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デザインを見て私が新型プリウスを買わなかった理由

衝撃を受けた
新型プリウス発表

 私を含めた“車好き”という人種は、ガソリンをガンガンに燃やして、マフラーからサウンドを奏で、エンジンも車格もデカい車の方が好きな生き物です。その内の1人のとして、こういった車とは対極的存在とも言えるプリウスへの一目惚れはある種の“敗北”を感じさせるものでもありました。

 新型プリウスが発表されるまでのカーデザインというのは“年式相応”のルックスをしていました。しかし、新型プリウスのエクステリアは他メーカーの既存の車種のデザイン全てを凌駕して一気に近未来を感じさせるものでもあります。私はカーデザインというのが数十年一気に先に進んだ感覚を覚えました。

 先代のとんちんかんなデザインから一変、全体の流麗なシルエットに対して、スポーツカーのようなスパッと潔く切ったテールエンドの造形処理、フロント廻りも特徴的なヘッドランプとは対極的な凹凸の少ないプレーンな顔立ち、そして私が1番この新型プリウスで最も好きなポイントは余計なプレスラインの無いサイドの造り込みです。

 サイドに余計なプレスラインを入れない事により、反射で映り込む周囲の風景や光の加減による陰影すらもデザインの一部として取り込む事が出来るので、飽きの来ない且つ、この新型プリウスのプレーンなフォルムをグッと際立たせていると思います。

 これだけ、先代プリウスからデザインをガラッと変えたにも関わらず一目で“プリウス”と分かるように纏めたのには本当に感嘆のため息を漏らしてしまいます。

 まさか“美しい”と言う表現が似合う車種にプリウスがなってしまうとは夢にも思いませんでした。まさに私は“プリウスの虜になった”と言っても過言では無いでしょう。



買わない理由を話す前に
自動車デザインの小話を

 このプリウスの特徴的な顔立ちは“ハンマーヘッドデザイン”と呼ばれ、シュモクザメという金槌のような頭をしたサメをイメージしたデザインなのです。

 そして、トヨタ自動車は恐らくほぼ全ての車種にこの“ハンマーヘッドデザイン”を採用する事になると思います。既に、日本国内では新型クラウンに採用されていますし、世界に目を向ければ、先日発表された北米専売車になったカムリもハンマーヘッドデザインとなりました。欧州では、新型C-HRがこの顔立ちになりました。何れにしても、今までの自動車デザインを置き去りにした、一気に未来感とインパクトのある顔立ちになったのです。

 こういった、自動車デザインにおいて自社の車両の顔立ちに共通の特徴を持たせるのは海外メーカーではメジャーな手法でした。

 有名どころで言えば、ドイツのBMWという自動車メーカーは、古今全ての販売車種に"キドニーグリル"と呼ばれる鼻のように2分割のフロントグリルを採用しています。他にもアメリカのダッジやシボレーという自動車メーカーも年代によってフロントマスクのデザインを共通化させています。シボレーは“シェビーマスク”と呼ばれる水平に上下2分割したデザインを90年代にかけて採用していました。アストロやCシリーズが代表的です。ダッジも同じく90年代から00年代にかけて十字のラインが入ったフロントグリスを採用していました。

 このような、自動車デザインにおいて各社で共通のモチーフを持ったフロントデザインを採用する目的というのは、言うなれば一目見ただけでそのメーカーだと印象付ける、アイコンや顔としての意味合いがあるのです。アパレルにおけるブランドロゴのようなものです。

 そして、日本車というのは以前からこう言った“そのメーカーの顔”というデザイン性に乏しいとも言われてきました。

 確かに少し前の日本車は、同じメーカーでもデザインはバラバラで、例えば、スズキのワゴンRに三菱のエンブレムを付けようが、ホンダのステップワゴンに日産のエンブレムを付けようが車に興味の無い人からすれば違和感の無いようなデザインの車種ばかりでした。とにかくいろんな顔の車種がたくさんあって、そんな車あったっけ?だとか、見たことはあるけどメーカーは知らない、なんてデザインの車も散見してしまう有様だったのです。

 ようやくここ数年で日本車にもフロントデザインを共通化させる機運が高まり、マツダや三菱、先述したトヨタが特にもその傾向が現れていると思います。

 “海外の真似”と言ってしまえばそれまでですが、逆に言うと今まで車に興味が無かった人でも“このデザインはこのメーカー”だと分かるようになり“認知度の高まり=ブランド力”へと繋がるのです。

 しかし一方で、自動車メーカーにおける共通の顔を持たせるという手法は、同じデザインの車種を乱立する事にもなりますので、いつか顧客にも“飽き”というものが来てしまいます。そうなると、各メーカーは新型車を発表する訳ですが、それまで販売している車種を再び練り直して、また別の共通の顔を持たせて販売する事になるのです。

 つまりは、今まで斬新或いは先進的だったその自動車メーカーの“共通の顔”が代替わりで“古い顔”になってしまうのです。私のように偏屈じゃない人間は自分の所有している車が“古い顔”になると急に買い替えをしたくなってしまうものでして、自動車デザインにおいて共通の顔を持たせるというのは、車の買い替えを促すビジネスチャンス作りをしやすいというメリットもあるのです。


実際にディーラーへ伺って
商談を進めた私が
購入に至らなかったワケ

 実際に新型プリウスの商談を進めた中でも、私が今乗っている軽自動車の下取り額もそう悪くは無かったです。頭金を含めたら乗り出し総額の半分は支払えましたし、納期こそありましたが、ディーラーの方も何かと尽力してくださるようでした。

