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短編小説『火の川』

 高台から見た街と祭りの明かりは火の川のように見え、僕はぼんやりとそれを見つめていた。

 決して、誰かに連れてこられることのなかった祭り。存在は知っていたが祭りに対する興味なんて一つもなかった。ただ、その火の川を初めて見た、小学生の僕は、祭りを楽しみにするようになった。

 祭りの存在を教えてくれたのは、唯一、言葉を交わすことができた少年『ハレタ』だった。彼も誰かと仲良くすることもなかった。誰かと話すときはテンションも上げず、まるで、その場をやりすごくように会話を終わらせる。そこは誰とも話せなかった僕とは違った。

 そんなハレタとの出会いは小学校五年生、春の図書室だった。

 やけに晴れて、暑い日だった。窓は全開で、その窓際にハレタが本を読んでいる。その光景に僕はなんだか、見惚れてしまっていた。クラスメイトでありながらも、ハレタを見ているだけだと、単なる暗い奴に思っていた。僕と同類だと思っていた。それが、その風景を見ていると、ああ、僕とは違うんだなと、思い知らされた気になる。そこから、胸の中で僕とハレタとの違いを上げ始めてしまう。なぜか涙が溢れそうになる。

 その時、ハレタはスッとポケットティッシュを出してきた。

「どうしたの?」

 僕はやけに必死に首を振った。

「いいよ、あげる。」

 ハレタはそのまま、ポケットティッシュを押し付け、本に戻った。
僕はそのハレタの動きが伝染したように近くに座った。特に本も持たずに図書室にいたせいか、自分の所在がわからなくなった。ハレタはそんな僕を察知していており、急に本をやや下げると、「本読みなよ。」と、彼は立ち上がり、本棚の前で、熟考したのちに『ボッコちゃん』と表紙に書かれた本を僕の前に置いた。

 僕が視線を先ほどまでいた席に移すと、ハレタはもう本に戻っていた。
僕は嬉しくなり、慣れない読書をその日から始めた。その『ボッコちゃん』と言うのは短編集で、すごく短い話がたくさんあって、すらすら読めた。と言っても、その後、図書室に通うたびに読んでいたのだが、一話、読んで、教室に戻るという、かなりのローペースで読書をしていた。

 その日から、僕は彼の近くでその本を読んでいた。毎日毎日、そこで読んでいてた。もうそこに僕ら二人が存在することが習慣になっていた。そして、ある時、ハレタが自ら話しかけてきた。

「今年の祭り、行く?」

 瞬間的に緊張した。背中に汗が一粒落ちるのがわかった。僕はまたもや必死に首を横に振った。

 ハレタは顔を変えることはなかったが、少し落ちたような声で、「そう。」と呟き、また本に戻る。がしかし、その数秒後にボソリと、

「俺は行きたい。」

 初めて、ハレタの感情的な顔を見た僕は、驚いたように口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。ハレタは自分の顔をかき消すように咳払いをして、

「行く予定だよ・・・行こうよ。」

 僕は思わず、縦に首を振った。

 下校。明かりが点っていない家に帰る。僕は鍵をかけ、リビングに電気をつけ、ランドセルをおろし、風呂にお湯を溜め、入り、パジャマに着替えると、冷凍庫に入った冷食とレンチンのご飯を温めて、それを食べ、宿題をするという夜の作業を終え、布団に入る。朝起きれば、机に安いバターロールだけが置いてあるのを確認して、毎度、あ、親いたんだ僕。と思いながら、それを食べ、歯を磨き、着替え、ランドセルを担ぎ、玄関に立ち、朝の作業が終わる。土日は昼間が学校がないため、お昼にコンビニに行くという作業が増える。いつだったか忘れたが、置き手紙で『コンビニ以外、外に出るな。』と書いてあったので、それを律儀に守っている。

 そのため、祭りに行くことなんて決してなかったし、行こうとも思わなかった。

 その僕が、初めて祭りに行くことに困惑した。それは、見えないところの圧を強く感じたせいでもある。あの一枚の置き手紙が僕を困惑させた。それでも、行こうと思った。というよりも、行ってしまおうという感覚に近いかもしれない。どうせ、僕が寝るまで誰もいないんだから。

 それから当日までの日々は変わらなかったが、僕の中では決心みたいなものがついていた。地面がよりしっかり感じた気がした。

 祭りの日、滅多に外の人間に会わないせいか、人がごった返す中に入り、気持ち悪くなる。胃の中から常にやんわりの湧き上がるものを感じる。僕はお昼に我慢したコンビニ弁当用の千円を持って、なんとかハレタの元に到達した。

