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街風 episode.9 ~黄昏の海~

 ユミが、この場所を気に入るとは思わなかった。ユミがワタルに失恋してから、俺はここにユミを連れてきた。そして、そこから色々とあったけれど、俺とユミは付き合うことになった。

 「トモヤ、聞いてる?」

 「ごめん。」

 「私の愚痴ばかりで、いつも言ってごめんね。ここに来ると、心の内側に溜めてたものが全部出て来ちゃう。ねえ、たまにはトモヤの話を聞かせてよ。」

 「俺は話すこと何も無いよ。」

 「じゃあ、初めてここに連れてきてくれた時に少しだけ話してくれた、ここで出会った人について話してよ。」

 そんな事をよく覚えていたな。俺はユミの記憶力に感心した。もう時効だし、ユミとワタルに隠し事をするのも良くない、そう思った俺はユミに俺の過去を話すことにした。

 3年前、ここで1人の女性と出会った。アオイさんは元気にしているだろうか。

 「ユミ、3年前の俺は...」

 あの日と同じような黄昏時の海を遠く眺めながら、俺はユミに話し始めた。 

 3年前、中学2年生になった俺は両親の不仲が原因で、とてもストレスが溜まっていた。父方の祖父が認知症を発症したのは更に1年前の事だった。両親は、介護疲れで家の中でいつも喧嘩をしていた。俺と弟が寝た後の居間で、お酒を煽りながら口論するのが日課になっていた。

 ある日、いつも通り口論をしていた親父が酔った勢いで、俺と弟を生まなければ...と言った。たしかに、俺も弟も手を焼かせるような子供だったかもしれない。ただ、その言葉は俺を傷つけるのに十分に鋭利な刃となった。今まで仲良くしていた家族という形を疑うようになった。

 「もうどうでもいいや。」

 その日の夜に布団に入った俺は呟いた。明日も明後日もこれから先もどうでもいいと思った。

 翌朝。いつも通り起きると親父とお袋が居間にいた。昨日の親父の吐いた台詞は無かったかのように家族3人が居間に揃った。俺は、何も聞いてないフリをして、朝食を食べた後に学校へ行った。

 その頃、通っていた中学の一つ上の学年の先輩たちの中に不良集団があった。噂では、他校の人たちと喧嘩したりタバコを吸っていたり絵に描いたような不良だった。先生も手がつけられないほどで、いつも授業をサボってどこかで過ごしているような集団だった。人数は5人程度だったけれど、一人一人の名前は学校中に知れ渡っているくらいには有名人だった。

 俺は、いつも通り登校してクラスへ入って荷物を置いた。しかし、朝のチャイムが鳴る前に、俺はクラスを抜け出して屋上へ向かった。屋上へ出る扉のカギはいつも施錠されているはずなのに、その日はカギが開いており俺は扉を開いて屋上へ出た。春の朝は少し肌寒かったが、陽射しが暖かくてすぐに慣れてきた。俺は、行く宛も無く屋上をふらふらと彷徨った後に近くの壁に寄りかかりながらしゃがみこんだ。何をしているんだろう、と自嘲気味に自分を振り返ってみた。

 「お前、誰だ?」

 ドスの効いた声が聞こえた。声のする方を振り向いてみると、不良五人衆の一人のカズマ先輩がいた。カズマ先輩は、不良五人衆の中でも一番ガタイが良くて空手の有段者らしい。坊主頭に剃り込みを入れている頭の一部は、喧嘩で怪我した時に縫った後だという噂もある。俺は、いつも遠くから見ていた畏怖の対象がすぐ近くにいるため、あまりの恐怖でただただ立ち尽くしていた。きっとウサギがライオンをいきなり目の前にしたらこうなるんだろうな、とぼんやりと思っていたら、カズマ先輩が続けて俺に声を掛けた。

 「どうしてここに来たんだ?」

 カズマ先輩は、ここへ来た俺を怒ることもなく理由を聞いてきた。

 「実は...」

 俺は、昨日の親父の一言を聞いてから全てがどうでもよくなった話をカズマ先輩に包み隠さず話した。こんなしょうもない話なんて興味無いだろうなあと思いつつも、話し出したら止まらなくなった。カズマ先輩は、俺が話している間もずっと静かに黙って聞いてくれた。

