『努力していたつもり』の自分
皆さんこんにちは、Dです。
前回の記事でお話した大学サッカーでの残り2試合が終了したので、今回はその結果と現在の心境についてまとめたいと思います。
結果
まず結論ですが、目標としていた1部昇格は達成できませんでした。
具体的には、
・1試合目 不戦勝 ○ 相手の大学に感染者が出たため、試合ができず不戦勝。
・2試合目 0−1 ● 引き分け以上で1部昇格が決まるという条件ながら後半に失点し、終盤に攻め込むも敗北。
このような結果となりました。
最後の試合終了のホイッスルがなった時、正直僕は全く涙が出ませんでした。
悔し涙よりも、もっとやれたのに、もっと走れたのになんで試合でできなかったんだろう。
そんなことを考えていた僕は、目の前の現実を受け止められずにいました。
よく最後の試合が終わった時に、悔いはないとか後悔はないと話す人がいますが、僕は真逆の心境でした。
後悔しかありません。考えれば考えるほど、もっと努力すべきだったと思います。
自分は『努力している』という勘違い
これまでのサッカー人生の経験から言えることは、
僕は努力しているつもりの人間だった ということです。
僕は、大学2年の始め頃からメンバーに入ることができ、同学年の中でもかなり早い時期から、試合に関わることができていました。
その頃から、現状に満足しているつもりはなかったものの、どこか「これぐらいなら大丈夫だろう」という気持ちがありました。
とは言っても、自主練習や筋トレはチームの中でもやっている方で、オフの日でもトレーニングは欠かさず行っていました。
また、自身を分析するために分析ノートを作り、練習や試合後に毎日の振り返りを行っていました。
しかし、実際は「努力している」のではなく「努力しているつもり」だったのです。
心の底から「俺は努力をしているんだ」と周りに自信を持って言えるほどではありませんでした。
これが勝利したチームと僕との違いであり、プロの選手と僕との違いであったと思います。
今なら、もっと早起きをして朝練の質を高めようとか、さらに自分のストロングポイントを伸ばすためにはどうしたら良いかなど、色々なことを考えて行動に移せるのになぜあの頃はできなかったのだろうと思うと、後悔しかありません。
物事で成果を出すためには、『圧倒的な努力しそれを継続し続けること』が何より大切であると改めて実感しました。
つまり僕には努力の量も継続も足りなかったということ、ただそれだけでした。
この経験を糧に
しかし、この学生時代のサッカー生活を通して、大きな学びを得られたと思っています。
もちろん、様々なことを学びましたが、
自分は努力しているんだという勘違いに気づけたこと
これが一番大きな学びだったと感じています。
小学生の頃から割となんでもできるタイプだった僕は、圧倒的に努力するということを経験せずに大学まできました。
これぐらいで大丈夫だろうという気持ちで、なんとなく努力しているつもりで、サッカーをしてきた結果、そこそこの成績しか出すことができませんでした。
この勘違いに気づけた今、僕は目の前の目標に向かって努力し続けるのみです。
努力しているつもりの自分から、努力し続けられる自分へと変化するための大きな一歩をこのサッカー経験から得ることができました。
まとめ
ここで僕のサッカー人生は終わりましたが、人生はまだまだこれからです。
サッカーという競技を通して、非常に多くの経験をすることができました。
僕はサッカーをもっと本気でやればよかったという後悔はありますが、サッカーをやってきたということに後悔はまったくありません。
むしろ、また生まれ変わってもサッカーをしたいと思うくらい、僕はサッカーが大好きです。
サッカーという競技を通して、非常に多くの経験をすることができましたし、仲間やライバルと切磋琢磨したことは大きな財産です。
来年からは社会人となり、いよいよ仕事が始まります。
そこそこの成績はもう入りません。
新たなステージで圧倒的な成果を残せるように、今から全力で物事に打ち込んでいこうと思います。
今回は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?