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君を連れて進むのは足を止めて蹲っても止まってはくれない時間の流れで誰かのために強くなれれば悲しみにも胸を張ってありがとうと言いたい鬼滅の刃の映画を見ると

吾峠呼世晴による『鬼滅の刃』の漫画がアニメのヒットもあって世の中を席巻していることは周知の通りです。ワイはと言うとその流行を冷めた目で見ていたのですが、流行り物というのは流行ってるだけの理由があるものでして、それとなくアニメを見てみたところ、ズッポリ嵌まっちやいやしたのが今年の8月。

アニメのラストがやけに半端な終わり方しとるな〜と思いきや、秋は10月に映画化すると言うではないですか! という流れで、このたび鑑賞する運びとなったのです。場所は池袋、日にちは11月15日。日曜日の混雑のなか、サンシャイン通りを突っ切ってチケットを買って着席した次第であります。

タイトルは『「鬼滅の刃」無限列車編』。

じつを言うとしんみりするところこそあれど、ギャグと熱血が大半を占める映画かと思っていました。ところがどっこい。泣ける映画でありんしたのさ。割合からして観客には若人が座る数が多かったんですけれど、その若者たちが鼻をすすり出したのですよ。そしてワイ自身だって…ジーンときてましたのじゃ。。。

見ている最中には「」「無意識領域」「精神の核」などの要素があったので、頭の中で勝手にフロイトやらラカンなどの精神分析神たちを召喚して、劇中の夢理論をご検分いただいていたりしましたのよな。じっさい無意識に精神の核があるってアイデアは精神分析的と言えばそうだったのですよい。

あとは敵キャラで夢を見せる力のある魘夢(えんむ)ってのがいるんですが、こいつがね、人間の心の脆さを「硝子細工」に喩えるんですけれど、脆さを指摘していながらも同時に、心の影響力みたいなものにビビっているってこともあったりしたのがおもしろくて、脳内で勝手に脱構築しちゃったりしてましたわ。──つまり、人間の心は脆いからこそ、「無意識領域」なんていうヤバいものが出来ちゃうじゃないの?〜ってね。

前半と後半でエンディングが2つあるみたくなってて、前半がギャグと熱血が強いんですけど、後半がね、バトルとお涙とで出来てまして、だいたいこっちの後半で感動の嵐!──な人が多いかと思いますわ。

んで、ワイはと言うと、感動してしまったことの責任として次の記事を書きましたのや。

映画の「感動ポイント」なんて書いてありはしますが、必ずしもこの映画の内容に限らずに、『鬼滅の刃』という作品全体のおもしろさに関するものになってます。先ほど挙げた精神分析や脱構築の話題はボツにして、記事の内容は、夢の世界が持つ限界とか、夢を叶えるのが夢の世界ではなくて現実世界でなければいけない理由〜とかね。

それからLiSAの歌う《紅蓮華》の歌詞を引き合いに出して、「強くなれる理由」ってなんだろね〜ってことを書いてありますのや。記事を書いてて思ったけど、LiSAの物語を把握する力ってすごいな〜って改めて思いましたわ。ほんまに。《紅蓮華》の歌詞が『鬼滅の刃』を彼女の中で噛み砕いて栄養にしたあとで書かれたんだなぁということが、よ〜くわかるんですよ。ほんまに。

相変わらずと言いますか、いちおうは『「鬼滅の刃」無限列車編』の映画のことを書いてはいるんですけれど、夢の中で起こる出来事は現実よりも説得力がある〜って話をしたり、夢を追うことは疑いや否定の余地がある現実ででしかできない〜って話や、現実での悲しみに向き合うことで強くなれる理由を知ることができる〜って話は、この映画どころか、原作漫画どころか、実生活で応用できるのではないかしら…なんて思っている次第であります。

そういう知恵を発見する楽しみが書いてる側にもなくっちゃね〜、ってな感じですわ。

よかったら↓の記事にも目を浸してやってください。


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