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"新しい価値を伝える"という 価値

こんにちは。
東京も暑いと感じる日が多くなってきました。

今日は夏が来る前に、と思っていた《浅煎り》のコーヒーについて書きます。

先週 お邪魔した sunday zoo coffee&beans さん。
(お客さんとしてコーヒーを飲みに&豆の購入に行きました)

金土日のみの週末営業のよう。エリアは江東区清澄白河です。

ブルンジのレッドブルボンをアイスでお願いしました。

いろいろ豆があったのですが、この日は思いきりフルーティーさを残したものを飲みたかったので、こちらにしました。
このフルーティーさも、浅煎りのコーヒーの大きな特徴です。

" ブルンジ " は生産国の名前、アフリカです。ルワンダやタンザニアに接していて、赤道に近い小さな国です。

"レッドブルボン" は品種の名前です。(ピンクもある)
コーヒーも、お米や野菜と同じように、害虫や病気、寒さに強いなど、特徴を活かして品種改良されてきています。

↑上のオーダーはイメージ的には
宮城県産 ササニシキをお粥でオーダーしました。
という感じです。

フルーティーな "コーヒー" を話題にあげるとき、この浅煎りの子たちに、
コーヒーだけどコーヒーの概念を覆すような画期的な別の名前をつけてくれないかな、ファイルでいうと、上書き保存でなく、別名で保存してほしい、などと都合のいいことを思ってしまうのですが、今日はそんな話をさせてください。

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この日は、隣町の門前仲町のコミュニティスペースでコーヒーを淹れる予定にしていました。

イベントではなくて、持ち寄りカフェというゆるいスタイル。
そこで是非、浅煎りのコーヒーを紹介したいと思っていたんですね

というのも普段のイベントの際は、主に深煎りの豆を使っています。
朝食×コーヒーのイベントを不定期でしています)
理由はいくつかあるのですが、大きくは、反応が予測できるからです。

日本では昔ながらの喫茶店文化に慣れ親しんでいる方が多く、酸味のあるコーヒーを嫌う傾向があるのを知っていたので、汎用性を優先して深煎りを使います。

《誰もが想像するコーヒーの味》だから、抵抗なくおいしいと感じてもらえます。

余談ですが、スターバックスのような《シアトル系》と呼ばれるお店も、深煎りの豆を使用していることが多いです。

深煎りの豆はコクや苦味を感じやすく、酸味を感じにくいので、よりコーヒー感を出すことができ、キャラメルやバニラ、チョコレート、ヘーゼルナッツなどフレーバーシロップを使った飲みものにしても、コーヒーが負けないようにという理由です。

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↑スターバックス1号店のある、シアトルのパイクプレイスマーケット↑

浅煎りコーヒーと オリオンビール


【暑くなる前に】ぜひ紹介しておきたいと思ったのが、これまで(勝手に)封印していた浅煎りのコーヒーなんです。

普段は酸っぱいコーヒーがいやだ、という人でも手に取ってもらいやすい季節だからです(水分摂取量が増えるため)

これは暑い国のビールが軽くて飲みやすいというのと原理的にはいっしょなのかなと思っています。

メキシコのソルビールや沖縄のオリオンビールはフルーティーな感じがビール界の浅煎りコーヒーのようだと思っていて、ライムを刺すのも納得です。

話が逸れましたが
お店でも、深煎りと浅煎りのアイスコーヒーを2種類用意していると、浅煎りのコーヒーがよく出るようになるのが、"気温が上がったタイミング"なんですね。

ゴクゴク飲める飲みやすさ が受け入れられているのだと思いますが
お店としても提案をしやすい時期になります。


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上が中煎り、下が浅煎りのコーヒー(ブルンジのレッドブルボンを購入)です。
コーヒーの味を決める一番大きな要素は焙煎なので、これだけ色が違う(焙煎度合いが違う)のだから、味は全く違ってきます。
どっちがいい悪いでなく、ただ、違うんです。

違うものとして認識されれば、”それ” として楽しむことができるし、もともと、煎りが浅い】という理由で毛嫌いされるようなものではないんですね。

これが、上書き保存じゃなくて、別名保存がいいなぁと思う理由なんです。
「あ、今までのものとは一線を画すのね」という認識になってほしい。

では、酸味のあるコーヒーが受け入れられない要因は何でしょうか。

◎お客さんが飲み慣れていない(のに)
◎お店側が「違うもの」として説明できていない。

この2つの要因が大きいと思っています。

飲み慣れていない場合、まず試してもらうことが必要になりますから、
やはりまずは、違うものとしての説明が要ります。

ここにバリスタの役割と特権があります。

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「新しい価値を提供している」という自覚


よくお店で話すのは【求められていないは2種類】という話です。

①必要でない=求められていない
②価値が知られていない=求められていない

アフリカで靴を売る営業マンの話は有名ですが、お客さんにとって新しいものを提案しようとしているということ。

相手の中にまだ価値として成されていないものを説明するのって本当に難しいですよね。

だからといって「酸っぱいですね」という感想に「コーヒーって果実なので」みたいなピシャリ説明だけではやっぱりわからないし、わかりたい、って思えないと思うんです。


実は私自身、酸味のある(と当時は認識していた)浅煎りのコーヒーが好きではない時期がありました。でも仕事だから、うえー、って言いながら試飲して、おいしいと思えないものをどう売ればいいのだ、などと毒づいていました。