 「そうか。お前も仲間だな。吸うか?」

 俺が話し終えると、カズマ先輩は胸ポケットからハイライトのメンソールを取り出した。よれた緑色のソフトパッケージからタバコを一本取り出して、俺に差し出してきた。俺は、遠慮無くカズマ先輩からタバコを受け取って、そのまま口に咥えた。カズマ先輩がライターを取り出して、自分の口に咥えたタバコに火をつけた後に、俺のタバコにも火を付けた。親父のタバコを吸う姿を見ていた俺はタバコの吸い方は知っていた。

 初めてのタバコは苦かった。口に含んだ煙は苦味と雑味に溢れていて、何が美味しいのか分からなかった。ただ、どこかでこの味を求めていた自分がいた気がした。

 「おう、相変わらずバカやっているな。」

 また別の先輩が来た。五人衆の中で一番不良から程遠い出で立ちをしているヨシノリ先輩だった。ヨシノリ先輩は、タバコを吸っていた俺とカズマ先輩を見下すように歩いてきて、そのまましゃがみこんでいる俺らの横に立った。ヨシノリ先輩は、定期テストだけはきちんと出席しており、常に学年トップの成績をとるような頭の良い人だ。どうして、不良五人衆にいて普段の授業をサボったりしているのかが不思議な人だ。

 「新入りか?名前は?」

 ヨシノリ先輩は、俺を見下ろしながら聞いてきた。

 「トモヤって言います。2年生です。」

 「2年生か。こんな朝から授業をサボって先輩とタバコを吸うなんて、とんでもない悪党だな。俺らと一緒にいるところを見られたら色々と言われるぞ。」

 笑いながらヨシノリ先輩は俺に話してくれた。

 「よし。今日はここで少し話でもしようか。教室に荷物を置きっぱなしなら持ってきな。初めてこういうことをすると奴らは探し始めるからな。早退ってことにしよう。」

 ヨシノリ先輩のアドバイス通りに、俺は朝のチャイムが鳴り終わってHRが終わる頃を見計らって教室に戻った。タバコの匂いがこびりついた俺は、教室にいたユミとワタルに”体調不良で早退する”と先生に伝えるようにお願いした。ユミもワタルも怪訝な顔をしたが、2人の返事を待つことなく俺はカバンを持って教室を抜け出した。

 屋上へ戻ると、カズマ先輩とヨシノリ先輩がいた。

 「よく戻ってきたな。」

 カズマ先輩が声を掛けてくれた。そこから3人でくだらない話をずっとしていた。春の陽射しは心地良くて、屋上で過ごしている自分に酔いしれるには十分だった。

 「俺らもお前と同じなんだよ。」

 カズマ先輩は、またタバコに火を付けながら話を始めた。

 「俺らは影で不良五人衆とか言われているけれど、別に不良に憧れているわけではないんだよな。ただ、毎日がどうでもよくて居場所もなくて五人で集まってボーッとしているだけなんだ。よくみんなが言っている噂は、殆どが本当のことばかり。心の隙間を埋めるために色々とやってきたけれど、何も心を埋めるものはなかった。でも、そう気づいた頃には家にも学校にも居場所は無かった。もしかしたら、家にも学校にも居場所が無いからこうなったかもしれない。ただ、もうどちらが先でもどうでもいいことだけど。」

 カズマ先輩は、フッと煙を吐いた。フラフラと宛も無く彷徨いながら上へと向かう紫煙は、俺らを投影しているかのように虚空へと消えていった。

 そうして、俺らはまた色々な話をした。気づけば、昼休みの時間になっていた。残りの3人は、今日は学校へ来ないみたいだ。

 「よし。昼飯でも食いに行くか。」

 そう言って、ヨシノリ先輩は立ち上がった。俺とカズマ先輩も後を追うように立ち上がってヨシノリ先輩に付いていった。そのまま学校を後にして、近所の中華料理屋に向かった。そこの店主はおじいちゃんで、五人衆は常連らしい。俺らは日替わり定食を食べながら、油まみれの小さなテレビを見ていた。午後は、近所のファミレスに移動してそのままグダグダと過ごしていた。カズマ先輩とヨシノリ先輩は、俺が経験したことのないような数々のエピソードをおもしろおかしく教えてくれた。

