見出し画像

忖度ばかりの人生はさようなら!

「相手の気持ちに立って考えてみる。」
私はこれまでそうやって様々な問題をどうにかやり過ごしてきたところがある。

例えば友人が何か私に対して不満があり、自分の意見を一方的に主張してきたとしたら、私にも言い分があって怒りたくなる気持ちがあったとしても、友人の話しを聞いていくうちに、「こんな風な思いをさせたのだなぁ。そういう部分では自分に非があったな。」と納得する。納得すると、自分の怒りなんてどうでもよくなって、素直に謝ってその場はやんわり収まる。といった調子でやってきた。

幼少期の頃から争いの絶えない家庭のなかで育ったためか、特に家族との向き合い方は決まって、相手の事情を察して汲み取ってやり過ごしてきたように思う。大学の卒論は、病気で過敏になる姉に気を配ってパソコンを打つ音が騒音にならぬよう、家では一切取り組めなかったり、両親が経済的に厳しいと訴えてきたときは、世帯持ちの兄は自分の家族を養うことでいっぱい、姉も病気、県外に行った兄も自分の生活で必死、身軽で独り身の私が引き受けたら一番簡単だし早いしその方が楽だった。気に入っていた一人暮らしのアパートを引き払って実家に戻ったりもした。だから両親も兄姉も、何か困りごとがあると真っ先に相談するようになり、私はみんなよりは動けるし、それでいいんだと言い聞かせていた。そうやって仕事と家族とのことでいっぱいいっぱいになりながら、あっと言う間に20代が過ぎ去っていった。

30代になり、好きな仕事への熱がどんどん入るようになり、伝えたいことは妥協せずに伝えていこうと、自分の殻を少しずつ破って変化を試みるようになっていった。次第に、家族に対する疑問も湧いてくるようになり、結婚を控えて、初めて私は「私の人生」というものを今までよりリアルに感じるようになった。今思えばそうやって私自身の変化やチャレンジが始まりだした頃から、周りの反応が変わっていったように思う。主張し始めるようになると、周りはどんどん引いていき、気付いたらなんだか随分と友人や仲間が減っていた。その時、今まで自分自身が撒いた種の根っこの深さや重大さを痛感させられる。私自身が自分を大事にしなかったこと、私自身が自分を欺いていたこと、それらが全て私に対する周りの扱いに繋がっているように思えたのだ。自分自身が自分を大事にしてないと、周りも軽く扱ってもよい存在なのだと、恐らく無意識にそのような感覚を植え付けてさせてきたように感じた。

そのうち、「もう限界だ」と思うような辛い出来事が重なり、同時に心身が音を立てて崩れ始め、何もかもができなくなった。今までは大したことのなかった頼み事も、全てが重く感じるようになり、断ると「冷たいね」と言われたこともあった。今まで少しもやってこなかった人にはそんな言葉は一切投げかけないのに。。あぁ、私ってなんだろうか?ピエロなんだろうか?そう全てがバカバカしく、怒りや虚しさを感じるようになり初めて、今やっと自分が正常になったということを知った。

正常な怒りを覚えるようになったことは、私にとって有意義なことであったが、同時に、全てのことは周りの責任ではないということも知っている。自分が振る舞った態度の結果である。でも、もちろん自分自身のせいでもないとも思う。なぜなら、私はそうやって生きていくしか術を知らなかったから。ただ、もうそのやり方では限界だったこと、全てを失ってでも、次のステップへ移る時期にきていると言うこと。正しいかどうかは分からないけれど、そう思うようにしている。

アラフォーになって、初めて妊活のための病院に通い始めている。そこで分かったことは、ストレスによりホルモンの値が異常に上がり、排卵がスムーズに行えない状態にあるとのことだった。主治医には「身体がSOSを出している証拠。これまでのやり方を変える時期」とズバッと言われた。心の代わりに、私の身体は叫んでいたのだ。
「私は私を生きたい!」と。

聖書の言葉に「自分のことのように隣人を愛しなさい」という言葉があるが、これまでの私はピンときていなかった。自分のことをそれほど愛せていなかったから、どのような感じかイメージが湧かない。結局、優しく見えて、私は誰よりも冷たい人間だったかもしれない…と今は冷静に感じたりする。これまでのようにうわべではなく、人にも自分にも益にはならないような自分を捨てて、これまでの私に期待する周りが離れようと変化を恐れずに、本当の意味で自分を、そして自分のことのように人を愛せる人へ、祈りつつ…新たなチャレンジへの幕が上がったようで少しワクワクしている自分がいることが嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?