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かつてのサークル幹事長に捧ぐ〜きのこの生えそうなパンツ〜

「き、き、きのこ生えてるかもしれないのに…!!!」

炎天下、自転車を漕ぎ続けてムレたパンツを1日から2日、袋詰めにしてさらに炎天下で熟成させたとしたら、そこにキノコは生えるのだろうか。

よくわからない。たぶん、生えていなかった。

……

彼から電話がかかってきたのは、とある夏休みの朝だった。
「今、○○屋の前にいるんだ…。家から近い?」
かろうじて生きているという感じの、かすれて消えそうな声。

???

○○屋とは、わたしの実家近くの酒屋だ。わたしは大学の夏休みで、名古屋の実家に帰省していた。電話の彼は東京に住んでいる。

東京に住んでいるはずの彼が、なぜかわたしの実家の近くにいて、死にそうな声で電話をかけてきている。
状況がよく飲み込めないまま、わたしはとにかく彼がいるという酒屋に向かうことにした。

猛暑の太陽は早朝から厳しすぎる。玄関を出ると、まぶしくて目の前が真っ白になった。セミの大合唱で、頭がわんわんする。刺すような光に目を細め、首筋に垂れる汗を感じながら、大きなお店もない住宅街を、一人歩いた。

わたしは酒屋に向かい、彼はわたしの家に向かう。道の途中で、わたし達は出会った。

彼は、自転車に乗っていた。いや、乗ってはいなかったかもしれない。大きな袋を下げてよろよろと進み、わたしを見て一言、「おお」と言った。
死にそうな声だったからさぞかし大変なことになっているだろうと覚悟はしていたのだけど、汚れやにおいはさほど気にならなかった。それよりも、まるで陽炎のようにおぼつかない存在感が気になった。

オレンジ色のTシャツと、青い短パン。彼の首も腕も足も、服の境目から見事に焦げ茶色になっていて、道中の過酷さを物語っていた。

聞くと、彼は夏休みを利用して、東京から福岡まで自転車で旅をしようとしているらしい。
それで、途中にあるわたしの実家(名古屋)に寄ったのだった。

ボロ雑巾のようになった彼は、そのままわたしの実家に回収された。


……

いつも東京にある大学で、くだらない下ネタなどを言って笑い合っている彼が、わたしの生まれ育った街にいることが信じられない。それにわたしの前にいる彼は倒れそうで、何よりも眩しい光と暑さに溶けそうになっている。

大学に入学して、幾つもの彼の弱った姿を見てきたけれど、こんな姿は見たことがなかった。

わたしはどうにも状況を理解できなくて、両親とはじめましての挨拶を交わす彼を見ながら、なんだかぼうっとしていた。

実家に彼がきてからのことは、あまりよく覚えていない。
でも、東京から名古屋まで自転車を漕ぎ続けてきたので、まず風呂に入ってもらったのだと思う。

わたしの実家の風呂に彼が入ったとは、とても実感できないのだけど。

大学進学で上京したわたしにとって、大学生活と実家での生活は完全に分断されたものだった。東京でのわたしは女子大生の顔。実家でのわたしは娘の顔。二つの世界に生きていて、その二つが重なり合うことなど、ないと思っていた。

だけど、彼はその二つの境をいとも簡単に、やすやすと越えてきて、それがわたしを混乱させた。彼はわたしの両親と言葉を交わし、彼氏でもないのに、持ち前の人当たりの良さで、もうなんかいい感じになっている。