 その日は、あっという間に終わった。ハイライトのメンソールの匂いが微かに残った学生服を纏って家へ帰った。

 家に着くと、いつも通りの日常がそこにはあった。見せかけだけの家族。その日は、夕食も食べずに風呂に入ってそのまま部屋へ行き眠りについた。

 次の日も俺は屋上へ向かった。次の日も、その次の日も、俺は授業をサボるようになっていった。噂というものは面白いもので、誰にも話していないはずが学年中に事実が知れ渡っていることもある。俺は噂を聞きつけた先生に呼び出しを受けたが、適当に返事をしただけで反省も何もしなかった。両親も呼び出しを受けたが、俺は面倒だから言われた時間に教室に行くこと無く、先輩たちと近所でたむろしていた。

 その日の夜に家に帰ると、親父が居間で俺を待っていた。いつも通り、酒も置いてあった。

 「お前、今日のはどういう事だ。」

 親父は低い声で聞いてきた。

 「どうでもいいだろうが。親父にとっては、俺も弟も生まれてこないほうが良かったんだから、好き勝手やったっていいだろ。」

 吐き捨てるように俺は親父に言った。

 「そうか...聞いていたか。あれは違うんだ。いや、言ったことは事実だが本心ではない。俺は...」

 「もういいよ。」

 俺は、親父を遮るように会話を切った。そして、そのまま部屋に篭った。もう家にも居場所が無くなったな、そう思いながら布団に入った。

 それからも、俺は五人衆と一緒にいる時間が多くなった。このままずっとこうやって楽しい毎日が続けばいいなあと思っていた。

 「トモヤ。これを受け取れ。」

 そう言うと、カズマ先輩は残り数本しか入っていない緑色のパッケージのタバコを俺に渡してきた。いつも愛飲しているハイライトのメンソールだ。

 「いや、いいですよ。俺も近所でタバコくらい買えるし、申し訳ないですよ。」

 俺は手を左右に振り断るジェスチャーをしながら、カズマ先輩に言った。

 「違う。もうお前はここに来ないほうがいい。お前はまだ大丈夫だ。このタバコを吸い終わったら、もうここには来るな。俺ら五人は今年で卒業する。残ったお前は本当に孤立するぞ。そうなる前に、お前だけでもここから抜け出せ。分かったら、さっさとタバコを受け取ってここを立ち去れ。」

 今までの人生で一番怖い瞬間だった。カズマ先輩が凄みながら言ってきただけで、俺の体は硬直して首を縦に振ることしかできなかった。

 「何だよ。意味が分からねえ。」

 俺は、近所にある誰も来ない小さな海岸でタバコを吸いながらボヤいた。ここは近所の人も滅多に来ない場所で、最近は一人でここでタバコを吸うのが定番になっていた。黄昏時の海は、水面が金色に輝いてキラキラとしている。

 「おい、そこの少年!」

 俺は、突然の声に驚いてしまって煙を吸い込んで咽せてしまった。げほげほと咳き込んでいる俺の隣に来たのは一人の女性だった。その女性は、ショートカットでサバサバとしている感じがした。

 「未成年でタバコなんてよくないねー。警察に突き出しちゃおうかなー?」

 「好きにすれば?」

 「君、可愛いくないねー。」

 「私、アオイ。君の名前は何かな?なんて呼べばいい?」

 「トモヤっていいます。」

 「トモヤ君ね。よろしく。トモヤ君も不用心だなあ、初対面の人に名前を教えちゃダメって言われなかった?まあ、いいや。タバコ一本ちょうだい。」 

 「...。」

 何という人だ。マイペースにも程がある。その女性、アオイさんは、俺からタバコを一本もらうと貸したライターで火をつけた。

 アオイさんは、ゴホゴホと咳き込んだ。でも、そこからはハイライトのメンソールにも慣れたのか、味を楽しむようにゆっくりと喫んでいた。夕陽に照らされた顔はどこか影が潜んでいるような気がした。

 「少年よ。どうしてこんな人気の無いところでいるのだい?」

 アオイさんは、煙をフッと吐くと俺に訊いてきた。

 「もう人生がどうでもいいんです。俺は、家族からも愛されていないし、最近ツルんでいた先輩たちとも縁を切られたし。人生が何も楽しくないんです。」

 俺は、自分でも驚くほどにスラスラと自分のことを話していた。アオイさんは、タバコを吸いながら俺の話にうんうんと相槌を打ってくれた。そして、カバンから小瓶を取り出した。その小瓶は、綺麗な琥珀色に染まっていた。まるで、この黄昏の海を凝縮したような。

