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中学受験に挑んだ親子のこと

1 はじめに


首都圏の中学受験は、加熱の一途をたどっています。
少子化にも関わらず、23年入試の受験者数は過去最多だった前年を上回りました。
また、22年入試で史上初めて17%を突破した受験率は、23年入試で更に0.56ポイント上昇しました。
9割以上が2月1日登校しない(もちろん受験で)という公立小も、あるくらいです。
 「公立(中)不審」や「コロナ禍での対応」が良く言われますが、そこは一旦別テーマとし、私はこれまで中学受験に挑んだ生徒、保護者について伝えていきます。
中学受験をお考えの方、現在進行中の方に、少しでも役立てば幸いです。
今回登場するのは、以下の2名です。
・(仮名)緒方君(慶應中等部、普通部など合格)
・(仮名)吉村君(桜修館など合格)

2 緒方君(慶應中等部、普通部など合格)

緒方くんはサピックスと当校を併用し、両塾とも4年4月から6年1月まで通塾しました。
本人は明るく前向きな性格で、言われたことをしっかりできる生徒でした。「模試のときでも周りは気にならない」と物怖じしないマイペースで素直な性格で、「なぜ?」が口癖のような好奇心の強い子でした。

入塾当初は、「大学までの一貫校」を目指していました。
「近くに先生がいると覚えられる」ということから、当校を選んでくれました。
当時は、野球をしていました。
後に野球を辞めるのですが、唯一そのときにモチベーションが下がりました。
直後に、保護者の判断でバスケを始めました。小学校の友達には「中学受験をしない子」が多かったのですが、その子たちとも仲良くし、自分のやるべき通塾もしっかりできていました。
DSのゲーム大会で準優勝するなど、勉強以外にも才能のある子でした。
のちに合格後、「受験勉強で苦しいときには、勉強以外のことをやらせた。」と母親は言っていました。

サピックスマンスリーテストの前日に当校で対策をすることが多く、テスト範囲、指導範囲について母親と頻繁に連絡を取り合いました。
社会を中心に、途中から理科、国語、算数も指導しました。
基本的には、サピの授業でわからなかったことを当校で指導する形でした。
保護者は、「αクラスをキープ」することを当面の目標としていました。
ですが本人は、「国語の黙読(α以外は音読)が速くてついていけない」と苦戦していました。
母親は「勉強だけが唯一だとは思わない、大学付属へ行っても他大学へ行きたいならそれでも協力する」というスタンスで、ご自身と姉に中学入試での成功体験がありました。

4、5年時の志望校は、早稲田、早実、立教新座、芝あたりでした。
首都圏模試、四谷大塚模試、日能研模試と、様々な模試を受けさせ、テキストもいろいろなものを併用しました。
厳しいけれどしっかり教えるタイプの先生を好み、楽しそうに授業を受けていました。
社会は白地図、年表をコツコツと作成、記憶しました。
(プレッシャーを与えぬよう)ランダムに開いたところを一緒に覚え、飽きたら演習で手を動かすということを繰り返しました。
「新鮮さが失われる」ことから「予習を宿題に出さない」こととし、本人には「復習の大切さと納得感」を何度か伝えました。
また、「宿題は本人へのプレッシャーになる」という母親の考えを最優先しました。
国語では、登場人物に丸をつけ、「気持ち」に波線をつけるなど、ルール決めを徹底しました。

6年夏までは早稲田と慶應で悩んでいましたが、7月に第一志望を決めました。
1月立教新座、1日慶應普通部、2日立教池袋、3日慶應中等部
とし、9月から赤本を本格的に始めました。
結果4校ともに合格し、普通部に進学しました。

この子の成功要因は、生徒本人の性格です。
中でも好奇心、落ち着き、素直さ、精神的安定感は秀でていました。
加えて、母親の努力です。おそらく相当考えていらっしゃったのだと思いますが、辛さを一切見せない方でした。
また、「まずはいろいろとやってみる」という柔軟な考えも素晴らしかったです。
その覚悟と強さ、優しさが本人に安心感を与え、伸びと成功に繋がったのだと思います。

3 吉村君(桜修館など合格)

彼は、3年の1月に入塾しました。
「中学受験は未定だが、できれば桜修館がいい。 高校は良いところに 行きたい。」というスタートでした。
学校のテストはほとんど満点で算数は好き、ずっと「塾に行きたい」と言っていました。
最初は「数検取得」を目標にして、国語と算数を受講しました。

学習習慣がついており、塾の宿題を「朝に算数を30分、国語(漢字中心)を夜に」という約束を交わしました。
サッカーを週4日と、水泳、習字を習っていました。
「中学の指導内容がわかる学校の友達がいて、その子を追い抜きたい。」というのが、最初のモチベーションでした。

話しやすく質問のしやすく、字のきれいな講師を好んでいました。ですが、どの人とも平等に接することのできる子でした。
最初は、漢字の定着やトメハネを厳しくしました。
その結果学校の漢字テストが1位とり「こんなに早く通塾の成果が出るとは思わなかった」と喜んでいただけました。 

母親とも、頻繁に打合せました。
塾にご友人を紹介くださるような、明るく前向きな性格の方でした。
それもあり、話し合いながら問題解決(苦手克服)していきました。
「公式を覚えて解くというだけの勉強は、したくない。」「わからなくても、違う方法を考えてほしい。」というお考えでした。
「受験はしないが、中学受験の勉強はしてほしい。 少々挫折してもいいし、塾で指導した単元で(中学受験用の)難しい内容を入れてほしい」というご要望をいただいていました。
国語をやや苦手としていましたが、細かく見ることで「少しでもできるようになったこと」を見つけて報告するようにしました。
「正解を求め違うかなと思うと書かない、見切りが早い」というあまり良くない傾向がありましたので、 「答えを2つ出してもらい、◯か◎で採点する(×をつけない、否定しない)という方法をとりました。
また、地理に苦戦した際は「ランキング」に興味があることに着目し、そこから「りんごの生産地ランキング」などを伝えることで苦手を克服しました。
算数は先取りを進めていましたが、5年終わりくらいで小学校内容が終わったため、桜修館対策と中学受験内容を6年で進めることにしました。 

周りに受験する子が多い環境でした。
この子は歴史について少し変わった視点を持っており、「試験に出るような人物のことより、一般庶民の暮らしに興味がある。」と言っていました。
キャパの広い子で、受験に使わない英語同時に学び始めました。

私立中の受験も勧めましたが、「志望校を特定せず、習い事などとバランスをとりながら届く範囲で受験する」というコンセプトのもと、 無理して偏差値を上げるようなことはしませんでした。
あくまで自然に桜修館を目指しましたが、社会は「演習して欠けている知識の周辺事項をまとめて宿題にする」こと、 国語は「一日一読で宿題管理」 、過去問は「他府県を含む他の公立中高一貫校のものを複数年繰り返し」ました。

この生徒の成功要因は、2つ考えられます。
1つは、この子独自のものの見方です。この点を肯定し伸ばしたことが、作文(適正Ⅰ)に好影響を及ぼしたと考えています。
2つ目は、母親との頻繁なコミュニケーションです。コンタクトの際は、必ず1つは克服課題を設定し、その解決策を一緒に考え、必ず実行しました。

4 終わりに


まだまだ多くの生徒さんがいますので、私の実体験が皆さんのお役に立ちそうでしたり、続編にご期待いただけるようでしたら、「スキ」やコメントをよろしくお願いします!
また「もっとこういう話がききたい」というものがありましたら、お待ちしています。

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