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千人伝(六十六人目~七十人目)

六十六人目 砂川

砂川は砂で出来た川で生まれた。
水の代わりに流れる砂の中では砂魚も泳いでいたし砂貝もいたから当然砂人もいたのだ。
砂で作られた体であるから、さらさらと崩れ落ちるし、水に濡れたら泥となった。
砂人と砂人との交接は文字通り一体化してのものである。交接が終わっても元の体には戻れない。互いに少し混じり合って離れ、砂人の自我はいつもさらさらとこぼれ落ちていく。

六十七人目 寝歌

ねか、はいつも歌いながら眠りについた。
折りたたまれたままの布団で眠り始め、布団を敷く父にいつも抱きかかえられた。
父は家事の最中にいつも好きな音楽をかける人であった。寝歌がうとうとし始めるのを見ると、父も寝歌も好きな穏やかな曲を繰り返し流した。寝歌はその歌を歌いながら眠りにつくのだった。
十年後、その曲がリバイバルヒットした際に、聞こえてくるたびに寝歌は歌った。どこで聞いても歌いながら眠った。抱きかかえてくれる父はもういなかった。

六十八人目 徹道

てつどう、は幼い頃一本の線路と一両の電車のおもちゃで遊び続けていた。
周囲の子どもらは、様々な長さやカーブした線路や陸橋やら顔のついた蒸気機関車のおもちゃで遊んでいたが、徹道にはそれ以外のおもちゃは一切与えられなかった。
だから徹道はどのようなものも線路の代わりとし、あらゆる事物を電車の代わりとした。
一例をあげれば、割り箸とストローと鉄筋コンクリートを利用して線路とし、川に沈んだ自転車から車輪を取り外し、墜落した飛行機から翼をもぎとり、一両しかない電車をパワーアップさせた。
長じて徹道は世界的に名を馳せる企業の代表者となり、ありとあらゆる部門で成功をおさめた。
あらゆる事業を引退した後の余生で、彼は子どもの頃に買えなかったおもちゃを買い揃えて遊び続けている。本当は、こういうことがしたかったのだ、と言いながら。

六十九人目 犬童

犬童は幼い頃から犬が好きだった。公園で遊んでいる最中に出会う散歩中の犬全てに挨拶した。中でも馴染みとなった犬を見かけると、それまでしていた遊びを放り出して駆け出すのだった。何故か犬や飼い主に向かって駆け出すのではなく、その犬を中心として近所のお散歩仲間や犬好きの子どもらや、その友達やまたその友達の集うベンチへと、まっしぐらに向かっていくのだった。
犬を放って我先にたどり着いておいて、他の人や犬に「遅いよ!」と怒ったりするのだった。
犬童は代替わりして何十年も同じ公園で犬を待っている。

七十人目 後頭

こうとう、は自分の後頭部を見ないようにして生きた。
若い頃から後頭は自分の頭髪の将来を憂いていた。
そう遠くない未来に薄くなる、と。更にその先には消えてなくなる、と。
ある日後頭は、自分で確認しなければ、いつまでも頭髪は残り続けるのではないのかと気付いた。
永遠の未確認状態を続ければ、実際にはどのような状態であれ、ふさふさの気持ちでいられるのだ。
しかし彼は幼い息子の入園式の写真で、自身の後ろ姿をカメラマンに映されてしまい、何年も見ていなかったそこを見てしまった。明らかに薄くなり、頭髪がない部分も出来ている後頭部を。
と同時に、息子の満面の笑みも写真は捉えていた。迷わず彼はその写真を注文した。


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