 「トモヤ君。君は、大人になりたい自分と、子供であることの無力さを感じている自分、その二つの拮抗を感じているんじゃないのかな。だから、少しでも大人に近づきたくてタバコを吸ったりしたんじゃない?まあ、これでも飲みなよ。」

 そう言って、アオイさんは琥珀色の液体が入った小瓶を俺に渡してきた。蓋を回して開けると鼻にツンと来た。これがウイスキーってやつか。俺は、そのままちょびっとだけ口に含んだ。口に入れた瞬間にビリビリと舌が痺れたと思ったら、口の中と喉がカァッーと熱くなってくるのが分かった。僕はあまりの熱さと辛さに咽せてしまった。アオイさんは、そんな僕の姿を見てニヤニヤしていた。タバコを吸うのを注意してきたくせに、未成年にウイスキーを勧めるなんてアオイさんもおかしな人だな。

 「どうよ。これが大人の味ってやつだよ。タバコもウイスキーもほろ苦い。でもね、大人になった人生はこれよりももっとほろ苦くて切ないんだよ。」

 ほい、と言ってアオイさんは僕にペットボトルのお茶をくれた。僕は、もらったお茶をごくごくと飲むと、アオイさんに質問をした。

 「アオイさんは、どうしてここに来たんですか?」

 僕がそう聞くと、アオイさんは僕のタバコをまた1本取り出して吸い始めた、一口吸うと今度はウイスキーを流し込むように飲んだ。そして、僕の方を向かないで落ちかけの夕陽を眺めながら話しをしてくれた。

 「私ね、叶わない恋をしているんだ。いや、叶ってはいけない恋といったほうが正しいかな。」

 アオイさんは、タバコから出ていく煙が空へと昇っていくのを寂しそうに眺めている。

 「私、今付き合っている人がいるんだけど、実はそれが不倫関係なんだ。あっちには可愛い奥さんと子供がいるって知ってて、ずっと彼と付き合っているの。」

 「え?どうして不倫なんか...」

 「最初はね、相手が婚約者なんて知らなかったんだ。それで付き合い始めた後に、相手に家族がいることを知ったんだよね。もうその時には私は彼のことを愛していた。だから、結局そのままズルズルと関係が続いちゃっている。ダメな事って分かっているのにね、分かっているのに...。」

 俺はアオイさんが両目を拭ったのを見た。テレビドラマの中だけの世界だと思っていた”浮気”や”不倫”を隣の人が今まさに経験しているなんて。

 「きっとね、トモヤ君のお父さんもトモヤ君と弟君が嫌いなわけではないよ。私の不倫相手も最後には必ず家族の元に帰っていくし。本当に勝手で大っ嫌いなのに私はまだ別れを切り出せずにいる。大人って結局は子供の延長線上にしかいないんだよ。だから、”大人ってこういうもんだ”っていうのも、トモヤ君とかが、”自分が大人になったらこうなりたい、こうあるべきだ。”って思って作り上げた架空の生き物だと思う。本当の大人なんて今の私みたいに分かっている答えに踏み切れずに悩んでいる子供ばかりだもん。」

 アオイさんは寂しそうに顔を少し上げてタバコの煙を吐いた。

 「トモヤ君には、昔からの友達はいるの?」

 顔を横に向けながらアオイさんは俺に質問をしてきた。俺はアオイさんに見惚れてボーッとしてしまい、反応がワンテンポ遅れてしまった。

 「...えぇっと、友達ですか?昔からの友達で今の自分に対しても今まで通り接してくれるのは、ワタルとユミっていう幼馴染だけです。」

 アオイさんは優しく微笑んだ。

 「そっか、今後もその2人を大切にしなさい。きっと一生の友達になると思うから。私も今の不倫関係をカミングアウトしても嫌な顔せずに話を聞いてくれた友達は数人しかいなくて、今でもその子達とは仲良いしこの先も友達で在り続ける自信がある。この歳になると、亡くなった友達もいれば、生きているのに二度と会う事の無い友達も沢山できる。”またね”って気軽に言ったのが最後に交わした言葉だったりもする。人と出会うってことは同じ数の別れも待っている。」

