千人伝(八十一人目~八十五人目)
八十一人目 鏡原
野原には草が生えている。鏡原には鏡が生えている。
鏡原に生える大小極大極小、ありとあらゆるデザイン、割れた鏡にこれから割れようとする鏡、無限に近い鏡の中で生まれたのが、地名と同じ名を持った鏡原である。
人である鏡原は鏡原に迷い込んで出られなくなった男女から生まれた。鏡原に生える鏡の中には、現物はなくとも食料を映し出す鏡があり、その前に立てば栄養を取れるし、稀に中に入ることの出来る鏡もあった。
ある日合わせ鏡の奥の奥まで入り込んでしまった鏡原の両親は帰ってくることがなかった。
鏡原は両親を探して今でも鏡原の中にある無限の合わせ鏡を飛び歩いている。
八十二人目 耳影
人の影の耳が動くことがある。
耳影は故人であるが、二度と動くことのなくなった身体が荼毘に付されても、家の中に影だけを残した。残された家族は故人の影と食卓を囲み、故人の影を眺めながら眠りについた。
時折影の耳だけが動いた。耳だけが蝶のように飛び立つこともあった。残された家族は次第に故人の耳のことしか思い出せなくなっていった。
八十三人目 歩手穫
歩きながら手だけで収穫したじゃがいもばかり食べて過ごしたので、その人は歩手穫と名乗った。足音までぽてとぽてとと鳴った。じゃがいも以外の食べ物を口にするとすぐに耳が取れるのだった。じゃがいもを食べると耳は生えてきた。
周囲の人間は歩手穫にじゃがいも以外を食べさせようとした。歩手穫の耳は揚げ物にすると非常に美味であったので、卵を産む鶏のように、誰もが歩手穫を自分の家に招きたがった。
悪天候の続いたある年、歩手穫は腐ったじゃがいもばかり食べてしまったので、落ちる耳にも毒が混ざった。それを食べた周囲の人間はことごとく耳を落とした。
八十四人目 兎中
兎中は人の身体の中に兎を飼っていた。兎は血中を飛び跳ねて移動した。皮膚に刃物で切れ込みを入れるとそこから顔を出し、餌をねだるのだった。兎中は年中血を流しながらもこの兎を大層可愛がった。
兎中の中には宇宙があった。兎中の中から兎が顔を出した時、烏に突かれて傷を負った際に、兎中はそのことを知った。兎の中にどこまでも広がる空間には星々が散りばめられていた。そのことを知って、兎中はより一層兎を愛するようになった。兎中の身体の傷は増え続けた。
八十五人目 スポンジ
スポンジはスポンジと人間とタツノオトシゴの間に生まれた。親の中でスポンジが一番声が大きかったために、名前もそのままスポンジとつけられた。名前以外は人間とタツノオトシゴの要素が大きく、人語を話し、先祖は龍そのものだった昔話を多く語った。
スポンジはその名前が役に立ち、スポンジ会社に苦もなく入社し、定年までスポンジを作り続け、結婚もスポンジ会社の同僚とした。子宝にも恵まれ十三人の子どもを授かり、全てにスポンジと名付けた。
亡くなる前に話したのはやはり龍の話だった。龍も大昔はスポンジで身体を洗ったのだと語った直後に息を引き取った。
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