 ハレタは何も言わずに、人混みの中を歩く。まるで、そこに人なんて存在しないようにヒョイヒョイと中に入っていく。僕はなんとかハレタについて行った。

 ハレタは突然、止まり、屋台の方を向く。焼きそばだった。

「お金ある?」

 僕は首を縦に振った。ハレタはそれを確認すると焼きそばを一つ買った。僕もそれに習うように焼きそばを買った。

 その後、ハレタはまたどこかに進み始めた。僕もそれに続く。
初めて見る祭りはすごくしんどいが、周りを見ると笑っている人が多かった。大人も子供もみんな楽しそうにしていた。とある屋台ではよくわからないおもちゃやゲームが置いてあり、そこに小学生が群がっていた。とある屋台では大人の人たちが酒を飲みながら笑い合っていた。それがなんだか学校とは違う、初めて見る風景に思だ。いや、こういう風景、見たことないんだ。

 ハレタを追いかけていくと、人が徐々に少なくなっていく、やがて人がいなくなると、屋台も無くなって、僕らは木が生い茂り、その木々に挟まれた階段を上がっていた。

 僕は慣れない長い階段で息を切らしながらも頂上につく。頂上は簡単に跨げるような柵で囲まれていて、その中にベンチが数個、点在していた。

「座ろう。」

 ハレタはそういうと、迷うことなく一つのベンチに座った。そこから祭りの光が見えた。僕は柵の前に立つ。祭りがどこからどこまで広がっているか一望できた。煌々とする祭りの灯火、それは祭りの中心から街の大通りまで繋がっていて、大きな火の川を見ているようだった。それを見ていると同時に自分のちっぽけさというのも痛いほど感じた。同時に自分の今現在の小さな体を俯瞰して見ているようで、僕は広がる火の川に置いてかれそうな気がした。

「父さんとここで焼きそばを食べた・・・このベンチで・・・一回だけ・・・死んじゃったんだ。だからそれ以来、来てない。」

 振り返ると薄暗い中でハレタがやんわりと見えた。ハレタは怯えたように体を震わせて、鼻水を啜りながら、焼きそばを食べていた。

「多分、僕も最後だ。」

 僕は思わず声を出した。

「え?」

 ハレタは焼きそばの手を止めた。
 薄暗い中だが、ハレタが僕の顔を見たのは明確だった。

「多分、僕、死ぬんだよ・・・父さんみたいにね。今の父さんと母さんはまたお金が必要なんだ・・・。」

 ハレタはそれ以上何も言わなかった。僕ただ黙って、ハレタを見ていた。
僕は結局、焼きそばを食べずに帰ってしまった。ただ、どこまでも広がっていきそうな祭りの灯火を目に焼き付けていた。

 次の日、ハレタは川で溺死した。

 僕はハレタが言っていた通りになったと思った。みんなは事故だと言っていたが、僕はわかっていた。ハレタは殺されたんだ。自分の両親に殺された。

 その日、僕はハレタの家に行った。一度だけ、ハレタの家に行ったことがあった。前に通りかかっただけだが、僕は知っていた。家の前には何台か車とパトカーがいて、玄関には様々な大人たちがいた。その人たちは囲むように、ハレタの両親の周りにいた。二人は涙を流していた。でも、目は奥は泣いていなかった。

 僕はハレタが連れて行ってくれた頂上まで走った。

 ほとんど呼吸ができず、心臓が苦しくなっていたが、それを我慢してそこからハレタの家を見ようとした。ハレタの家の場所は真っ暗で、本当にそこに家があるかすらわからなくなるくらいだった。そこから僕の家を見ようとするが、僕の家は見えなかった。

 僕は、じっと街を見ていた。また、あの煌々とした祭りの灯火が広がって、川を作るのを待っていた。

 ハレタの家が轟々と煌々と火が立っている。いつしか、その火が僕の家まで続き、やがて僕の家も火が立つ。続く火がまるでまるで祭りの灯火のように見え、記憶中の灯火と燃え盛る火がリンクして、巨大な火の川が僕の目の前に広がる。

 僕の隣にハレタがやってきた。

 ハレタは柵を跨ぎ、向こう側に立っていた。

「綺麗だな。」

 僕は声を出した。

「うん。」

 僕は静かなその街を見続けた。いつしか火の川がさらに大きくなり、焼き尽くすまで、僕は待ってた。


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