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シール

初めて彼女の家にあがったのは高校3年の時だった。とても緊張していたが、母親の優しい笑顔にホッとした。
 
生まれて初めて立ち入る女性の部屋は、古い木造の2階にあった。6畳間だった。昭和の木の香りがした。絨毯が敷かれ、壁は茶色の木目合板だった。
 
棚にはかわいいぬいぐるみが並んでいて、いかにも女の子の部屋といった雰囲気だ。学習机もあった。昭和のころに流行ったスチール製、クリーム色の机だった。
 
しばらくすると彼女は「飲み物をとってくるね」と言って階下に降りて行った。あらためて机に目がとまった。
 
小学校に入学するときに買ってもらったのだろう。父親が組み立てるかたわらで、期待に胸を膨らませながらじっと待っている少女の姿が目に浮かぶ。

「さぁできた。座っていいよ」と言う父親を見上げる顔は満面の笑みだ。椅子に腰かけ、真新しい机を両手でなでては微笑む。天板に頬を当ててみる。床に届かない足がブラブラしている。
 
ふと、机の引き出しに貼られたシールに目がとまった。少女マンガの主人公の絵柄であった。長い髪、大きな目をした女の子が着飾って、魔法のステッキらしきものを振りかざしている。
子犬や子猫のシールもいくつかあった。お菓子や飲み物の絵柄もあった。どれも少し色あせていたり、一部が欠けていたりした。
 
少女向けの雑誌の付録だったのだろうか、あるいはスーパーで買ってもらったものかもしれない。
 
小さな手で一枚ずつシールを貼る少女の姿が目に浮かんだ。なかなかシートから剝がせずに何度もやり直している。貼る位置などを深くは考えない。思うがまま。たった一人の部屋で、何を思いながら貼っているのだろう。その横顔はずっと口角が上がったままだ。
 
彼女が紅茶とケーキを持って上がってきた。「何をニヤニヤしているの?」と顔をのぞきこまれた。「何でもないよ」と微笑みながら答えた。
 
楽しい時間はまたたく間にすぎ、帰路についた。とは言っても彼女の家から私の家までは徒歩10分。両側に畑が点在する小道をゆっくり歩いた。見上げるあかね雲がとても美しかった。
 
君を守りたい。
君を幸せにしたい。
この手で。生涯ずっと。
 
そう思ったのは、あのシールを見たときが初めてであった。
 

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