 「なんか、中学生の俺には分からないですね。」

 「でしょー?分からなくていいんだよ。タバコもウイスキーの味も分からなくていいの。というか、まだ知っちゃダメなの。きっといつか大人になって分かる日が来るから大丈夫。これは自論なんだけど”タバコもお酒も自分が大人になったことを実感するためのもの”だよ。2つとも大人しか楽しめないから子ども達は不満かもしれないけれど、子どもには必要無いもん。この苦さに人生を重ねて自己陶酔しているだけだと思うよ。でも、たまに自制できなくなってお酒やタバコに逃げちゃう人もいる。例えば、こうやって夕暮れ時の砂浜でウイスキー片手に感傷に浸りたくなる大人もいるしね。」

 俺とアオイさんは目が合って笑い合った。そして、最後のハイライトのメンソールをアオイさんに勧めると、遠慮なくアオイさんは吸い始めた。

 「あーあ、私はタバコは普段吸わないのになー。でも、これで最後の1本も無くなったわけだし、不良五人衆の元には戻れなくなったね。」

 ああ、やられた。喫煙者にしては笑うたびに見えてくる白い歯が綺麗だと思っていたけれど、俺のタバコを無くすために無理やり吸っていたのか。そして、ウイスキーもあと少しだけしか残っていない。

 「私の友達がここの近くに住んでいて本当はそこでやけ酒する予定だったんだけど、ここに来るまでの細い路地の入り口に野良猫がいたんだよね。その猫が案内人みたいで、まるでジブリ映画の”耳をすませば”みたいなシチュエーションにテンション上がってついて来たらこの海岸に辿り着いたんだ。そしたら、寂しそうにタバコを吸っているトモヤ君と出会った。奇跡みたいだね。」

 たしかに奇跡だと思う。俺にとってもアオイさんと出会えたこと色々な話を聞けたことは本当に良かった。大人の大変さも少しは分かった気がするし自分の愚かさにも気づいた。そして、カズマ先輩たちの優しさも知る事ができた。でも、先輩達はこのままずっと同じ生き方をしていくのだろうか。どうせ俺らは時の流れには逆らう事ができずに誰でも20歳を越えて大人になるというのに背伸びする必要があるのだろうか。明日にでも先輩たちに聞いてみようかな、殴られそうだけど。

 「ねえ、見て!夕陽が海に沈んでいくよ!」

 アオイさんが無邪気にはしゃいでいる。ああ、たしかに大人は子どもの延長線上にしかいないんだな。そう思いながら、アオイさんを見て少し笑ってしまった。

 「あーあ、沈んじゃったね。帰ろうか!」

 夕陽は海に完全に溶け込んでしまった。名残り惜しむように空だけが夕陽の余韻を残してグラデーションに染め上げている。

 「アオイさん、連絡先を交換してくれませんか?」

自分でも気づかないうちに頭の中で考えるよりも先に言葉が口から飛び出ていた。

 「それはダメー!この一期一会を楽しもう。私は今日のこの日を特別にしたい。それに、きっとトモヤ君とはいつかどこかで再会しそうな予感がする。」

 俺はアオイさんの言葉を聞いているうちにしょんぼりしている自分に気づいた。それをアオイさんも感じたらしい。

 「ねえ、じゃあ2人の約束を結ぼう!お互いに今度会ったときに笑い話と思い出話ができるように、これからの歩みたい未来をお互いに宣言をしよう。約束だから守らないとダメだからね!約束を守らない男はダメなんだぞ(笑)」

 アオイさんは、カバンから手帳とペンを取り出して白紙のページを1枚切り取った。それをさらに半分に切って俺とアオイさんの分を作った。そして、お互いにそこに約束を書きあった。

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今の彼氏と別れる!
もっと良い人と出会って幸せになる!

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家族と仲直りする!
不良ごっこもやめる!