……

それから、彼は死んだように眠った。
お客さん用の座布団を枕にして、クーラーのきいた部屋で。

「どうぞ、ごゆっくりおやすみください」

わたし達親子は、傷ついた子猫を保護したような気分で彼の寝姿を確認し、そっと電気を消して部屋を出た。


………

「うわああああ!!!! 洗濯物が、ない!!!」

何時間眠っていたのだろう。
目覚めた彼は、もう陽炎のように消えそうではなく、この世にしっかりとした輪郭を持って存在していた。
何やらひどく狼狽している。

「あ、洗濯はしといたわよ。暑いから、すぐ乾くし大丈夫」
わたしの隣で母がウフフと笑った。

「あ、あ、あの、タオルとか、パンツ、、、、、、とか、、、、、ああ、あ、あ、あ、あ、すみません!あの、あのパンツ、僕が炎天下で履きつづけた、もしかしたら、発酵してるかもしれない、きのこ生えてるかもしれない、あの、そんなパンツを、洗っていただけたなんて、あ、わ、あの。本当に、もうなんていうか、すみません!」

わたしの母は、ちょっと天然というか、善良なところがある。
それで、彼の荷物の洗濯物の山を見て気の毒になったらしい。彼が眠っている間に、母は彼の使用済みの衣類を洗濯していたのだ。

おそらく、彼が眠る前、「後で洗濯機を貸してください」と言ったのか、「後でコインランドリーに行きます」と言ったのか、どっちかだと思う。

普通なら、そんな洗濯物を見て自ら洗おうという気にはならないと思うが、とにかく家に着いた時の彼の様子があまりにも悲惨だったので、「かわいそう。手伝ってあげなきゃ」と彼女の母性が発動してしまったのだった。

実際、わたしと弟を育て上げた母なので、男性のパンツなど朝飯前のようで、全く気にはしていなかった様子だ。

動揺したのは、それを自分で洗うつもりだった彼である。

目覚めたら、きのこが生えているかもしれないパンツを、女友達のお母さんが洗っている。
自分のパンツを初対面のお母さんに洗ってもらうだけでも恥ずかしいのに、そのパンツが、自分でも史上最高に熟成した熟成肉ならぬ熟成パンツだったとしたら。

これは今から思っても、かなり恥ずかしいことに違いない。


……

この彼というのが、一年後、わたしが大学時代に所属していた書道サークルの幹事長(学年代表)となる人物である。

この一件からも分かる通り、いろんな境目をやすやすと超えて、超えた先にある世界の人々とサクサク交流し、ひいては初対面の女性に自分の熟成パンツまで洗わせてしまう(まあ、これは事故だけど)、非常に不思議な魅力を持った、万人にとって親しみやすい人物だ。

眠り姫のように深い眠りから目覚めた彼は、わたしの家にたどり着くまでの過程を、おもしろおかしく話してくれた。
わたしの実家近くの公園で水浴びをしていたら、車で寝ていたお兄さんが「大丈夫か?俺の車で寝るか?」と声をかけてきたこと、公園には野良犬がたくさんいて怖かったこと。
他にもあったかもしれないけれど、もう忘れてしまった。

ちなみに、自転車の旅はもう過酷すぎて続けられないと、わたしの実家から東京の彼の家までヤマトで送り返した。
その際、彼の母親に電話をかけたが、彼は母親から「あんたって、本当にわけわかんないね」と言われたそうだ。そりゃそうだろう。息子がいきなり、「自転車で福岡まで行く」と言ったかと思えば、名古屋で挫折して、自転車が送り返されてくるのだから。

でも、彼は、そのまま新幹線に乗って福岡の後輩の家までは行くと決めていた。
その途中に、新潟の同期の家と、広島の同期の家に寄っていくらしい。

福岡に行くのに名古屋から新潟に行き、広島。どう考えても迂回しすぎであるが、彼の目的は実家に帰省中の同期や後輩に会うことなので、労力が余計にかかるというのはあまり気にしていないようだった。

「俺、何やってんだろ。ザコいよな」そう言って、彼は眉毛を下げて笑った。

……

わたしが最も尊敬している彼の良いところ。
それは、どれだけ手間がかかろうとも、面倒であろうとも、彼にとって大事な人を、ほかっておかないところだ。

彼とわたしは書道サークルの同期。

前回書いた通り、わたしは二年間の小学校のお習字経験しかない、書道なんてララーララララーラーって吉田拓郎を歌っちゃうくらいの、困ったちゃんだった。
一方の彼は、お父様が書家で、自身もずっと書道を続けてきたエリート。
書道歴や技術においては、超えられない壁どころの話ではない。

