ガシャ子

主婦、心身上がったり下がったりの波を感じつつ元気(?)に引きこもり仲間(夫氏)と暮らし…

ガシャ子

主婦、心身上がったり下がったりの波を感じつつ元気(?)に引きこもり仲間(夫氏)と暮らしてます。中途半端、答えの出ないこと、試行錯誤、余白のような…そんな毎日や感じたことを整理するために文章にしようと思います。たまに思いついたことなど。

マガジン

  • 相談員時代のこと

    出会いのなかで感じたこと、葛藤、心半ばな気持ちなど。または関わってきた子どもたちへ、直接伝えられないけれど、想いを手紙のように祈りつつ。

  • 不登校時代のこと

    不登校だった頃に感じてたことや、思い出したこと、整理したかった気持ちなど。

  • 日常

    心身を大切にするための習慣の記録。

  • 生い立ちエピソード的なもの

    上がったり下がったり激しめの人生を少し端折りながら綴ってみます。

最近の記事

あいたい、こわい、いきたい、ムリだ、を繰り返して

引きこもり不登校時代を経て、引きこもらない不登校時代に突入し、高校、大学、仕事、ステップアップを積んできた現在、結婚を機に再び引きこもり生活を送っている。もちろん、不登校の頃とは違って絶望したり落ち込みが続いたり外出しないわけではなかったりだけど、心身の不調に悩まされて無力感を味わっている毎日だ。それでも、以前のように絶望しないのは、挫折や立ち止まる景色が初めてではないからということと、完全に一人ではないことを知っており、こういった生きづらさと共にある人が私以外にたくさんいる

    • ひとつのお花の指輪

      始まりは中学生、不登校で引きこもっていたあの頃。何の意欲も興味もわかず、ただ朝と昼と夜が過ぎてくのをじっと見守る日々だった。 いとこの姉ちゃんからいつかもらった手作りのお花のビーズの指輪が部屋の机にちょこんとあって、ただそこにあるのをボーっと見てて、ただボーっと見てたらビーズの粒が糸に通ってることが見えて、「どうなってるんだろう?」って疑問が湧くようになって、見よう見まねで、気づいたら家にあったビーズを探し出して紐を通してた。 いとこの姉ちゃんが作った指輪は、うちにある糸

      • 風のように

        風のように 時にはふわふわと優しく撫でるみたいに触れて 時には強く激しく叩きつけるようにぶつかり 時には存在すら感じないほど静かに息を潜め 美しい葉や花に動きを与えて音を与えて 時がきたものたちを土に還し 飛び立つものを次の場所へ移し 生きるも死ぬもそれらは生になる 見えないけれど感じることができる その存在は 感じることができる喜びを教えてくれる あなたは風のように 私に吹いている

        • 変わらずにここにいるよ

          変わらずにここにいるよ。 遠くへ行ったっていい、忘れてもいい。 私は変わらずにここにいるよ。 あなたがもし、絶望し、 右も左も分からなくなった時、 こんなにたくさんの人の中で、 たった一人ぼっちだと思った時、 耐えがたい悲しみの波に流されて 立ち上がらずにいる時、 色んなことや自分自身を信じられなくなった時、 そんな時にもしも思い出してくれたなら、 またあの頃のようにフラッとおいで。 変わらずにここにいるよ。 変わらずにここにいる。 そんな人に、そんな場所に、そんな

        あいたい、こわい、いきたい、ムリだ、を繰り返して

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        • 相談員時代のこと
          5本
        • 不登校時代のこと
          3本
        • 日常
          3本
        • 生い立ちエピソード的なもの
          0本

        記事

          不登校、忘れてた記憶

          私の不登校は中学の約3年間だったが、一番辛かった最初の半年くらいの記憶とか、その時何を感じてたかとかあまり覚えていない。思い出そうとすると、母と玄関前で揉めて泣いてるシーンとか、転々とした病院の待合室とか、飛び飛びの映像だけがあって、それらを少し繋げたりし、曖昧ながら時系列で整理したりは出来るものの、その時に何を感じていたかはほとんど思い出せない。恐らく、燃え尽きてほとんど放心状態だったから、考えること感じることすら停止していたのではと思っていた。 最近、「35歳の少女」と

          不登校、忘れてた記憶

          忖度ばかりの人生はさようなら!

          「相手の気持ちに立って考えてみる。」 私はこれまでそうやって様々な問題をどうにかやり過ごしてきたところがある。 例えば友人が何か私に対して不満があり、自分の意見を一方的に主張してきたとしたら、私にも言い分があって怒りたくなる気持ちがあったとしても、友人の話しを聞いていくうちに、「こんな風な思いをさせたのだなぁ。そういう部分では自分に非があったな。」と納得する。納得すると、自分の怒りなんてどうでもよくなって、素直に謝ってその場はやんわり収まる。といった調子でやってきた。 幼

          忖度ばかりの人生はさようなら!