そこから、ただそのものとしての良さを伝えればいい、と気がつくまで(うえー、と言いながら笑)飲み続け、他店もいろいろ巡り、バリスタの説明を聞いたり質問をしたりしていくうちに、もやもやしたものを感じるようになりました。

それは《記憶の中のコーヒーの味を期待するお客さん》と、《新しい価値を提供している自覚のないバリスタ》とのギャップです。

これを埋める【受け取りかたを変えていただくというアプローチ】が、説明という手段なんですよね。

具体的には

①どう違うのか
②なぜ違うのか

を伝えますが、意外と大事なのが


③なぜ提案するのか。

です。

嫌な体験にお金を払いたいと思う人はいないわけですから、

「(新しい味だから、味としておいしいとは正直思えなかったけれど)総じて行って良かったな」という体験で着地してもらわなければなりません。

【浅煎りのコーヒーって酸っぱいからやっぱり好きじゃない】という体験になり得るものを【味はともかく新しいことが知れた】という体験にできるかどうか。

ここがコミュニケーションの力だとおもうんです。
別の言いかたなら想像力かもしれません。

どうしたら相手が興味を持ってくれるか。
それを想像するのが本当に楽しくて、いろんな実験をしました。
この頃から、自分のゴールは単にコーヒーを買ってほしい、ではなかったのだと思います。

強いて言うなら、
自分が好きだと思うものに興味を持ってもらえたらすごく嬉しいし、
できればいっしょに楽しみたい。
そういうもっと根源的な欲求ではないでしょうか。

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お客さんが勉強させてくれる

バリスタとして、豆の生産地や精製方法による味の違いを説明するのが得意とは言えないけれど、どんな歴史で、文化背景で、思惑で、今この豆がここにあるのか。

そういう人間由来のストーリーを知ることが自分が好きだから、お客さんにもそういった趣の強い説明になる。

どう転んでも今回は、モノより人にフォーカスする人生を送ることになりそうです。

正しいことを額面通りに伝えるのは、人間がやらなくてもいいことになってきているし、お客さんとしても【このバリスタがどう説明するのか】という大喜利的な楽しみの要素もあるわけです。

「あなたはそう捉えるんですね」

っていうところを楽しんでもらうわけです。

とてもパーソナルな部分なので、相手の興味度に合わせて出していくことは大事ですが、すこし狂ってるなw、というくらいのバリスタのほうが私は好きです。

今扱っているもの(この場合コーヒー)と全く関係なさそうに見える経験でも活かすことはできるし、どちらにせよその経験と地続きの今なのだから、自分だからこうなる、ということ自体が面白みにつながります。

私も自分がビールが好きで、飲めるようになったきっかけが沖縄に住んでいた時の暑さとオリオンビールの軽さにある、という自身の体験がなければ、浅煎りのコーヒーを南国の軽いビールには例えないでしょうし、

調理師としての経験がなければ、酸味が嫌だと感じるのは、腐敗を察知する本能のせいで、それは普通の反応なんですよ、というコメントで安心感を与えることもできないでしょう。

ここでも、自分としてどうするのか、が問われています

《おいしさ》というのはその人がそれまでどんな食生活を送ってきたか、どんなものを食べて育ったかが影響しているので、その説明に正解を求めるのは難しいと考えています。

(スペシャルティコーヒーに関してはアメリカの協会が定めた正解というか、《表現の基準》のようなものがあります→フレーバーホイール

提供できるのは正解ではなく、この人が説明するとこうなるんだな、というサンプル。

それを持ち帰ってもらうことが大事で、それができればそのお客さんは【この人の説明】を、他の人の説明と比べるようになります。

以前こちらの記事でも書きましたが、これが、無意識の店員さんから、意識の中の店員さんになる、ということだと思います。



スタッフにはどう伝えるか

コーヒーショップという場所は、職場として見たとき、別にお金がもらえれば何でもいい、というアルバイトスタッフが少なからず存在し得る場所です。

そういうときに、
このようにやってくれればいいのにな、とただ願っているのが0カロリー(消費)だとしたら、


「想像力を使うことは楽しくて、その結果喜んでもらえればそれは評価されることなんだよ」という概念を教えるのは370キロカロリーくらいのハードさがあります。これはざっと、ほうじ茶とホワイトチョコフラペチーノくらいの差です。

そして、ここでも【想像力を使う、という新しい価値】を伝えることをやっているんですよね。


そんなのもあったのか!という奇をてらったアイディアを求めているわけではなくて、見逃されている価値を市場に出してみることで、こういうのが好きな人はいないのかな?という実験をしていく

少しずつでもやっていくと、また新しいことがわかります。

ちいさなトライを続けて結果が蓄積されるとそのデータ分、自信のようなものも育つし、そのひとが纏う空気みたいなものはお店にたったときにお客さんに感じてもらえる価値のひとつになるとおもうんです。


今日は、浅煎りのコーヒーと【新しい価値を伝える価値】について書きました。

読んでいただきありがとうございます。

人と違うものが好きでいいし、むしろそれは価値かもしれない。

ただ、その価値をブラッシュアップしたり、理解しやすい形にしていく必要はある。その過程は大変ではあるかもしれないけれど、少なくとも「つまらない」とは感じないはずです。

効率を追求し、極めたゆえのつまらなさに迎合しない。
そういう天邪鬼さは、まだしばらく人間の特権になりそうですね。

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フリーのコーチ、バリスタ、COOKをしています。

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