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アレン・ネルソン「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」

十八歳の時にアメリカ軍海兵隊に入隊した著者は、帰国後家族の住む家から追い出され、ホームレスとなっていた。偶然出会った同級生に、学校の生徒たちに戦争の話をして欲しいと頼まれる。一般的に知られているのと変わりないベトナム戦争の話をした後、ある生徒から運命的な質問をされる。

「あなたは、人を殺しましたか?」

長い沈黙の間、著者の頭に戦場の記憶が蘇ってくる。初めて殺したベトナム人を前にして、ナイフを手渡してきた上官が言った「記念にこれで死体の耳を切り取れ」という言葉。
長い間目を閉じて、真実を答えるべきかどうか悩んでいた著者は、どうにかYESと口にする。目を開けられなかった。自分に恐れや憎しみの視線が注がれていると思ったから。
誰かの手が著者に触れる。抱きしめようとしている。驚いて目を開けると、先程質問してきた女の子が涙を流しながら著者を抱きしめていた。
息ができないくらいの衝撃に襲われた著者の目からも涙がこぼれ落ちる。

そして著者は決意する。自分の経験した戦場の地獄のような風景を、押し隠すのではなく、ありのままを伝えていこう、と。


確実に命中させ、確実に敵の戦闘能力をうばい、死にいたらしめるためには、下腹部をねらうのです。そこが人間のからだでもっとも大きな部分だからです。

下腹部に銃弾を集めるというのは実はとても残酷なことなのです。もし、銃弾が頭や心臓に命中したなら、兵士は即死するので苦しまずにすむでしょう。でも、下腹部に命中したなら、兵士は激痛に泣きわめきながら何時間も生きつづけなければならないのです。
わたしたちは村人の死体、つまり女性や子どもや老人たちのむごたらしい死体を、かくれている男たちによく見えるように、村の入り口にならべます。
 男たちは家族を皆殺しにされたことを知ると、ようやくみずからすがたをあらわし、わたしたちと真正面から戦うようになるのでした。
残虐で無慈悲な死体の山を背に、子どもたちや老婆の泣きさけぶ声がひびくなか、兵士たちはベトコンの耳を切り取ったり、基地にもどったら売りはらうための金歯をさがすことに余念がないのです。
 それが戦場でした。
 それが戦争でした。


訓練で人を殺す機械に著者は変えられていく。数人のベトコン兵士をあぶりだす為に、村を丸ごと焼き滅ぼすような戦闘の日々が続く。ある時奇襲に遭い逃げ込んだ塹壕で、偶然現地女性の出産を目撃し、生まれたばかりの赤子の重みを手に受ける。
女性も子どもも殺すことが出来ず逃した著者は、それをきっかけに戦場を忌避するようになり、アメリカへと戻った。急な引き上げだった為に、別れを告げられなかった戦友とは、帰国直前に物言わぬ姿となって再会した。

ベトナム戦争後、深刻なPTSDを患い、社会復帰出来ずに苦しんだ元海兵隊員は多い。過酷な訓練で心身ともに人を殺すことを叩き込まれた人間が、「人を殺してはいけない環境」「いつ襲われるか心配しないで済む環境」にすぐに馴染めるはずがない。

多くの戦果を上げ、勲章も四つもらった著者は、英雄として迎えられてもおかしくなかった。しかし母は第二次世界大戦時に肉親を亡くし、戦争を憎悪しており、PTSDで夜な夜な叫ぶ息子を家から追い出した。本来なら貧しい環境から抜け出す為に海兵隊に入ったのだったが、殺人兵器とされ、家族にも捨てられ、ぼろぼろになって放り出される結末になった。

子どもが出来てから、人が死ぬ話を読むのが辛くなった。
私の話だ。
交通事故や悲惨な事件、そのような目に自分の子どもが遭遇したら、という想像だけで苦しくなる。
著者も後に結婚し子どもを授かるのだが、一人の子どもを育てるうちに、自分が殺した多数の人々の記憶に苦しめられたことと思う。一発の銃弾で殺した相手の過ごした人生、家族に囲まれて暮らした子ども時代。
一人の人間を育てるのは大変なのに、殺すのは簡単だ。
戦争が終わっても、戦争に勝っても、故郷で暮らし始めても、幸せな生活を手に入れても、傷痕は残り続ける。

5万8,000人のアメリカ人兵士が死に、200万人以上の、兵士だけではないベトナム人が亡くなったベトナム戦争。
現在、日本では多くの現場で技能実習生としてベトナム人が働いている。
これを読んでいる方の身近にもいるかもしれないし、本人たちが目にする機会もあるかもしれない。私も以前の職場で多数のベトナム人実習生と接してきた。特に一番最初に来た実習生たちは日本語学習能力も優秀で、来て一週間でボケとツッコミを理解して実践していた。時代が違えば彼ら彼女らも、200万人のうちの一人になっていたかもしれないのだ。

敵兵をあぶりだすために、その家族を殺した兵士がいた。
敵兵をあぶりだすためだけに、殺された人々がいた。
今もどこかで似たようなことは続いている。
始まってしまった戦争に、終わりはない。







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