          学校に行きたいけれど行きたくなかったあの頃の「私」へ

          不安と怖さと期待と歯痒さと 楽しみと絶望と孤独と羨望と 痛みと弱さと頑なさと虚無と プレッシャーと重荷と希望と エネルギーと疲弊と葛藤と その辺の矛盾のような 「ことば」では到底表せられないような 「モヤモヤ」とした思いを 心に充満させている20年前の私へ。 あなたは目に映るものに ちょっとアンテナがたくさん立っているから とりあえず目を閉じてみようか。 そして一呼吸、ゆっくり息をしてみよう。 耳をすませてみると、 風の音がきこえるはず。 もう少し耳をすませてみてごら

          学校に行きたいけれど行きたくなかったあの頃の「私」へ

          木の下の学校

          てっちゃんは お腹が痛かった。 毎日、毎日、学校に行く前は お腹が痛い。 「行ったら治るよ!もっと強くならなきゃ!」 そう言っていつも、お母さんは てっちゃんの背中を押した。 てっちゃんは、 いつものようにしぶしぶ歩き出した。 暑い夏の太陽はギラギラしてて、まぶしくて、 なんだかよけいに苦しくなった。 「イテテテテ… 」 お腹をかかえてヨタヨタしてると、 急に下からブワ〜!と強い風が吹いて、 てっちゃんの小さな顔が上の方に向いた。 ザワザワザワ〜 大きな木が一本

          木の下の学校

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          青を集めました。

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          あの子に教えられたこと

          小学4年生の頃、クラスに転入生がきた。 その子は、透けるような綺麗な色白で、華奢で繊細な雰囲気が漂ってて、控えめなんだけど淡々と芯のある言葉を発するような子で、賢くて優しくて、独特なユーモアを持ってて、どこか大人びたところがある、なんだか不思議な空気が流れてるような女の子だった。 今思えば、その子は、人と人との境界線のようなものをわきまえている所があった。自分も人も傷つかない距離を引くのがうまかったのか、来る物拒まず去るもの追わず、と言った感じがよく合っていて、興味を示す

          あの子に教えられたこと

          昼間の贅沢時間

          夏のワンコの散歩は、敏感で引きこもりの私にとって、なかなかハードルの高いものだった。眩しい日差し、べっとりとした湿気を含む風、耳障りな蝉の鳴き声、汗ばむ体…。鬱々としてる時は尚更、全てが刺激的であり、たかが10〜15分でも帰るとグッタリ。。ワンコも暑いだろうということを理由に、明け方の日が昇る前とか夜の散歩がお決まりだった。 しかししばらく続けていくうちに、散歩以外ほとんど外に出ないので、日に当たる機会もほとんどないことに気がついて、鬱や免疫力低下、妊活にも影響するかも…と

          昼間の贅沢時間

          朝の一コマ

          幸せ習慣。 少しでも、自分を労ったり 居心地の良い時間を作る。 それを習慣にしている。 私にとって朝のコーヒーは ゆっくり呼吸するように丁寧に淹れる、 ポトポト少しずつ落ちる音を聴いて、     部屋中に広がる香りを感じる、 味わって身体に染み渡るような感覚に委ねる、 五感をフル回転させて自分の心身のことを   大切に想えるきっかけを与えてくれるもの。 働いてた頃には知らなかった時間。    鬱になって分かったこと。          こんな風に自分をいたわって良いと

          朝の一コマ

          音楽家と美容師と相談員と主婦

          先日、たまたまテレビを観ていると、あるオーケストラに所属する奏者の方がこのような感じのことを言っていた(一語一句は覚えてないのだけど) 「このコロナの自粛時期、ネットで『オーケストラなんてたくさんあるんだし、この機会に減っても良いのでは』『生きてく上で音楽や芸術は必要ない』というような書き込みを見てしまって、ショックを受けました。 私たちが保育園や高齢者施設などで演奏する時、大抵の人は最初、おしゃべりをしてたり落ち着かなかったり集中してない様子もあるのだけど、演奏していく

          音楽家と美容師と相談員と主婦

          「確かに、今は恵みの時、 今は救いの日です。 第IIコリント6:2」 今生かされてることを感謝して生きる。ただ私にできること。

          「確かに、今は恵みの時、 今は救いの日です。 第IIコリント6:2」 今生かされてることを感謝して生きる。ただ私にできること。

          ためにならない、くだらない話を少々

          私は緊張していた。 元々の引きこもり生活にプラス、コロナ騒動も重なりかなり久しぶりの美容室、外出、家族以外との会話…そして初めての美容室を予約してしまったから。たった一席で一人の美容師さんが営まれてるそこを発見し、もしかしたら合ってるかも…と勇気をだして行ってみようと思っていた。 そろそろ準備しよう、と久しぶりの化粧をする為まず久しぶりに眉毛を抜いて、これまた久しぶりに眉毛のカットを始めた。先に左眉をカットし始めてしばらくすると、パキッと小さな音がした。 なんだろうな?

          ためにならない、くだらない話を少々

          「大丈夫!」堂々と言える理由

          心理学系の大学の授業でも、カウンセリング関係の講習会でも、「大丈夫」という断定的な言葉はあまり使わないようにと何度か習った事がある。それは「絶対」ということは言えない、本人にそういった期待は抱かせない、本人の世界観をあくまで鏡に写す役割であるため分かったような発言は避けるなど…様々な理由と注意すべき点があるだろう。 でも、私は子ども達と関わるなかで「大丈夫」という言葉をよく口にしていた。背中を押す時、巣立つ時、「大丈夫じゃなくても大丈夫」と言って送り出したこともある。なんで

          「大丈夫!」堂々と言える理由