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プリウスとつけうどんとぬるま湯

 私は自他ともに認めるひねくれ者である。

 俗にいう“逆張りオタク”と言う者に分類される。
 流行れば流行る程、そのコンテンツには触れないようにするし、元々触れていたコンテンツが流行り出せば離れている。我ながら厄介な性格である。


 会社の社用車のラインナップにプリウスがある。

 トヨタのプリウスというと、どんなに自動車に疎い人間でも聞いたことがあるだろうし、日本国内で言えばは石を投げればプリウスと言っても過言では無いほどありふれた車種である。勤め先にプリウスが並ぶようになってから3年ほど経つが逆張りの血が騒いでしまい、先日まで運転した事が無かった。 

 そんな先日だが、仕事で外回りの要件があり、社用車の鍵を入れているボックスを見るとプリウスの鍵しか無かった。逆張りの私はそれだけで外回りの要件を後回しにしようかと思ったが、否定ばかりではただの頑固な頭でっかちになると思い、渋々プリウスに乗ることにした。
 スマートキーの解錠ボタンを押すまでも目を細める程、この車を扱う事に対して気乗りしなかった。

 ドアを閉める。内装を眺める。好みでは無い。

 社用車のプリウスは3年ほど前に発売された旧型モデルである。確かCMに起用されたタレントは福山雅治さんだったと記憶している。
 内装は中央に置かれたセンターメータが目を引く。商用の安価グレードなので内装色はほとんどが黒で、センターパネルやドアパネルの1部が白い樹脂で出来ている。外装と同様で妙に起伏や織り込みに富んだ内装デザインだ。少なからず、つい先日30年ほど前の国産車をわざわざ購入したような人間である私の好みではない。私好みのクルマの話は近々別のnoteに書こうと思う。
 ギヤレバーも独特な操作で、それに加えなんとなく加速感やブレーキの感覚もガソリン車とは異なる感じがしてその違和感が食わず嫌いを加速させる。

 1時間弱走らせて外回りを完了させ会社へ戻るべく向かう。時刻は昼前だ。私は食にあまりこだわりが無い。○○が食べたい!というのが滅多に発生しない生き物である。そのため、外周りの時の昼食は“12時回って最初に出てきたお食事処”というマイルールがある。その日はうどん店だった。
 うどんは好きである。ただしそれはレギュラーメニューに限った話である。最近はカジュアルなメニューも増えているが、こうなると逆張りの血が騒ぎ、要らなく硬派を気取ってうどん店では、かけうどんに天ぷら1、2品としていた。
 立ち寄ったうどん店には、レギュラーメニュー以外に中に“つけうどん”というのがあった。魚介ベースのつけダレにうどんを潜らせて食べるというつけ麺スタイルのメニューである。
 普段なら絶対にチョイスしない選択肢である。

 ただ、その日はたまたま妙に味の濃い塩辛いものが食べたかった。

 10分と待たないうちに“つけうどん”が出てきた。茹でたての真っ白いうどんと一緒にドロリとしたとろみのある茶褐色のスープにゆで卵や、チャーシューといったつけ麺と同様の具材が入れられている。
 食べる。美味しい。そういえばつけ麺というのは太麺が多かった気がする。中華麺の中でも太麺に分類されるつけ麺の麺の太さを遥かに凌駕するうどんなのだから、スープに良く絡む。心なしか、スープの粘度(こういう表現が適切なのかは分からない)も、普通のつけ麺よりかはあるような気がする。なるほど、単純に中華麺のつけ麺の麺をうどんにコンバートしただけでは無く、うどん向けにある程度リファインされているようだ。これはこれで全然アリである。恐らくこの先うどん店に立ち寄って同様のメニューを見かける機会があれば、2回目、3回目もあると思う。それくらいの完成度だった。
 硬派を気取るのでは無く、ウィットに富んだメニューも食べないとならないとなと思った。

