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木にハム、気になる、あの子の未来

「パパ、木にハムでしょ」

台所で夕飯の支度をしている私に、7才の娘が大きな声で言いました。

私は何のことかわからずに聞き返します。

「木にハムってなんのこと」

すると娘は言いました。

「これだよ、これ」

そう言って娘が指差した先には漢字の練習帳が。

そしてそこには「松」の文字が書かれているのでした。

「あぁ、なるほどね。確かに木にハムだね」

私がそう言うと、娘は「木にハム、木にハム」と言いながら、「松」の字を何度も書き写していきました。

さすがは料理人の娘です。

「公」の字がハムに見えるなんて、なんと素敵な発想でしょうか。

「松」が木にハムなら、「公園」はハム園です。

ハムえん、ハムぞの、ハムランド。



ところで、ハムと言えば、我が家の冷蔵庫にはハムが常備されています。

私がよく朝食で食べるからです。

ハムエッグにしたり、そのまま食べたりする時もありますが、私がよく作るのはピザトーストです。

8枚切りの食パンに、ケチャップ、ハム、チーズを乗せて、オーブントースターで焼くだけなのですが、これがなかなか美味しい。

しかも、それでいて、何度食べても飽きがこないというすぐれものです。

それはなにも私が秘密のレシピを知っているとか、特別な作り方をしているとか、そういうわけではありません。

焼いたパンの香ばしさ、ケチャップの酸味、溶けたチーズのまろやかさ、それらを一つにまとめ上げる協調性に長けたハムの性格のおかげなのです。


そんなハムの性格がよく表れている料理が春雨サラダです。

キュウリ、人参、錦糸卵、ハムで構成されるシンプルな春雨サラダは、それぞれの具材自体に強い個性があるわけではありません。

むしろ、どちらかと言うと控えめな食材たちの集まりなのですが、不思議なことに、物足りなさを感じることはないのです。

それはハムの淡白な旨味を中心に、それぞれの食材がそれぞれの持ち味を発揮しているからに他なりません。

ハムは言います。

「旨味の部分は私が何とかするからね。あとはみんなの持ち味を出してくれさえすればよいんだよ」と。

すると、それを聞いて安心した他の食材たちは言うのです。

「ハムさんがそう言うなら大丈夫だ。俺たちは俺たちのできることをやろうじゃないか」と。

そうして一致団結した食材たちは、美味しい春雨サラダになるために躍動し始めるのです。

ピンクのハムはその淡白な旨味でもって味の底辺を支えます。
キュウリはその鮮やかなグリーンとシャキッとした食感で、爽やかさを演出します。
人参はその暖かみのあるオレンジで、食欲と甘味をもたらします。
溌剌はつらつとしたイエローの錦糸卵は、華やかさを演出するとともに、他の食材から出てきた余分な水分を吸収します。

そして見た目も味わいもクリアな春雨が、更にそれぞれの色、味、食感をよりいっそう際立たせるのです。

そうして出来上がった春雨サラダは長きに渡り、老若男女に愛される唯一無二の味を確立しているわけですが、ハムはその自身の功績に対しておごることは一切ありません。

ハムは言います。

「あくまで春雨サラダの一部として、味の底辺を支えているだけですよ。
私はベーコンさんのように強い旨味を持っているわけではないですからね。
他の食材たちがそれぞれの持ち味をしっかりと発揮してくれているだけですよ」と。

なんと謙虚な姿勢でしょうか。

同じ食肉加工品界の代表格でもあり、良きライバルでもあるベーコンさんを立てながら、仲間の勇姿をしっかり讃えるその姿。

そんな健気けなげなハムに心を打たれ、私はいつしかハムを手にとるようになったのです。


「木にハム、木にハム」

娘はそう言いながら、松の字を何度もノートに書き写していきます。

現在7才の娘はいったいどんな大人になるのでしょうか。

ベーコンのように圧倒的な旨味はなくてもいい。
だからハムのように健気で寛容な大人になって欲しい。

そう思う親は私だけではないはずです。

「木にハム、木にハム」

私はキッチンで夕飯を作りながら、松の木を頭に思い浮かべます。

雨にも負けず、風にも負けず、季節の移ろいにも動じずに、いつも変わらぬ緑の葉っぱをたもつ松。

そんな松の木のように、いつも変わらぬ愛情を与えたい。

そう願う親は私だけではないはずです。

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