 私がプリウスを購入しなかった理由はデザインです。

 『何を言っているんだ』

 と、今までの文章を読んでくださった方は思う事でしょう。

 先述した通り、私は新型プリウスのデザインに衝撃を受けました。しかし、トヨタはこのデザインを全ての車種に採用する方向へと舵を切りました。

 つまりは、これからのトヨタのアイコンになる"ハンマーヘッドデザイン"は商業的デザインなのです。極端に言ってしまえばファストファッション的とも言えるでしょう。いつかはこの新型プリウスのデザインが必ず古くなってしまうという事です。きっと、この新型プリウスの次の代はもっと鮮烈なデザインで生まれ変わるかも知れません。そして、プリウスが“古い顔”となります。私はそれが許容出来ないのです。

 共通のアイコンを持たせるというデザイン手法は、先述したBMWのキドニーグリルがグローバル的に見ても“伝統”と言えますが、日本国内市場においては“ファストファッション的胡散臭さ”を感じるのは私だけでしょうか?


 家の次に大きな買い物
としての自動車の立ち位置

 日本国内において自動車というのは“家の次に大きな買い物”とよく言われます。そして、長らくそういった立ち位置だったからこそ、日本車のデザインというのは各メーカーでも統一感の乏しいものだったのだと私は考えるのです。

 俗にいう“珍車”や“マイナー車”も散見した90年代までにかけては、日本において自動車というのは現代のように4年や6年スパンで買い替えるような消費財的商品ではありませんでした。

 1960年代の日本は経済的にもまだ貧しい地域も散見された為、マイカーというのは“憧れ”の商品でもありました。ようやく買ったマイカーを丁寧に磨いてメンテナンスをして数十年と乗り続けるというカーライフが主流でした。高度経済成長や、バブル経済に突入した70〜80年代にかけては、日本国民が経済的にも余裕が生まれ、さらに自動車部品の技術革新、特にも電子化が進み、それまでの自動車が一気に“古く”なった時代でもあります。キャブレターからインジェクターへの移行が代表的な例と言えるでしょう。日本国民に経済的な余裕が生まれると、自動車も個性や趣味性、ユーザーのライフスタイルの反映するツールとしての存在になります。SUVの登場やハイソカーの登場が良い例と言えます。本当に多種多様な車種が様々なデザインで誕生しました。これが日本車のデザインが共通性に乏しいルーツにもなったと言えるのです。

 この歴史から分かる通り“家の次より大きな買い物”だったからこそ、オーナーの個性・嗜好・ライフスタイルに応える為にこう言った共通性に乏しい多様なデザインの車種を各メーカーはラインナップしていたとも言えます。

 自動車が“消費財”としての扱いでは無く、自己表現としての“資産”としての色が強かったという事です。当然、ユーザーも"資産"として所有する以上は、愛着を持って長い付き合いで購入するといったカーライフ色が強かったと思います。


長く愛されるデザインは悪なのか

 私が新型プリウスを買わない理由が何となく伝わって来たと思います。

 自動車というのは従来、趣味嗜好やライフスタイルを反映するアイテムとして“愛着”を持って所有するものでした。それが昨今は共通のデザインを持ち、常に“経済活動のスパイラル”に組み込まている感覚を覚えさせるものとなりました。

 確かに私は新型プリウスは素敵だと思います。今日も街で見かけると目で追ってしまいました。しかし、見れば見るほどこの車には“経済の匂い”がしてしまいます。もっとも根本的に、自動車というのは平たく言ってしまえば“商品”なので、ユーザーへの買い替えを促すような戦略は正解と言えます。

 しかし、先述した通り自動車は“家の次に大きな買い物”と呼ばれます。

 家の次に大きな買い物に果たしてこのような“商業性”を過剰なまでに匂わせても良いのでしょうか?まるで、この“商業的なデザイン”というのは、愛着や思い入れを持って購入したユーザーに対して4年後に“古臭さ”を味わわせる為の“タイマー”のようにも思えるのです。

 このままでは、ローバー・ミニVW・ビートルのように時代を超えて長く愛されるデザインというのが“無駄”と言われてしまう時が来る気がしてしまうのです。これは自動車のみでは無くあらゆるプロダクトにも言えます。

 商品戦略として共通のデザインを採用するのは、各メーカーのブランドとしての一貫性や認知度を高める狙いがあります。しかし、日本国内においてはその必要性を私は感じません。グローバル市場がメインとなり日本市場が二の次になりつつある日本車メーカーですが、今までのデザイン戦略と“自動車”という商品の立ち位置も汲んで欲しい側面も私は感じます。

 私は愛着を持って新型プリウスを買いたかった1人の“車好き”として購入しない事を選択をしたのです。

 この選択は、単なるデザインの好みだけでなく、私の“自動車という商品”に対する哲学愛着の表れでもあります。デザインが商業的であることは、ビジネス上の合理性かもしれませんが、私や私のような人種とっては、長く愛せるものに価値を見出したいという思いが強いのです。

 果たして、私たちが“愛車”に求めるものは何なのでしょうか?

 それは単なる最新のデザインなのでしょうか?それとも、時を超えて愛し続けられる存在なのでしょうか?

 “新型プリウスを買わなかった”という選択を忘れずに、私は自分の"愛車選び"を続けていきたいと思います。

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