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 お互いに書き終えると、2人で向かい合って、自分の約束を相手に宣言した。

 「私、アオイは今の相手と別れてもっともっと幸せな関係を築いていきます!もう不倫や浮気は絶対にしたくありません!」

 「俺は親父とお袋と先輩たちにも謝って元通りの中学生活を過ごします!タバコとお酒の良さは20歳を越えてから知りたいと思います!」

 お互いの宣言が終わると2人で大笑いをした。そして、お互いを励ました後に紙を交換して応援メッセージを書いた。

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今の彼氏と別れる!
もっと良い人と出会って幸せになる!
>アオイさんなら絶対に大丈夫!byトモヤ
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家族と仲直りする!
不良ごっこもやめる!
>遠くからいつも応援するね!by AOI
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 あたりもすっかり暗くなり、俺とアオイさんは片付けをして海岸を後にした。アオイさんは、ウイスキー小瓶1本とタバコ半箱を空けたのにピンピンしている。家族にバレたら説明するのも面倒でしょ、と言ってアオイさんがゴミを全部持ち帰ってくれた、そしてタバコの匂いが微かに服に残っていたのでアオイさんがカバンに入っていた香水をかけてくれた。細い路地を縦一列になって歩いていると前をいくアオイさんから金木犀の香水の香りがふわりと流れてきた。

 やっと大通りへ出て、アオイさんとはそこで別れた。バイバイと笑顔で手を振るアオイさんの姿は今でも目に焼き付いている。俺は金木犀の香水の香りに包まれながら今日の出来事を繰り返し思い出してゆっくりと歩いて帰った。

 「...っていうのが3年前の出来事。」

 ユミは俺の話を聞き終えると、ふーん、と素っ気なく言った。

 「なんだよ。ユミから聞いてきたのに。」

 あまりにもユミが素っ気無い態度だったので、俺は思わず不機嫌そうな口調で言ってしまった。すると、ユミは少し膨れっ面で返した。

 「なんか同じ女として悔しい!アオイさん格好良い!不倫男と別れて幸せな毎日を過ごしているのかな?それにあの頃の私とワタルは何もできずに、普段と変わらずにトモヤと接することしかできなくて、2人で歯痒い思いをしていたのにー...。それをアオイさんが一発で解決するなんて。」

 ユミはマシンガンのようにノンストップで言葉を俺に向けて何発も飛ばしてきた。幼馴染とはいえ、これを全て受け止められるのは俺かワタルくらいだろう。

 「でも、ユミとワタルの存在は俺にとってデカかったよ。2人がいなければ俺もここまで戻ることはできなかったと思う。2人が何も変わらず接してくれていたから今の俺がいるんだよ。」

 「たしかに。トモヤとお父さんの大喧嘩とか不良五人衆との決別の日とか”不良ごっこ”から卒業する時が一番大変そうだったよね。」

 ユミは懐かしむように言ってきた。アオイさんとの出来事の後日談として、親父と仲直りする前にもう一回大喧嘩をした事と不良五人衆と最後に腹を割って話をした事がまた俺の知らないところで勝手に噂だけが膨らんでいって、不良五人衆と決別だの不良グループを抜けるために決闘しただの噂話だけがどんどんエスカレートしていった。まあ、この話は俺と当事者だけが知っていればいい話なのでユミにも真相を話すつもりもない。

 「でもさ、それもこれもアオイさんとの約束があったからでしょ?ねえ、その紙って今でもきちんと持っているの?」

 ユミは興味津々だ。俺はカバンから財布を取り出すと小さなポケットに入れてあった四つ折りの紙を取り出した。そして、ユミにそのまま渡した。

 「わあ、すごい。きちんと保管してあるんだね。これがトモヤとアオイさんを繋いでいる唯一の約束の紙なんだね。あれ?これ端っこの方に丸く焼け焦げてくり抜かれた穴があるよ?」

 「ああ、これはカズマ先輩がタバコを押し付けた痕だよ。俺の紙は、アオイさんとの約束だけじゃなくてカズマ先輩たちとの約束の紙にもなったんだ。」

 「そうなんだね。私はトモヤのことを全然知らないなあ。これからはもっともっとトモヤの事を教えてね!それにしても、この約束の紙は大切な宝物だね。いつかアオイさんと再会できるといいね。私も一緒に会ってみたいなあ。」

 この紙のおかげで俺は今こうして大好きな人と平凡で幸せな高校生活を送る事ができている。アオイさんは今どこで何をしているのだろうか。あの日と同じように水平線に夕陽が沈みかかっている。人と出会うということは、同じ数の別れが待っている、か。あの日の出会いと別れは大人になった時に、きっとウイスキーを傾けながら思い出すのだろうか。黄昏の海は、今日も穏やかに時間が過ぎていく。



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