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千人伝

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様々な人の評伝「千人伝」シリーズのまとめマガジン
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#小説

千人伝(百六人目〜百十人目)

百六人目 空洞 空洞の身体と心には穴が空いていた。物理的な穴であり、風が吹き抜けた。鳥も通り抜けた。小さな子どもの頭なら入るくらいの穴が、腹に三つ空いていた。窮屈になった内蔵は身体の中で手足にまではみ出していた。 服を着れば隠せるので、空洞のお腹に穴が空いていることを、知らないまま空洞と過ごす人もいた。初めて空洞の裸を見た時に驚く者と、「やっぱりそうだったの」と納得する者とに分かれた。 無理矢理な身体の造りに耐えきれず、空洞は二十代半ばで亡くなった。穴の中で暮らし始めてい

千人伝(九十一人目~九十五人目)

九十一人目 集中 集中の家の中にはいつも誰かしらが集まっていた。 家族親戚友人顔見知り近所の人までならまだ分かるが、全く見知らぬ他人やらそもそも人間でないものまで勝手に家にあがりこんであれこれするのだ。食うやら寝るやら喋るやら交わるやら。 そんな環境でありながら集中は超人的な集中力を発揮して勉学に励み、また曲を書き、合間に小説も書いた。結果的に彼は学士や作曲家や小説家になったわけではなく、特に有名にもならずそこそこ平凡でありながら十分幸せな生涯を送った。勉学も作曲も小説も

千人伝(八十六人目~九十人目)

八十六人目 三振 三振は何事も三度失敗を重ねた。 一度振られた相手に二度振られ、三度目でようやく諦めた。 就職活動も三度落ちた後はすっぱり諦めて職に就かなかった。 借金の申込みも三人回ってことごとく駄目なら金を諦めた。 なので長く生きることは出来なかった。 しかし二度生き返った後、三度目に本当に亡くなった。 一度生き返った後は一週間、二度目の際は三日生きた。 その間に三振のしたことといえば、違う相手に三度ずつ振られたことだけだった。 八十七人目 蔵朱 くらしゅ、と読む。

千人伝(八十一人目~八十五人目)

八十一人目 鏡原 野原には草が生えている。鏡原には鏡が生えている。 鏡原に生える大小極大極小、ありとあらゆるデザイン、割れた鏡にこれから割れようとする鏡、無限に近い鏡の中で生まれたのが、地名と同じ名を持った鏡原である。 人である鏡原は鏡原に迷い込んで出られなくなった男女から生まれた。鏡原に生える鏡の中には、現物はなくとも食料を映し出す鏡があり、その前に立てば栄養を取れるし、稀に中に入ることの出来る鏡もあった。 ある日合わせ鏡の奥の奥まで入り込んでしまった鏡原の両親は帰ってく

千人伝(七十六人目~八十人目)

七十六人目 歯車 歯車は視界の端でキシキシと音を立てている。 他の人には見えないが歯車も人である。 歳とともにガタが来てあちこち動きが悪くなるし、一部壊れて二度と戻らない箇所もある。 人であるから油を塗ったところで意味はない。 だから泥ばかり塗りたくり、より一層視界の端でガタガタと言い始める。 七十七人目 ピントウ ピントウは早朝や真夜中に人の家のインターフォンを鳴らして回る迷惑な人である。住民は寝ていたり、強く警戒をしたりで、既に逃げ出してしまったピントウの背中を見る

千人伝(七十一人目~七十五人目)

七十一人目 星子 星子は流れ星と流れ星がぶつかった瞬間に交接して生まれた子である。 空から落ちた星子は落ちる星の生物に似せて体を作った。 血液の代わりに極小の星々が体を巡っている。怪我をすればきらきらと星がこぼれて瞬く。眼球の大半はキラキラしているからその前に立つと眩しくて眼を閉じてしまう。 星子は地上を走る流れ星に出会うことはなかったので生涯独身を通した。 流れ星同士の衝突は星子の生まれた時以降一度も起こらなかった。 七十二人目 墨汁肩 肩の窪みをグレノイドと呼ぶ。グ

千人伝(六十六人目~七十人目)

六十六人目 砂川 砂川は砂で出来た川で生まれた。 水の代わりに流れる砂の中では砂魚も泳いでいたし砂貝もいたから当然砂人もいたのだ。 砂で作られた体であるから、さらさらと崩れ落ちるし、水に濡れたら泥となった。 砂人と砂人との交接は文字通り一体化してのものである。交接が終わっても元の体には戻れない。互いに少し混じり合って離れ、砂人の自我はいつもさらさらとこぼれ落ちていく。 六十七人目 寝歌 ねか、はいつも歌いながら眠りについた。 折りたたまれたままの布団で眠り始め、布団を敷