だけど、彼は、自然体でそうなのか、多少意識してやっているのかはわからないけれど、率先して飲み会で醜態をさらして散っていくし、こういうちょっと常人では思いつかないような行動だってしてしまう。人を傷つけずに、自分を笑い者にする。

友達に会いたいと思ったら、どんなに遠くても、会いに行ってしまう。

わたし達は、卒業してからも同期でグループ書道展を続けているが、本当ならヒエラルキー最下位であるはずのわたしがこうして伸び伸びと参加できているのは間違いなく同期、特に彼がいたからで、彼に助けられたことは、一度や二度ではない。


いつか、彼からの年賀状にこう書いてあった。

「目頭は、今年なんだかとても苦しそうだったよ。かくいう俺も背水の陣で、無理やり前を向いています」

彼との会話はいつも、下ネタのオンパレードなのだけど、時々こういう何気ない言葉のやり取りで、「見られている」とハッとする。

この年、わたしは体調を崩し仕事をやめ、彼は狭き門を見事突破し、転職に成功した。

……

卒業から二十年も経てば、それぞれいろんなことがある。
グループ展に参加している同期は12名。12名分の人生を背負って、書道展は続いてきた。

彼は、同期の中では結婚が早い方だった。
転職も成功したし、順風満帆と思いきや、それから彼にもいろんなことがあって、いま、コロナ禍で見たこともないくらい、彼は苦しんでいるように見える。

家庭の事情。仕事の事情。生活がギリギリな中、元・幹事長としてプレッシャーのかかる展覧会の開催。

言葉にすると簡単だけど、彼の状況を聞くと、いつも胸が痛む。トンネルに出口はあるのか?と思う。神様がいるなら、どうか救いをください。普段そんなことを思わないわたしがそう思うぐらい、大きく重いものを背負っている。わたしは彼が背負っている何一つとして、代わりにできる気がしない。



………

彼はよく自分のことを「ハピエン(ハッピーエンジェル)」と称する。
付き合いが長いと同期の中でもなんとなく役割分担もできてきて、最近、なんだか戦隊モノみたいだなあと思えてきた。

彼、ハピエンは、間違いなくレッドだ。

ここからは、ハピエンレッドに向けて書く。



……

ハピエンレッド。
生きていますか?
この記事はハピエンレッドの許可をとらず、勝手に書いています。

いつも、わたしが楽しく参加できるよう考えてくれて、ありがとう。
わたしは何か思いつくと、いてもたってもいられなくて、
意味不明なメールを撃ちまくり、
結局なんの役にも立っていないことが多いのだけれど、

「目頭が、こうして騒いでいるの、うちららしくてとってもいいと思います」

って
苦笑いして見ていてくれる感じ、とても助かっています。
おかげで、自己嫌悪にならずに済んでいます(少しはなった方がいいかな)。
同期のみんなも、目頭はああいうやつだから仕方ない、と理解して助けてくれるので、わたしは毎年、本当に展覧会を楽しみにするようになりました。

展覧会の質を高めたいなら、上手な人だけで開催すればいいですよね。

でも、そういうんじゃなくて、一人でも多くの同期と一緒に開催したい、そのためにできることはしたい、という一生懸命な気持ちで根気よく粘り強く声をかけてくれるハピエンレッドのおかげで、わたしもここにいていいんだって思えるし、ドロップアウトしないで参加することができています。

わたしが毎年、展覧会場に行けていた時は、ハピエンレッドがいつも朝、会場の鍵を開けて、最後の戸締りをしてました。会場近くのホテルにハピエンレッドと同期2人と一緒に泊まった時、「親戚みたいなもんだから」と言ってくれたこと、忘れません。

