見出し画像

私の愛の果て。

 私が愛する女性を目にした後の帰り道。人気はないが、立ち並んだ木々が暖かい赤色に移り変わる美しい大通りの片隅に、爺さんがコンクリートとコンクリートの隙間に佇む、死んだ草をじっと眺めている。

 そんなものよりも、頭上に広がる夕暮れ色の木々たちを眺めればいいのに、その爺さんは、ただずっとそれを眺めている。

 私が愛する人を見た帰りに必ずいて、私の視界に必ず入り、なぜか異臭を放つ爺さんの横を、私は素通りしていく。

 その爺さんに嫌悪感を感じているはずなのに、私は必ずこの道を通る。別の道はあるが、この道を選ぶことがルーティンになっている。私は爺さんにどこか何か通じ合っているものがある気がした。

 私には愛する人がいる。

 「白峯響子」

 彼女は私の家からはさほど遠くない場所に住んでいて、この町ではかなりの溺愛っぷりを見せる仲睦まじい夫婦として有名だ。私はその人妻「白峯響子」を愛している。

 彼女の麗しい眼に、青空に合いそうな艶やかな髪。そんな見た目とは想像のつかない少し掠れた声。そのハスキーボイスが逆に一言一句聞き取りやすくなり、言葉が流水のように染み込んでくる。

 私は仕事をクビになり、心も体もダウナーになっていた時、公園で彼女を見かけた。

 一目惚れだった。

 異物の旦那と共に散歩をしている彼女。その歩く姿は関節という関節全ての動きさえ、芸術品のように感じられた。ダウナーだった心身も、その芸術品の素晴らしさに打ち消され、感心させられた。

 その日、私は彼女からなるべく目を離さないように心がけた。その夫婦の帰り道に尾行し、家を突き止めた。外の肌を刺す凍った風とは裏腹に、暖かさがちょうど真上の蛍光灯に舞い上がる食卓。幸せそうな彼女の顔。私も幸せだ。

 彼女が寝室に入る頃、私は怒りに満ち溢れていた。この家には異物がいる。あれさえ居なくなれば。しかし、あの異物が居なかったとして、私の元にやってくるだろうか?。そして、やってきたとしても私のものになってくれるだろうか?。私の永遠の存在にしなければならない。私と「白峯響子」は永遠の二人でなくてはならないのだ。

 私は、とても一途な人間だ。こんなに一途な人間はいないくらい私は一人の女性を愛する。

 かつて、同じ職場にいた一人の女性に恋をした。同僚の人間たちは私に対して何も言わないが、私を避けていた。他の人間たちに私という人間はわからないのだろうと思っていたが、その女性だけは普通に接してくれたのだ。

 私は幸福だった。その女性と共に働くことが幸福だった。横切るたびに挨拶をし、何かあるたびに「ありがとうございます。」と言ってくれる。目が合うと、笑顔を見せてくれる。私の心が熱を発するのを感じさせてくれた。

 そんな私は会社の個人情報が載っている書類を発見したので、住所の入った紙を盗んだ。私は心を躍る気持ちが抑えられず、その女性の家の前までやってきた。

 それから何度も、この家にやってきた。ある日、私はなけなしの金で指輪を買った。

 その女性の家のインターホンを押そうとした時、扉が開く。その女性は、会社の同僚の一人と共に出てきたのだ。

 私が、麗しく、清く思っていたその女性とは真逆の、ガサツで、うるさく、大して仕事もできないが、妙に会社や取引先にも好かれている私の会社の同僚が、その女性と共に出てきたのだ。

 しかし、私は気にしない。私はその同僚の存在を知っていた。私はその時までに家まで何度も訪れ、その女性の生活を覗き、昼夜を共にしたのだ。もはや同棲と一緒。当然、その女性とも心を通じ合わせている。愛し合っている。プロポーズするなら今しかないと思った。答えてくれるはず。私のプロポーズを。

 「結婚しよう。」

 その言葉に、強烈な嫌悪感を見せるその女性。胸ぐらを掴む同僚。大切な指輪は捨てられ、私は殴られた。やがて、警察が何人もやってくる。

 遠ざかるその女性の家を眺めながら、頬に濡れた線が通るのを感じた。

 ああ、悲しいなあ。あんなにも愛し合っていたのに・・・。

 後悔はしていない。私とその女性は結ばれなかっただけだ。私は、私の愛と正義を貫き通しただけ。私は、私の愛をその女性に伝えただけなのだ。

 ただ、その愛は結ばれることはなく、私は会社の社員全員にその話が広まり、居づらくなり、また、会社からも「辞めてくれ。」と遠回しに伝えられてしまい、私はその気はなかったのだが、会社を辞めることにしたのだ。

