて猫たちが嵌っていた。何匹いるかわからなかった。

出かけるには外付けの階段を下りて大家さんの玄関の前を通らなくてはならない。朝と夜、大家さんの敷地を通る時、わたしはいつも緊張した。外に出ている猫たちの中に、重い病気の子を見かけてしまうからだ。

上顎に穴があき、下顎がだんだん溶けていっている子がいて、たまりかねて「病院に連れていってあげてください」と頼んだこともあった。

そのときは病院に連れていってくれたが、大家さんご夫婦は高齢で、見るからに疲れていて、猫を病院に連れていく余裕がないようだった。死んだ猫をどうすることもできずにゴミに出したことがある、と奥さんが言った。

猫たちが増えてしまって、ただ放っておくしかないのだった。その息苦しさの中で大家さんの猫たちは耐え、弱っていった。

他人の猫の飼い方に文句をつけることはしにくい。大家さんもわたしも猫にとっては身勝手な飼い主であることに変わりはない。猫は少しのあいだ、偶然繋がっただけの飼い主のやり方に付き合って、死んでいく。

外へ遊びに行くには、ずっちも大家さんの猫たちの猫溜まりを通り抜けなくてはならない。ずっちは余所者として酷い目に遭うかもしれない。

ずっちは外へ行った。初日は、恐れていたとおり大家さんの猫たちの攻撃を受けて、向かいの家のトタン屋根の上に追い詰められていた。ずっちが帰ろうとしたら、大家さんの猫溜まりを突っ切るしかない。猫たちに追い散らされて、この二階まで辿り着けないかもしれない。

ずっちは戻ってきた。時折、階段の上まで追いかけられたりしながら、戻ってきた。毎日突破し、毎日戻ってきた。

ずっちは慎重に階段を下り、大家さんの玄関の前をゆっくり通って、散歩へ行った。近くにとてもいい野原があって、たいていそこへ行っているようだった。真っ黒になって帰ってきて、とてもよく眠った。

しばらくすると、大家さんの猫たちはずっちを追いかけなくなった。ずっちは大家さんの猫溜まりを堂々と通り抜けて出ていって、必ず戻っきた。

ずっちには意志と勇気があった。そんなずっちをわたしはいつも尊敬していた。

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