わたしはよく寝坊をして遅刻していたのに、ハピエンレッドは「会場を開けて掃除しなければ」といつも早くホテルを出てました。それで、わたしが会場についた時にはトイレも床も、とっても綺麗になっていたりして。わたしは女子だけど、わたしなんかよりずっと、女子力が高いよね(笑)

わたしは作品を出すだけでいいけれど、ハピエンレッドは会場の抽選に行って、会場を押さえて、メンバーに連絡して、会場の人と打ち合わせして、作品をまとめて、忙しい中なんとか有給を捻り出して作品を完成させ、準備日に「雨男ブルー」(この人も偉大な同期だ)と早朝から車で作品を搬入し、展覧会準備に1日を費やし、会期中はずっと会場にいて、来場者全員にあいさつをし、必要な会計を済ませ、片付けして、会場の人にあいさつして戸締りして帰るんだもんね。
本当に、何一つわたしにはできやしないよ。

こうして記事にしようと思ったのは、今、ハピエンレッドがとても苦しそうに見えるからです。

わたしは、書道ができないでしょ。
本当は、一番いいのは、質の良い、大きな作品をたくさん書いて、壁面を埋める(笑)ことなんだけれど、わたしにはそれができない。

だからね、せめて言葉にしようと思った。

頑張れっていうことじゃなくて、ハピエンレッドのいいところを伝えて、ちょっとでも心が軽くなったらいいかなって。燃料にはならないかもしれないけれど、背中をさすることくらいは、できるかなって。

わたしが苦しかった時、嬉しかったのは「苦しそうに見えるよ」って言ってもらったことでした。
ハピエンレッドが年賀状に書いた言葉なんだけど、「そう見えるよ」って伝えるだけで、誰かが見てくれてるって思えて気持ちが楽になったから、今度はわたしがそれをそのまま返すことにします。

それにね、noteって実は、結構な人が見てくれてるの。例えば300人の人が見てくれたとしたら、わたしは300人にハピエンレッドの良さを伝えられたってこと。

この記事を読んだ人がみんな、ハピエンレッドの応援団になるわけではないけれどね。わたし一人よりは、多分、力になるはずなんだ。

もしならなくても、いつものように笑ってね。

「またアイツがどこかで騒いでいる」ってね。

「下手な鉄砲撃ちまくれ、いつか何か撃ち落とすかも」って、言ってくれたから、早速、こうして下手な鉄砲を撃ってみてます。
はずしてもいつものことだから、気にしないよね。


「もう嫌だって疲れたよなんて 本当は僕も言いたいんだ」ってYOASOBI「夜に駆ける」が流れてきて、わたしはハピエンレッドがそう言っている気がしたの。

これまで、何度か存続の危機があったね。でも、ハピエンレッドが何かをできない、とはっきり言ったことはなかったし、その都度驚異的な粘りとガッツで乗り越えてきた。でも、今年はなんだか様子が違う。メールの文章から、そう感じた。

あくまでも気がしただけだけど、わたしはハピエンレッドがそう言った気がして、変な話しだけど、本当はちょっと安心したんだ。

東京からボロ雑巾みたいになってわたしの家にたどり着いた時みたいな、陽炎になって消えてしまいそうだった君を思い出した。
あの時はどうしていいかわからなかったけれど、今だってどうしていいかわからないけれど、陽炎のように消えてしまう前に、弱音を吐きながら、少なくともきのこの生えそうなパンツは、みんなで笑って洗えるんじゃないかな(笑)

いつも「ゴミだけを生産している」っていうけれど、そんなことないよ。
ハピエンレッドは未来を作っている。戦隊モノ風に言うなら、展覧会の未来のために戦っている。今日も、明日も、今回の展覧会も、どんな出来であれ未来にはつながっている。
その積み重ねで、わたし達の展覧会はできているんだから。

うまく言えないけれど、これからも応援します。って、変だね、、わたしも出品者だから。
もとい、これからもつながっていこう、これでいいかな。

うん。

うん。これからもよろしく。






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