千人伝(六十一人目~六十五人目)

六十一人目 彼我差 ひがさは日傘から生まれた。 夏が近づき日差しが強くなると誰も彼もが日傘を差し始める。 一昔前と違い、日傘なしでは人は紫外線に殺されてしまうからだ。 誰も彼もがマスクをつけ、日傘を差す。彼我の差が縮まる。誰が誰だか分からなくなる。彼が我で我が彼でも構わないようになる。 そんな人混みの中に彼我差は紛れ込んで蠢いている。 百人の人混みがよく数えたら百一人になっている時がある。 彼我差は生まれて、またすぐに消えていく。 六十二人目 手蝶 てちょう、と読む。

千人伝(五十一人目~五十五人目)

五十一人目 丸坂 丸坂は転がっている。丸坂の身体は丸いので転がりながら移動する。下り坂に至れば転がり落ちる。坂が続けば止まれず、勢い余って人や車や獣を蹴散らしてしまう。 上り坂に至れば手足を伸ばして地面を掴む。だがどう足掻いても僅かしか進めず、途中で転がり落ちてしまう。 だから丸坂は生まれて以来どんどん下り続けてしまっている。最終的には穴に落ちていくだろう、と丸坂研究者たちは口を揃えて言う。地の底深くに落ち続けていくだろう、と。 五十二人目 黒木 黒木は山火事の跡に残

千人伝(四十六人目~五十人目)

四十六人目 図景 ずけい、は様々な図形のみで形作られた景色の中に住む。そのような景色の中に普通生物は住み着くことが出来ず、虫もプランクトンも霊もいない。四角と三角と六角形と平行四辺形と三十六角形と……。 図景はそれぞれの角から僅かにこぼれ落ちた角屑を糧にして命を繋いでいる。崩壊寸前の建物の中に偶然生まれるそうした景色の中で生まれ、育つというほど大きくなれないまま図景は息絶えた。時間にして二十秒ほどの命であったが、こうして書き留めておく。 四十七人目 灰衣奈 はいえなと

千人伝(四十一人目~四十五人目)

四十一人目 阿見湖 あみこ、は湖に沈んでいたところを引き上げられた。持ち物からして五十年以上前に沈められた阿見湖であったが、まだ息があり、人工呼吸により蘇った。湖に沈んだ十代当時のままの姿かたちで、その後平凡に生き、恋などもした。 ただし血液は全て湖の水に取って代わられていたため、どこか切ると出てくるのは透明な水だけなので、傍目には怪我などしていないように見えた。 貨物機から落下した一本の万年筆が頭蓋を貫くという不幸な事故により阿見湖は亡くなる。倒れた彼女の周囲に広がる水を

千人伝(三十一人目~三十五人目)

三十一人目 夜虹 夜に出た虹に偶然出会えた男女から生まれた子が夜虹である。これまで一人しか確認されていないので、固有名詞もそのままとなった。 夜虹の瞳には七色が宿る。虹の配色そのままの瞳は、深く覗き込まなければその色を見ることは出来ない。夜でも輝くくらいの美しさを持つ者にしか、その瞳を覗き込むことは出来ない。 だから夜虹は一度も瞳を覗き込まれることのないまま、生涯を閉じた。 三十二人目 破城 破城は戦に敗れ、火を放たれ、焼け落ちた城に取り残されていた孤児である。戦に勝利

千人伝(二十六人目~三十人目)

二十六人目 原座 原座はある劇団の座長であったが、資金繰りが出来なくなり、やむなく劇団を解散した。団員はそれぞれ個々で活躍し、キャリアを上り詰めていったが、原座だけはいつまでも「元・座長」でしかなく、誰にも誘われず、何にも出演することもなかった。 原座は人を集めることを諦め、幽霊たちと共に過ごすようになった。曰く付きの物件やら心霊スポットやらを巡り、怪談ものを演りたいと誘えば、いくらでも幽霊をスカウトすることが出来た。演劇に興味を持つ死者は意外と多いのだ。 原座は両親を

千人伝(一人目~五人目)

一人目 倉田 倉田の後にはいつも小さなキリンが付いて歩いていて、時につまずき、時に人や草花や犬猫にぶつかって、よろけたり吠えられたり引っかかれたりしていた。 そんな奴の後ろなんて歩くな、と僕はいつも思っていた。 身体の模様も薄くまばらなその小さなキリンは、角みたいな頭部の突起をぴょこぴょこさせて、倉田の背中ばかり見つめて追いかけていく。 やっぱりある日見なくなった。 代わりに倉田の後ろには薄く小さな影が付いていっていた。 そいつに向かってまだ吠える犬もいた。 二人目