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「大丈夫!」堂々と言える理由

心理学系の大学の授業でも、カウンセリング関係の講習会でも、「大丈夫」という断定的な言葉はあまり使わないようにと何度か習った事がある。それは「絶対」ということは言えない、本人にそういった期待は抱かせない、本人の世界観をあくまで鏡に写す役割であるため分かったような発言は避けるなど…様々な理由と注意すべき点があるだろう。

でも、私は子ども達と関わるなかで「大丈夫」という言葉をよく口にしていた。背中を押す時、巣立つ時、「大丈夫じゃなくても大丈夫」と言って送り出したこともある。なんでそんなことをはっきり伝えたか。もちろん、その子の状況や特質を見て別の言葉を選ぶこともあったが、基本的にはどの子にも心底から思っていたこと、本音、それが「大丈夫」。

その根拠は二つ、まず一番大きな理由は、一人一人が私自身や周りが魅了されるほど素敵で、ユニークさはその子にしかないものを持っている、そのことを心から実感していたから。学校が好きな子も、そうでない子も、元気な子も、おとなしい子も、とにかく今を生きてる。いきいきと。居場所があって、いろんなことから解放されて、素の自分になったときのキラキラとしたそれぞれの存在は、何も怖くないって思えるほどエネルギーがあって魅力的なものに満ちていた。そして、そんな一人一人が集まったとき、互いに影響し合って、喜んだり葛藤したり勇気づけられたり…もう二度と人と関わりたくないと思うくらい辛い気持ちを抱えて閉じこもっていた一人一人が、関わり合いの中で育っている。そんな経験を、今こうして出来るという宝物のような時間を過ごしている。その経験は、今後の人生にどれだけ影響を与えるか、それは分からないけれど、キラキラしていたこと、勇気を出して繋がってくれたこと、それはその子の中で確かな一部になってるはずだ。

もう一つの理由は、私自身が不登校をしていた時期があったけれど、そのことを決して恥じてないということ。むしろ原点だと胸を張って言える。あの時期があったから、何度挫折しても絶望せず、今を生きてる。同じ経験を持つ友人たちも、バリバリ働く者、家庭に入り子育てに奮闘してる者、定職には就かずに自分らしい生きた方を模索し見つけ始めてる者…みんなそれぞれだが、自分の道を自分の足でしっかり歩いている。大丈夫じゃない人なんて一人もいない。

これらのことを考えてたら、不登校をしてる今このときも大丈夫だね、って。これからもきっと大丈夫だね、って。どんなときも大丈夫。道から外れたとか、将来どうなるのとか、言われることも多いかもしれないけど、あなたのありのままの良さは変わらないよ。道はその足元の後ろにも確実にあるし、その先にも続いてる。大多数の人が見てない景色だからって不安にならなくていい。顔さえ上げれば、きっと見たこともない花が咲いてたり、味わったことのない匂いや風が吹いてる。

そんな気持ちを込めて…大丈夫!

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