 社員全員を敵に回したのはなんともなかったが、その女性を引きこもりにしてしまったことは、私の心に深く傷ついた。私の愛が強すぎたのか、私のプロポーズが衝撃的だったのか、他の人間の心無い私に対する言葉が深く刺さったのかわからないが、その女性を傷つけてしまったのが辛くて、私は会社を辞めた。

 そんな私の心をダウナーにさせる出来事があったときに私は「白峰響子」に出会ったのだ。

 私は、彼女を自分のもの。永遠のものにするしかない。そう思ったのだ。

 ある時に、夫婦は喧嘩をしていた。この夫婦を知っている人がいるなら、これは珍しいことだが、私は常日頃、この夫婦を見ている。この夫婦の喧嘩は決して珍しくはない。

 この異物は人知れずに人妻、「白峰響子」に暴力を振るっていたのだ。理由は、醤油がないだの、つまみがないだの、勝手に男の人と喋っていただの、よくあることに異物はキレ散らかしていたのだ。

 その日も、彼女に暴力を振るっていた。理由は、スーパーで若い店員に色目を使っていただのよくわからない理由だ。それで、彼女に痣ができるまで殴っていたのだ。

 私は救わねばなるまい。そう思い、庭にある大きな石で窓を破り、中に入った。

 混乱する二人がいる最中、私は大きな石を拾い、異物の頭をかち割った。脳漿が出て、白い破片に肉片が飛び散るほど私は殴り続けた。


 動かないことを確認した後、絶叫していた彼女を抱きしめた。もがく彼女をぎゅっと・・・。こんなロマンチックな状況に逃げようとする彼女をぎゅっと抱きしめた。私を振り解き、彼女は絶叫しながら逃げる。

 逃してはならない。私と「白峰響子」は永遠の存在でなくてはならないのだ。

 私は彼女を追いかける。出口近くで私は足を掴み、必死に引き寄せる。家が出口にキッチンがあるタイプの家だったので、私は咄嗟に包丁があったの手に取り、それをアキレス腱あたりに刺した。

 紙が切れ、金属が鳴り響くような声を出した彼女に、私は興奮した。

 その声と、生暖かい赤い液体を感じさせておくれ。私は、柔らかですべすべとした腹部に何度も鋭利な包丁で刺し続けた。

 最初は衣服が刃を中々通してくれなかったが、何度かやっているうちに、じゅくじゅくと音を立て、大量に出る液体を感じるたびに、私は彼女を抱きしめた

 彼女が息を途絶えたところで私は、隅に転がる異物を土に埋めた。

 「白峰響子」は丁寧に汚れを拭き取り、冷蔵庫から物を全て捨て去り、冷蔵庫の中に詰めた。

 これから、ここで彼女と共に過ごすのだ。彼女は永遠の存在になった。肉体的にも、精神的にも。

 私は、異物の液体でも汚れた上着に嫌悪感を感じ、衣服を脱ぎ捨て、庭で焼き払った。

 家にあった「白峰響子」の衣服を見に纏い、彼女の生暖かい血液を染み込ませた後、私の生活用品や、必要な物を取りに帰るために家に帰ることにした。

 その帰り道、またあの爺さんがいた。時間は朝の5時。陽は登らずとも、今から登り始める光は見えていた。

 今なら、この踊りに踊った心を爺さんに共有させ、爺さんを楽にさせることができる。 

 私は身に纏う、赤く染め上げられた衣服を抱きしめるように腕を包む。丁度、袖あたりを口で吸い上げた。まるで彼女の唇のような暖かさを感じた。

 「白峰響子」の血にまみれた包丁を爺さんにむけた。

 今、極楽浄土にお届けします。「白峰響子」の血は、そこに届けるほどの力があります。あなたが愛した、死んだ草や土の元にあなたをお届けしましょう。

 貴方の、愛の果てに。

 永遠とコンクリートとコンクリートの間を死んだ草と土を、見続けている爺さんに一礼した後、私は襟を掴み上げた。

 包丁を腹に迎えようとした時、私は気がついた。思わず、死んだ草を見続けた爺さんを落とした。ばたりと、または、グチャッと音を立てた。

 陽の当たる紅葉の空が広がる大通りの隅で爺さんは、



 腐って、死んでいた。

この記事が参加している募集

私の作品紹介

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?