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千人伝(九十一人目~九十五人目)

九十一人目 集中

集中の家の中にはいつも誰かしらが集まっていた。
家族親戚友人顔見知り近所の人までならまだ分かるが、全く見知らぬ他人やらそもそも人間でないものまで勝手に家にあがりこんであれこれするのだ。食うやら寝るやら喋るやら交わるやら。

そんな環境でありながら集中は超人的な集中力を発揮して勉学に励み、また曲を書き、合間に小説も書いた。結果的に彼は学士や作曲家や小説家になったわけではなく、特に有名にもならずそこそこ平凡でありながら十分幸せな生涯を送った。勉学も作曲も小説も趣味の範囲でありながら、一生止めることはなかった。

九十二人目 昼目

昼目は昼にしか目が見えない。夜になると目は顔の中に引っ込み、自分の内部を見つめるしか出来なくなる。昼の間に働き、夜は自分の内部を見つめている間にいつの間にか眠ってしまっている。

自分の内部が退屈なものにならないよう、多くのものを目が見えているうちに昼目は取り込む。人の表情、映画や本、何を見ても瞳の奥に焼き付けた。

昼目は夜に見る複合的過去及び妄想世界と、昼に見る現実的悲観的未来とを混同し始めた。昼目は昼にも目をつぶることが多くなり、人とぶつかり、接触事故ばかり起こした。
ぼろぼろになった身体で夜の内部に沈み込んだ昼目は、二度と目を覚ますことはなかった。
しかし周囲の人間はその後もたびたび、昼目の目だけが中空に浮かんでいるのを目にしている。

九十三人目 詩氏

詩氏は詩を書く人であった。毎朝起床と同時に詩を書いた。トイレに行くたびに詩を書いた。詩を書くことに集中して排尿も排便もせずトイレから出た。だからまたトイレに入った。トイレに入ると詩を書くのでまた何も出さなかった。だからまたトイレに入った。そしてまた詩を書いた。詩氏の妻が注意するまで延々と詩氏はトイレから出たり入ったりするのだった。

詩氏は知人が亡くなると追悼のために詩を書いた。詩氏は長寿であったので、知人は全員詩氏よりも先に亡くなってしまった。膨大な数の追悼の詩が、死者の数だけ残された。その数は万を超えた。

詩氏は一日に数十から数百の詩を書いた。二百年ほど書き続けた。詩氏は自分の書いた詩のことをほとんど覚えていなかったため、ある日自分の詩を読んで大変驚いた。「この詩を書いた人に会いに行く」と妻に言い残して旅立とうとした。家を出る前にトイレに入り、詩を書き、トイレを出る、また入る、の繰り返しを妻は止めなかったため、旅に出ることも忘れてしまった。

九十四人目 涙腺

涙腺は全身を涙腺が走っていることから名付けられた。悲しいことがあると体中から涙が溢れた。嬉しくても全身ずぶ濡れになるのだった。そんな体質でありながら、何かにつけ感情を強く動かされ、頻繁に涙を流した。さらに汗っかきでもあったから、いくら水分を摂っても摂っても足りなかった。

ある酷く暑い夏、悲しい出来事が多く起こった。そんな中でも涙腺は炎天下の中で働いており、汗と涙と涙と汗とを流し続けた。浴びるように水分を摂っていても、それ以上の量の涙を流さなければならないくらい、悲しいことが起こるのだった。

涙腺は干からびて、生まれたての頃よりも小さく縮んでしまった。それを見た涙腺の友人たちは涙を流した。涙腺と違い、涙は目からしか流れ落ちなかったが、その量は涙腺を水戻しするのに十分な量となった。
以後涙腺は、炎天下の中で働く仕事を避けるようになった。

九十五人目 操狐

そうこ、と読む。
文字通り狐を操り倉庫業を営んだ。狐は人に化け、フォークリフトの免許を取り、倉庫内で懸命に働き、操狐を支えた。操狐も狐たちの頑張りに応え、定時内に終われる仕事量しか取ってこなかった。企業から預かる荷物を管理し、別の企業が必要とする日に出庫した。

倉庫内で働く狐たちと違い、出庫用に使用するトラックの運転手は全て狸であり、操狐とは別の動物使いが使役していた。ちなみにトラックも馬が化けたものであり、そもそもその馬もノミが化けたものであり、そのノミも地上徘徊性プランクトンが化けたものであった。

倉庫業に付き物である鼠害も、操狐の倉庫では一切発生しなかった。その代わりにフォークリフトの運転手たちが時々口をもぐもぐさせているのだった。



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