 うどんを食べ終わるとプリウスも良い車だと思えてくる。

 うどんを食べ終わり、社用車のプリウスに乗り込むと、今まで抱いていた違和感も薄れていた事に気がつく。起伏に富んだ内装も、例えばちょっとしたポーチや小物を置くのに良い感じの窪みだったりもする。センターメーターも大きなデジタル表示なので、視点の移動が少ないような気がする。散々毛嫌いしていたモーター走行や回生ブレーキの独特な操作感も慣れてくると先進的な気がしてなかなか面白い。持ち前の静粛性の高さは折り紙付きで、落ち着いてドライブ出来る。信号待ちで鳥の囀り等の環境音が心地よく聞こえるのは、私が普段乗るような半分骨董品となってきた自家用車では体感出来ない。これ程の完成度で挙句に燃費まで良いんだから、それは売れるに決まっている。 
 極論で言えば、自家用車なんて“こういうので”最適解なのかも知れない。
プリウスに“お前は時代遅れになってんだぞ”と諭された気がした。

 外回りの仕事を終えて一旦会社に立ち寄ってから帰宅をする。その日は久々に定時退社だったので、温泉に行こうと思い立った。自宅から車で30分ほどの距離に温泉街がある。日帰り入浴が可能な宿を適当に見つけて温泉に浸かる事とした。

 硬派気取りは祖父譲りなのか。

 私はお風呂に関してもそれなりの拘りがある。熱い方が好みなのだ。温度で言えば44度前後がベストである。あのぐらっと来るような熱さに体がだんだんと順応する感覚が好きである。どんな温泉宿でも熱めの湯に浸かって、早めに上がる。そういう温泉の楽しみ方をしていた。この入り方は祖父譲りである。
 今回立ち寄った温泉は小さな建物で、大人3、4人が入ればいっぱいになるような小ぢんまりとした風呂に外の小庭を見渡せる大きな窓があるタイプの造りとなっていた。タイミングが良かったのか、私1人の貸切状態で温泉を堪能する事ができた。
 身体を洗いいざ湯船に入る。ぬるい。いや、ぬるいと表現すると語弊がある。私の好みでは無い。ややぬめりのある泉質を余計に強調させるような熱くもなく、それでいて極端にぬるい訳でもなく。恐らくこれがスタンダードな温泉の温度だとは思うが、個人的には物足りない。
 と、初めこそ思っていたものの、このぬるま湯(個人比)というのなかなか良いものなのである。先述した通り、今までは熱い湯に短い期間浸かって早めに上がるというスタイルを温泉で貫き通してきた。ところが今回、ぬるい湯に浸かると、体が芯まで温まったなという感覚になるまでに時間を要する。じわじわと温められる中、今日の仕事での出来事や、この先の仕事の予定、自分のこと、お金のこと等色々なことをゆっくりと考えられるのだ。一種の瞑想状態に近いと私は思う。そしてこの日のお風呂は今までで1番リラックスした入浴となった。

 多様性とは何も人間に対してだけじゃない。

 なんというか、この“プリウス”“つけうどん”“ぬるま湯”を介して体験した出来事は私にとって考え方を改めるきっかけとなった。昔気質な私は昨今の“多様性を認める”という世の中の風潮に疑問符を抱いていた。決して悪いことでは無いのだが、正直な話、今まで負のイメージを持っていたものに対していきなり肯定しろというのは難しいのが事実である。
 ただ、こういった日常使いの物やコンテンツに対しても、そういう意固地になっている節は私にはある。今回記述したありふれている物や、いつの間にかレギュラーメニューとなって来ている食物、そして温泉の温度が代表例である。
 売れている物、ありふれているコンテンツ、それら全てには理由がある。
 時代で人の好みは変わるし、人の好みを変えるような製品やコンテンツは次々と生まれる。昔気質が悪いとは言わないしそれを認めるのも“多様性”の形なのであろう。
 いきなり人間に対する“多様性”を全て受け入れろというのは私には難しい。アラサーになると考え方が固執しがちで、挙句に思い込みなんかも発生したりする。
 変わりゆく世の中の価値観や、コンテンツを“私はこうだから”“昔はこうだったから”と拒否するのではなく、疑問符を抱きながら触れて見ることで良さに気がつく。モノやコンテンツに対して理解が深まれば自ずと他人に対しても寛容さが生まれる。
 ただの“頑固で意固地な管理職”になる前に、こういう価値観に1日で気がつけたのは私は幸せなのかも知れない。

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